奥多摩合宿ー7

暑い。朝のうちは涼しいが、午後は暑い。午後は川へ行くがそれでも日没までは暑い。
中日を過ぎて生徒たちの出入りもあるが、予想に反して各人ダレることなく皆午前の学習に集中している。
作業的なものをするときには、よりアタマの中を冴えさせて高速で早く終了するように集中する。
テキストを読むときには、絶えずダイアローグをして、そこに書いてあることを完全に理解するように努める。
漢字英単語の学習では、発声、イメージ、連想といった多重なアタマの働きを行い、より明瞭に覚えるにはどうしたら良いのかを絶えず自分に問いかける。
さて前回まで、参加生徒のことを記述したが、今回は合宿を支えるスタッフのことを記述しよう。
奥多摩庵主、TOKYO SAWYER代表の前田は、神戸出身の37歳で2女の父親。大手進学塾に勤務して、その教育のあり方に疑問を禁じ得なかった彼は、このブログを読んで、ここに書かれてあることが「本当か?」と散々逡巡した上で私を訪ねて来て、焚き火教育に参加し続けた。もう10年以上も前のことである。IT関係や映像撮影編集が得意で、創造的能力が高い人物でもある。料理も運転も上手である。一橋大大学院卒。私のメソッドに賛同して、EDORGを設立して、音読指導者を養成する活動を推進している。また、この奥多摩古民家を借りることに成功したのも彼である。この合宿は全て彼の管理のもとで運営されている。つまり、彼がいなければこの合宿は始まらなかった。文章もお手のもので私との共著もある。
「レイ先生」こと大澤は、29歳。東京出身で芸術家の母親に連れられて私の元へ来た時はまだ11歳だった。この男はそこそこ勉強も得意で内申点は高いのに、私の勧めで自宅から5分の都立農芸高校に進み、そこで測量士など多種の資格を取り、首席で卒業して、これまた私の勧めで東京農大短期に進んだが、そこからのバイト生活体験がものすごい。まるで作家になるためのようである。まずは、イタリア料理店に勤めてピザ、パスタなどの作り方を一通り覚えるとこれを辞め(これも半ば私の指示:技術を習得したらそのバイトはおしまい)、富士山山小屋一夏バイト、厳冬期蔵王山頂リフト小屋、小笠原道路建設、4年制に編入して、ヒマラヤ・マナスルドローン測量隊参加、サンフランシスコでバイト英語留学、その他ここでは書かないが平和な日本でこれほど実際的人生経験が多い若者は珍しい。しかも全部バイトで自費で賄う。寛容で優しい性格で友達の人望も厚い。焚き火教育スタッフとして初期から参加。やがてブイネットで教えるようになり、一方でモンテッソーリのディプロマを取り、能力開発教育研究に力を入れている。もちろん文章も書き、ブログの連載もしている。
もう一人の原は、宮城出身の27歳。首都大東京工学部を経て、音読教育に興味を持ち、人の紹介もあって、このブログを読んで訪問してきた。この人も奥多摩古民家教育などの運営になくてはならぬ人物であり、ラグビーや柔道をしてきたというガッチリした体格のスポーツマンで、カヌーを使った「水上教育」も始めている。真面目で誠実な性格で、味覚に優れ、美味しい料理を提供して生徒たちに喜ばれている。事務所移転の不動産関係の対処では、厚い法律書を徹夜で何冊も読破する集中型の勉強ができる人で、まさに企業が欲しがるような人材が私の活動に協力してくれるのは本当にありがたいことである。若者らしく成長が著しく、さらにこれから先の発展が期待される。
以上、他では見られぬ個性的で、また現代社会では珍しい行動体験型の男たちのスタッフが自主的に参加してこの奥多摩古民家焚き火教育活動が成立連続している。
読者ご存じの通り、私は自分が雇われることも人を雇うこともしない人間である。個人教授一本で食べてきた私には、人が働いた上前をハネることは出来ない相談である。ゆえに仕事は紹介するが、後は自分の責任でやってもらうことになる。若い人たちの協力がなければこうした活動は実践できない。しかし、この教育実験活動には、子どもたちの能力向上という確実なる手応えがある。その歓びは他に変え難い。
究極我々は、良い教育環境を設定することにより、子どもたちのアタマが良くなることを見守ることに他に変え難い快感味わう幸福な教育者たちと言えるかもしれない。
彼らのおかげで、生徒たちは仲良く大騒ぎもしながら学習連続している。この連続は2学期以降に大きな収穫をもたらすだろう。
今日はこれから、新規参加の中高生たちが来る。
これから希望者に野外音読指導をする。
朝日を浴びた「珊瑚礁」は本当にえも言われぬほどに美しい。

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