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国宝が国宝を見る、国宝展

今、日本のなかでクリスマスシーズンのディズニーランド並み、いやそれ以上に人気を集め、ごった返している場所をご存知だろうか。

それは上野の東京国立博物館で開催中の「国宝展」である。同館が所蔵する古文書や工芸品などすべての国宝89点が、初めて一挙に公開されている。

例えば、武装した人物をかたどった埴輪、奈良時代の竹厨子、平安時代や鎌倉時代につくられた宝剣、甲冑、掛け軸、浮世絵、茶碗、屏風などである。教科書で見るような品々が、右を見ても左を見ても陳列されているといえばイメージしていただけるだろうか。

会期は10月半ばから12月半ばまでの2カ月間で日時指定制となっており、残念ながらチケットはすでに完売したそうだ。人気のあまり、本来2000円のチケットがネット上で1万円以上で転売され、問題となっているほどだ。

それほど「国宝」という響きは、万人の心を震わせ、ひきつける。

かく言う、私にとってもそうだ。私はアートの仕事をしている。その手前、「アートと言えば、クラシックなものよりコンテンポラリーでしょう」と通を気取っているが、この夏に「国宝展」の開催を知った時、「おおっ!」と興奮する手でチケットの発売日をカレンダーに赤字で書き込んだ。それで入場券をなんとか入手できたのだ。

今回、チケットを取れなかった人には、「e国宝」というサイトですべての国宝をチェックできることをここでお伝えしておきたいと思う。

当日、私は早めに家を出て、夕方のラッシュで混み合いはじめた山手線に乗り込んだ。東京国立博物館は、平日でも20時まで開館している日があるのだ。

その道すがら気になっていたことを調べた。国宝と重要文化財の違いである。

重要文化財には、建物と美術工芸品の2ジャンルがあり、合計約1万2000件が認定されている。重要文化財と侮るなかれ。なかには、法隆寺の金剛力士像、写楽の浮世絵など有名なものがたくさんある。

注意しなければならないのは、重要文化財には2種類が存在していることだ。文部科学大臣が指定した「国の重要文化財」と、地方自治体の指定を受けた重要文化財である。

国宝は、「国の重要文化財」から選ばれる。まさにエリート中のエリートたちだ。現在、897件が認定され、博物館のほか個人や社寺、法人が管理している。

上野公園のなかを横切ると、噴水の向こうにライトアップされた東京国立博物館が見えてきた。ヨーロッパの重厚な建築を思わせる威風堂々としたたたずまいである。

入館の長い行列ができていたが、係員の誘導で飲み込まれるようにどんどん中に進んでいった。会社帰りであろうスーツ姿の男女、若いカップル、茶道や華道をたしなんでいそうなフェミニンな装いの女性グループ、帽子をかぶったアーティスト風の男性、いかにも美術通といったご高齢の方までさまざまであった。

音声ガイドのレンタルの受付にも行列ができている。一つでも知識を得たい、一つも取りこぼしたくないという思いが伝わってくる。

私は、ふだんアートの仕事をするなかで、師匠のような存在であるアートディーラーMr.カトウから「なんでも第一印象で判断するように。解説を読まないように」と言われているので、今回は特に音声ガイドを借りたい強い欲求にかられたが、なんとかそこから逃れて展示室へ入った。

館内は、絵画、書跡、宝物、宝剣などカテゴリーごとに見やすくわけられていた。

事前に出品目録をチェックするなかで見たいと思っていたのは、安土桃山時代の狩野永徳の屏風だ。狩野派の絵を見ると、自然と彼らへの尊敬の念が湧いてくる。

「狩野派」は、室町時代から幕末までの400年間、幕府や諸大名の御用絵師として圧倒的に支持された、血縁関係で結ばれたアーティストの一派だ。

なかでも永徳は、安土城や大阪城の障壁画を手がけた。つまり、織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕えたのだ。彼の作品のモチーフとしては、主に唐獅子や古木などが選ばれ、ダイナミックなタッチで仕上げられているのが特徴だ。

今回、展示されていたのは、いかにも永徳らしい樹齢を重ねた檜を描いた屏風であった。高台にどっしりと根を張り、何百年とかけて生育したであろう太い幹に対して、自由な若々しい枝ぶりが対照的だ。「年を取っても遊び心を持つように」というメッセージが感じられる。

檜が下方に望むのは、金色の雲の合間から見える高い山と鮮やかな海のブルー。皇族であった八条宮邸の障壁画として描かれたと伝わっている。男性的ななかにもどこかエレガンスを感じるのは、発注者の好みによるものなのだろう。

狩野永徳は、さまざまな注文者の要望、おそらく時には無茶な内容に応えながら、依頼主の期待を上回る作品を生み出していった。それも天下動乱の時代にである。彼の絵に見入ってしまうのは、表現に命を燃やし尽くしても構わないといった気迫を感じるからだと思う。

時間指定制とは言え、展示室は混み合っていた。空いているエリアを求めて入ったのが、東洋書跡のコーナーであった。ほっとして陳列品を見ていると、背広姿の中年の男性がやってきて、一つの書跡の前で深くお辞儀をして両手をあわせて鑑賞を始めた。

それは、馮子振(ふうししん)という中国の文人が、彼の地で修行中だった日本僧の無隠元晦(むいんげんかい)のために、自作の七言絶句を書き与えた「無隠元晦あて法語」というの墨書であった。無隠元晦は、帰国後、京都の建仁寺の主になった人物である。

美術品に一礼する人を見たのは初めてである。「やっぱり国宝って、すごいな」と両手を合わせたままその前から離れない男性を通じて、本物が持つ力を認識した。

展示品のいくつかは、ガラスケースに入れられて四方から眺めることができるようになっていた。特に飛鳥時代の「竜首水瓶(りゅうしゅすいびょう)」のガラスケースのまわりには人だかりができていた。7世紀に日本でつくられたとされる銅製の水差しである。

皆、ガラスに鼻をこすりつけるくらい近づいて、じっと見たまま動かない。世界に1点しかない貴重な品だから、そうなるのも当たり前だ。

しかし、ふと私は気づいた。この世にたった一つしかなく、たぐいない存在といえば、今、竜首水瓶を見ている人たちこそがそうなのではないか。そして、自分もそうだし、人間一人一人もそうなのではないだろうか。

本来、国宝は、国宝だから珍重されるのではない。それぞれの品にその品にしか語り得ない歴史や美があるから価値があるのだ。国宝であることは第三者が後から決めただけのことだ。

「ガラスの向こうにいて、国宝を見ている人たち自身が宝のような存在なんだ。皆がそのことに気づいてくれるといいな」と私は心のなかで祈った。

そして、思った。
「ああ、そうか。自分はこのままの自分で価値があるんだ。他人に惑わされることなく、どんな時代になっても自分であり続けよう」

そのような感想を持てたことが、国宝展を見た最大の収穫であった。

《終わり》


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