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ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー

G.ガーシュウィン (1898-1937) アメリカ
♪ラプソディ・イン・ブルー
 10代初めのガーシュウィンは学校では問題を起こし、ホッケーやローラースケートに興じ、街をうろつき、喧嘩、女・・・と全てやりつくしたといってもいいほどの筋金入りの悪であった。だが当時のニューヨークの街はポピュラー音楽が花開き、バーにはピアニスト、通りにはハーディ・ガーディ、ゲームセンターには自動演奏楽器が置いてあり、といたるところに音楽が流れており、少年ガーシュウィンに少なからず影響を与えていたであろう。そんな彼が友人の弾くヴァイオリンの調べに惹かれ、自身もピアノに触れるようになり真面目になったという。12歳の時の出来事であった。その後音楽の勉強を始め、仕事としてのピアノの即興演奏や、レビュー音楽やヒット曲を手掛けるようになったガーシュウィンが、一躍歴史に名を残すことになった作品が≪ラプソディ・イン・ブルー≫である。

 クラシック音楽、初期のジャズ、そしてブルースの要素が混ざり合ったこの協奏曲的作品は、まずガーシュウィンがピアノソロのパートと、楽器指定をしたオーケストラ部分を、ピアノ2台に置き換えた形で書き、その横で出来上がったオーケストラ部分の譜面をF.グローフェ(編曲者で後年には作曲家としても作品を残した)が、P.ホワイトマン率いる楽団用に編曲した。もっともガーシュウィンが管弦楽法にまだ未熟だったために、その指定は守らず修正も加えたようであるが。
 曲はあの有名な冒頭のクラリネットによる引きずるようなグリッサンドで始まる。これはもともと17連符の速いパッセージとして書かれていた。だがあるクラリネット奏者がリハーサル中に冗談でグリッサンドにして吹いたところ、ガーシュウィンがその効果を、曲の雰囲気が明らかになり聴衆の関心を惹きつけるのではないかと気に入り、取り入れることとなった。その後次々と魅力あふれる様々な旋律が現れ、ジャズ風のリズムに乗りつつ、曲はカデンツァを介して繋げられていく。後半のホ長調の主題は、都会の夜や星空を連想させる。


*写真はパリにある自由の女神像です。

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