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前衛すぎて評価してもらえなかった壁画コンテストの思い出

学校祭という言葉を聞くと、胸の奥がぎゅっと痛くなるような何とも言えない悔しさがこみ上げてくる思い出がある。

私が卒業した高校では、毎年とても充実した内容で盛り上がる学校祭が行われていた。学校祭のイベントの中でも壁画コンテストは、クラスごとに大きな壁画を作り、学年別に競い合うイベントでとても人気があった。

高校3年生のとき、クラスには美大へ進学を希望していたMちゃんがいた。
壁画コンテストのリーダーはもちろんMちゃんが務め、てきぱきと下絵を描きクラスのみんなに指示を出した。

空き缶をできるだけたくさん家から持って来て!

私たちは空き缶が壁画にどのように使われるかもわからぬまま、翌日から空き缶を持って登校した。Mちゃんは、壁画に色を塗るのではなく、空き缶の色と形を使って彼女のテーマを表現しようとしていた。

集めた空き缶は等しく同じ形に切ることになった。空き缶は、大量に使用されるため、持ってきた数では足りなくなった。

登校時、家の近所や学校の周りで空き缶をみつけては洗い、みんな必死になって指定の大きさに缶を切っていった。

クラス一丸となって頑張れたのは、Mちゃんの壁画の絵と空き缶を使って表現するその技法がとても格好がよくて、その前衛的なアートに痺れていたからだったと思う。

誰もが優勝間違いないと確信して、コンテスト当日を迎えた。

どのクラスも力作だったが、私たちのクラスに比べると牧歌的なものが多く、やはり私たちは優勝できると自信を新たにした。

来場者の目を引く大きな壁画。私たちのクラスの作品は、その特異な外観でひときわ目立っていた。

しかし、審査の結果は、なんと2位だった。

私たちの落胆ぶりったらなかった。怒りをあらわにする者も多かった。
なぜなら、審査員長である科学の初老の先生が前衛アートに全く理解を示さず「こんなわけのわからんものに優勝はさせられない」と言ったからだった。

悔しくて悔しくて私たちは怒りをどこにぶつければいいのかわからなかった。一番悔しかったのは、もちろんMちゃんだ。涙目になって、小さな体をブルブル振るわせていたのを覚えている。

美大を卒業後、イラストレーターになったMちゃんは新聞の連載小説の挿絵の仕事をしていた時期があった。

図書館でその新聞を広げ、懐かしい彼女の名前と絵を見たときは、同級生として本当に誇らしかった。

壁画コンテストのことは、Mちゃんにとってどんな思い出になっているのだろう。

Mちゃん、会ってゆっくり話したいね。



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