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実家で家族と過ごすお正月の話

妻の実家に帰省すると、子供たちが好きな場所にお出かけがあまりできないので、少し退屈そうだ。でもまあ、そんなものかなと思う。
自分も子供の頃はそうだったような気がするからな……
……と、自分の幼い頃を思い出してみるのだが、正直よく思い出せない。
子供の頃の記憶なんてものは、大人になるとどんどん薄れていくものだ。だから仕方ないといえば仕方ないのだが……。

太宰府天満宮で立ち寄ったすみっコぐらし

―――そういえば、昔の自分は何が好きだったっけ? 子供の頃のことを思い出すと、近所の友達とか……家族旅行で行った遊園地なんかの風景とか……。いかんせん、ぼんやりとしたイメージしか浮かばなかった。
だがそれはそれでいいんじゃないかと思ったりもした。
だって、思い出ってのはきっとそういうもんだろう。
はっきりしたものじゃなくて、ふわっとしていて曖昧で、でもどこか温かいものなんだと思う。
自分にとって、その曖昧なものが今の家族の思い出なのだ。

福岡市城南区・早良区・南区にまたがる油山からの景色

自分はただ漠然と大学に行って、適当に就職をして、毎日ダラダラ過ごしてるだけだ。
こんなことで本当に良いのか? という気持ちは常にあった。
しかし同時に、何もしないという選択をしている自分にも気付いていた。
何かをしなければいけないと思いながらも、何をすればいいのか分からず、結局は何もせずに日々を過ごしてしまっているのだ。
それはまるで、ぬるま湯に浸かっているような感覚でもあった。
――このままだとダメになる。
漠然とそう思っていたが、具体的にどうすればいいのかはさっぱり思いつかなかった。 

そもそも、自分みたいな人間が何かをするというのが間違いなのか? などと、自虐的な考えすら頭をよぎった。だけど、やっぱり何かを変えないといけないんだろうなとも思った。
それがどんなことなのかはまだ分からないけれど、このモヤモヤしたままではいけないということだけは確かだと感じたからだ。

年末年始で家族と過ごすことになるわけだが、そこで何かが変わることを期待している自分もいた。
もちろん、そんな簡単に変わるとは思っていない。
でも、変わらなければ何も変わらないということは理解できた気がした。
だから自分は、この帰省中に少しでも変わってみせるぞ! と決意を新たにしていたのであった。

鬼滅の刃で有名になった竈門神社(太宰府天満宮の近くにある)

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