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誕生月のDMに母を想った

10月は郵便物とメールが増える。

「お誕生日おめでとうございます!お誕生日クーポン券をとプレゼントいたします」「お誕生日おめでとうございます!500ポイントをプレゼントいたします!」

いやいや、どーも。
ありがたいような、出費が増えるだけのような複雑な気持ちになる。

けれど、少し値の張る物を買うならば、ありがたく使わせていただく。
そうして、郵送されたはがきをバッグにしのばせ私は買い物に出かけた。

10月に入ったというのに、まだまだ日差しは夏のように強く、日傘をさして歩いていた。

誕生日か。
祝ってもらう日ではなくて、産んでくれた母に感謝する日。

そこまで考えて急に鼻の奥がツンとしてしまった。

私は母にちゃんと感謝してきただろうか。

あの日の母の姿を思い出し、のどの奥が痛くなり、涙が溢れ出てきた。

私は逆子だった。そのために出産は帝王切開になった。
母はケロイド体質で、傷跡が赤くみみずばれのように盛り上がってしまうのだ。夏はかゆみを伴い、冬は皮膚がひっぱられるような痛みがあるようだ。ベルトで締め付けられるような服を着ることもできない。何より見た目がすごい。母の傷跡はみみずばれというより生の肉が張り付いているかのような外観だ。肉体的にも精神的にもどれほどつらいものだろう。

私が小学校に上がる前のことだったと思う。
母と一緒にお風呂に入っていたときのことだった。

母のお腹の傷を見て、私は「痛かったね」と言った。
私の言葉を聞いた母が、声を潤ませたかと思うとみるみる涙をぼろぼろこぼし、嗚咽した。

何度も何度も「ありがとう」「ありがとう」と声にならない声を途切れ途切れに絞りだし、母は泣いた。

けれど、幼かった私はどう反応していいのか分からなくなってしまった。自分が言った一言で、母がこんなに感情を爆発させるのを見て引いてしまったのだ。

何度も繰り返される昔話の一つとして、この時の話は今までに何度も聞かされた。そのたびに、母は泣き、私の感情は複雑なままだった。

多感な中高生の頃は、その話になると、もうやめてほしいとまで思ったものだった。

誕生日は産んでくれた母に感謝する日。

あの日、なぜだかわからないけれども急に記憶が蘇った。そして、母の気持ちが素直に理解できた。母が流した涙ほどではなかったけれども、私も日傘で顔を隠しながら泣いた。

今度、帰ったら、もっとちゃんと話を聴こう。
今まで素っ気なくて「ごめんなさい」。
「ありがとう」も伝えよう。

そう思った。



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