ラジオを聴きすぎてマウントの取り方を覚えてしまった、を綴る

僕はラジオが大好きだ。本当に冗談抜きで、一日6時間は聞いてる。ざっと、聞いてる番組をあげると、

「オールナイトニッポン」
火曜 木曜 土曜

「オールナイトニッポンZERO」
水曜 金曜

「JUNK」
月曜 火曜 金曜

「アトロク」
コーナーごとに聞かないのはあるけどほぼ毎日

「アッパレやってまーす」
月曜 火曜 水曜

「問わず語り」
「やまひろのピカッとラジオ」

・・・まだまだあるが、書ききれないので、ここら辺にする。異常だ。異常すぎる。

もともと僕がラジオにのめり込むきっかけになったのは、くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンのpod castだ。当時、PSPをWi-Fiに繋いで、聞いていた。
そこから、「伊集院光の深夜の馬鹿力」のpod castにもハマり、本編が聴きたくなり、岩手ではTBSの電波は雑音混じりだったが、なんとか聞けていたが、天候によっては全く聞けない夜もあった。なので、あまりよろしくないけど、違法アップロードされていた馬鹿力をダウンロードもしたりもしていた。
いまの思考回路は、伊集院さんに形成したもらったと言っても過言ではない。
それ程までラジオにのめり込んだのだ。

芸人さんは、ラジオに力をいれてる人が多い。もちろん伊集院さんも、岡村隆史さんも、オードリーさんも、山里さんも、パーソナリティ本人の言葉でリスナーに届けることが出来るからだ。その言葉には、いわゆるテレビではあまり言わないようなことも含まれている。

僕たちリスナーは、そのテレビではあまり言わないことに興味を持ち、面白いトーク、面白い企画に期待を弾ませて、ずっと聴き続けてる。すると、不思議と、パーソナリティと同じ目線になってしまうことがある。
自分の好きなパーソナリティがこう言ってたから、こうだ、みたいな。パーソナリティがこの人嫌いだから、自分も嫌い、みたいな。ラジオという、リスナーとパーソナリティが親密なメディアであればあるほど、パーソナリティの価値観に依存してしまう。
ちなみに、僕もその目線に依存している時期があった。

例えば、RHYMESTER宇多丸さんの映画批評。いままでの批評を僕はほとんど聞いてる。
あくまで、宇多丸さんは一本の映画を「個人的観点」で批評してるだけなのだ。でも、その批評だけが正しいと思って、宇多丸さんに沿って、堤幸彦監督をディスったり、三谷幸喜監督をディスってみたり。
映画の見方を宇多丸さんに合わせに行っていた。宇多丸さんだったらどう思うか、みたいな、宇多丸さん基準の映画の見方になっていた時期が僕にもある。でも、あくまで宇多丸さんは、「自分はこう見たけどあなたはどう思う?」とリスナーに問いかけてるだけなのだ。なのに、無闇に僕は僕の価値観を締め付けていた。
すると、自分の価値観にはパーソナリティという強力な味方がいるとどこかで信じ込み、いつの間にか、その批判を受けた人をやり玉に上げ、マウントを取っていた。
実行には移さなくても、精神的でも。

・・・俺だったらこんな撮り方はしない。
・・・俺だったらこんな脚本は書かない。

この価値観の薄っぺらさは、いつしか自分に返ってきた。いざ自分が何かを作るとなったら、想像していたもの程、レベルの高いものが作れなかったのだ。
プロに対して、プロが放った意見にいくら同意しようと、アマチュアである自分は、プロには到底手が届かなかったのだ。
自分を形成してきた価値観がただの張りぼてだと気づいた瞬間だった。

ただ、それに気づいた瞬間、いつも通りラジオをつけてみると、このパーソナリティの価値観を汲み取りながら、新たに成長しようとする自分が居た。

どんなに好きな人でも、理解できないものだったら、無理に理解しなくてもいい。それに気づけた瞬間だった。

今日も僕はイヤホンをつけて、radikoのアイコンをタップする。


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