シロクロ

楽器を弾きつつ、曲目解説を書いています。 ジャンルはピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、オ…

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楽器を弾きつつ、曲目解説を書いています。 ジャンルはピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、オーケストラ作品が多いかな・・・

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ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第1番「雨の歌」ト長調 作品78

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第1番「雨の歌」ト長調 作品78  ヨハネス・ブラームス(1833-1897)は、ウィーンで活躍をしていたドイツの作曲家である。ブラームスは40歳を過ぎて、初めてヴァイオリン・ソナタを出版した。この作品は「1番」のソナタであるが、彼の青年時代の作品も含めると、少なくとも4番目に作曲された作品であるといわれている。この作品は1878-79年にオーストリアのペルチャッハにてヴァイオリン協奏曲ニ長調(作品77)と平行して作曲された。ブラームスは

    • ヒンデミット:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 作品31

      ヒンデミット 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 作品31  パウル・ヒンデミット(1895-1963)は、ドイツの作曲家、理論家であり、ヴァイオリンやヴィオラを始めとする楽器の優れた演奏家でもあった。  この第1番は、第2番と共に1924年に作曲され、同年、自身が運営委員を務めたドナウエッシンゲン音楽祭にて初演された。1920年代のヒンデミットの作風は、ロマン主義的な傾向に相反する、純粋な音の喜びの追求に向けられている。この作品は、小節線の表示はあるが、一定の拍子を持た

      • ラヴェル:ラ・ヴァルス

        M.ラヴェル ♪ラ・ヴァルス 1919-1920年にかけて独奏ピアノ版、2台ピアノ版、管弦楽版を完成。  「渦巻く雲の切れ目から、ワルツ(円舞曲)を踊るカップルたちの姿がときおり垣間見える。雲は少しずつ晴れてくる。輪を描きながら踊る人々であふれかえる広間が見える。光景は徐々に明るくなっていく。シャンデリアの光はフォルティッシモで燦然と輝く。1855年頃の皇帝の宮殿。」この一文はラヴェル自らが楽譜の冒頭に載せた言葉である。ここから皆さんはどんな情景が目に浮かぶだろうか。自伝素描

        • インファンテ:アンダルシア舞曲

          M.インファンテ (1883-1958) スペイン バルセロナでピアノと作曲を学んだ後、同郷の作曲家であるファリャやトゥーリーナが住むパリへ移り、オペレッタの指揮者、ピアニストとして活躍した。作曲家としてはスペイン民謡の旋律やリズムを、印象主義の語法で表現した作品を書く。 ♪アンダルシア舞曲 1921年 1.リズミックに:1拍目の衝撃的なアクセントと、その後に続く軽快なリズムによるファンダンゴである。 2.感傷的に:カデンツァで始まる。アンダルシア地方のフラメンコに見られ

        ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第1番「雨の歌」ト長調 作品78

          フォーレ:パヴァーヌ Op.50、シチリアーノ Op.78、ラシーヌ讃歌 Op.11

          G.フォーレ (1845-1924) フランス フランスの作曲家でサン=サーンスにピアノと作曲を師事。パリのマドレーヌ寺院などのオルガニストを務め、パリ音楽院の作曲家教授、後には院長となった。 ♪パヴァーヌ Op.50 フォーレの名を一躍世に広めた作品である。パヴァーヌとはスペインに起源を持つといわれる16世紀の宮廷舞踊。孔雀(Pavo)の優美さを真似た踊りであることからこの名前が付いたともいわれる。ゆったりと威厳のある舞曲。1887年にバレエ付きの管弦楽曲として書かれた

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          ラヴェル:スペイン狂詩曲

          M.ラヴェル 1875-1937年 フランス フランスの作曲家であるが、スイス人の土木技師の父、バスク出身の母のもと、フランスのスペイン国境に近いバスク地方で生まれた。フォーレに作曲法を習い、印象主義の作品を書く。ロシアやスペイン、東洋、そしてジャズなどあらゆる音楽に対して興味を持ち、それらが作品にも表れている。 ♪スペイン狂詩曲 1907年に4手ピアノ版、1908年にオーケストラ版を完成させている。「私は狂詩曲のスペイン的な性格に驚かされた。……ラヴェルのスペインは母

          ラヴェル:スペイン狂詩曲

          カプースチン:ディジー・ガレスピーの“マンテカ”によるパラフレーズ Op.129

          N.カプースチン (1937-2020) ウクライナ カプースチンはジャズとクラシックを融合させた作品を書く作曲家である。彼自身も卓越したピアニストであり、自作自演のCDも数多くリリースしている。 ♪ディジー・ガレスピーの“マンテカ”によるパラフレーズ Op.129 ディジー・ガレスピー(1917-1993)はアメリカのジャズトランペット奏者であり、作曲家としても≪チュニジアの夜≫など多くの作品を残している。≪マンテカ≫はジャズの中でもビバップという自由な即興演奏を行うジャ

          カプースチン:ディジー・ガレスピーの“マンテカ”によるパラフレーズ Op.129

          J.S.バッハ:2台のチェンバロのための協奏曲 ハ短調 BWV1060

          J.S.バッハ (1685-1750) ドイツ バッハは1729-37年にかけて複数のチェンバロのための協奏曲を創作したと考えられている。これらの協奏曲は、バッハ自身、そして二人の息子達(W.F.バッハ、C.P.E.バッハ)や弟子によって演奏されたのだろう。 ♪2台のチェンバロ(ピアノ★)のための協奏曲 ハ短調 BWV1060 原曲は2つの旋律楽器と弦、通奏低音のための協奏曲である。旋律の音型や歌いまわしから、≪ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲≫BWV1060Rとして復

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          グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ短調 作品45

          グリーグ/ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ短調 作品45  E.グリーグ(1843-1907)は、民族ロマン主義を代表するノルウェーの作曲家である。彼は21歳の時に、ノルウェーの国民楽派の作曲家の一人であるリカルド・ノルドロークと出会ったことがきっかけとなり、「ノルウェーの自然、民衆の生活、歴史そして民衆の詩を書くこと」を生涯の目標とするようになった。彼は後半生、ノルウェーの奥地に住んだり、山岳地帯への旅行を通して、民族音楽に基づいた創作を行った。  この作品は、彼がすでに作

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          サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ 作品28 イ短調

          692字のロングバージョンです。  C.サン=サーンス(1835-1921)は近代フランスを代表する作曲家であるが、ピアニスト、オルガニストとしても名を馳せ、さらには天文学、哲学、文学、考古学、民俗学、素描家などとあらゆる分野に精通した人物であった。1871年にはフランス音楽の振興のために「国民音楽協会」を設立している。  序奏とロンド・カプリチオーソは1863年に作曲され、当時の人気ヴァイオリニストであったパブロ・デ・サラサーテに献呈された。この頃、東洋趣味や異国趣味といっ

          サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ 作品28 イ短調

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          286字のショートバージョンです。 C.サン=サーンス(1835-1921)は近代フランスを代表する作曲家であるが、ピアニスト、オルガニストとしても名を馳せ、さらには天文学、哲学、文学、考古学、民俗学、素描家などとあらゆる分野に精通した人物であった。1871年にはフランス音楽の振興のために「国民音楽協会」を設立している。 序奏とロンド・カプリチオーソは1863年に作曲され、当時の人気ヴァイオリニストであったパブロ・デ・サラサーテに献呈された。この頃、東洋趣味や異国趣味といった

          サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ 作品28 イ短調

          J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004より第5楽章 シャコンヌ ニ短調 4分の3拍子

           J.S.バッハ(1685-1750)は、ケーテンの宮廷楽長時代(1717-1723)の1720年頃にこの曲を含む、無伴奏ヴァイオリンのための三つのソナタと三つのパルティータ(BWV1001-1006)を書き上げた。バッハはそれまで単旋律楽器、あるいはリピエーノ楽器と考えられがちであったヴァイオリンの機能や、重奏法、ポリフォニックな演奏技法をここで大きく発展させた。ソナタはイタリアの教会ソナタの様式に基づいているのに対して、パルティータはフランスの宮廷舞曲を並べた組曲の様式に

          J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004より第5楽章 シャコンヌ ニ短調 4分の3拍子

          J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004より 第1~4楽章

          J.S.バッハ(1685-1750)は、ケーテンの宮廷楽長時代(1717-1723)の1720年頃に無伴奏ヴァイオリンのための3つのソナタと3つのパルティータ(BWV1001-1006)を書き上げた。バッハはそれまで単旋律楽器、あるいはリピエーノ楽器と考えられがちであったヴァイオリンの機能や、重音奏法、ポリフォニックな演奏技法をここで大きく発展させた。この曲を含むパルティータはフランスの宮廷舞曲を並べた組曲の様式に基づいている。第2番は最終楽章に壮大なシャコンヌが置かれている

          J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004より 第1~4楽章

          ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー

          G.ガーシュウィン (1898-1937) アメリカ ♪ラプソディ・イン・ブルー  10代初めのガーシュウィンは学校では問題を起こし、ホッケーやローラースケートに興じ、街をうろつき、喧嘩、女・・・と全てやりつくしたといってもいいほどの筋金入りの悪であった。だが当時のニューヨークの街はポピュラー音楽が花開き、バーにはピアニスト、通りにはハーディ・ガーディ、ゲームセンターには自動演奏楽器が置いてあり、といたるところに音楽が流れており、少年ガーシュウィンに少なからず影響を与えていた

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          ショスタコーヴィチ:2台のピアノのための組曲 嬰へ短調 Op.6

          D.ショスタコーヴィチ (1906-1975) ロシア ♪2台のピアノのための組曲 嬰へ短調 Op.6 1922年ショスタコーヴィチの父が突然亡くなった。まだ彼がペテルブルク音楽院在学中の15歳の時のことである。その死の翌月、父の思い出に捧げ書かれた作品がこの組曲である。 1.前奏曲 全体は4曲からなり、前奏曲は同じロシアの作曲家ムソルグスキーやラフマニノフを思わせる鐘のモチーフが全体を通して響き渡り、力強い旋律を持つテーマ、和音、そして瞑想的で静かな旋律が織りなされてい

          ショスタコーヴィチ:2台のピアノのための組曲 嬰へ短調 Op.6

          ブラームス:2台ピアノのためのソナタ ヘ短調 Op.34b

          J.ブラームス (1833-1897) ドイツ ♪2台のピアノのためのソナタ ヘ短調 Op.34b 1862-1864年完成。 この作品はもともと弦楽5重奏曲として作曲され、その後2台ピアノ版、さらにそれを土台にピアノ5重奏曲へと改作されていった。弦楽5重奏においてはブラームス自身、弦にその能力以上のものを求めていたため、友人であるヴァイオリニストのヨアヒムは「精力的な演奏でなければ不明瞭に響く」と指摘している。 2台ピアノ版も作品として素晴らしいことには違いないが、弦楽器の

          ブラームス:2台ピアノのためのソナタ ヘ短調 Op.34b