スウィング・ジャズとモダン・ジャズの間に横たわる溝の正体。人種差別と戦った男・Frank Sinatraから学ぶ。

TBSラジオで毎週金曜日8時30分~午後1時まで放送の「金曜ボイスログ」
シンガーソングライターの臼井ミトンがパーソナリティを務める番組です。
 
このnote.では番組内の人気コーナー
「臼井ミトンのミュージックログ」の内容を書き起こし。
ちなみにyoutube版では動画も公開しているのでそちらも是非。

スウィング・ジャズとモダン・ジャズの間に横たわる溝の正体。
人種差別と戦った男・Frank Sinatraから学ぶ。
 

前回のおさらいから… 

前回のミュージックログではFrank SinatraはTony Bennettと違って何故ジャズシンガーとして評価されないのか?というお話をしました。
その中で「ジャズ」という言葉の定義の難しさについてもお話しました。
 
ちょっとおさらいしますと、ジャズはもともとアフロアメリカンのコミュニティで誕生した酒場の音楽。踊るための音楽だったわけです。
それが、戦後すぐ1940年代後半くらいからでしょうか、ダンスミュージックであったはずのジャズから派生して即興演奏の芸術性を競うような音楽が生まれました。つまり大衆の娯楽のための音楽ではなく、よりアートに近い音楽が生まれたわけです。

そのアート性の高い即興重視のジャズを「モダンジャズ」と呼びますが、Frank Sinatraはモダンジャズが誕生する以前の、大衆音楽としてのジャズを踏襲する「スウィングジャズ」の代表格とも言える歌手ですから、当然、
モダンジャズを嗜好する方からは、あまり好かれない。そんなお話でした。
  
ただですね、この大衆娯楽音楽としてのジャズ、そしてアートとしてのモダンジャズ、この2つを隔てているものっていうのは、音楽性の違いだけというわけではないんです。そもそも何故、踊るために酒場で流れる音楽だったジャズから枝分かれして、アート性の高いモダンジャズが生まれたのか。
せっかくなのでその辺りも、もうちょっと掘り下げてみたいなと思います。
 

「ジャズ」と「スウィング」、「リズムアンドブルース」と「ロックンロール」


もともとはアメリカ南部のアフロアメリカンの人々によって生み出された
ジャズですが、これが時代を経て徐々に北部にある都市部の白人の間でも
ダンスミュージックとして流行します。ラジオやナイトクラブを通して、
上流階級の白人のお客さんがダンスを楽しむために演奏される音楽に変わってくるんですね。
 
ところが、ジャズという言葉。もともとは黒人の労働者階級の間ではかなり〝いかがわしい〟意味を持つスラングなんですよ。まぁもともとが夜の世界で生まれたダンスミュージックですから、その音楽のことをちょっと〝いかがわしい〟スラングで呼び始めたんでしょう。

ちなみにジャズという言葉の語源については他にも諸説あるんですけど、
とにかく都会に住む白人の上級階級の方々がこの音楽を楽しむにあたって、ジャズという言葉だとちょっと口にしづらい。
それにあんまり下品なスラングだと、ラジオで流すにもレコード化・商品化するにも困るじゃないですか。もう少しお上品な呼び名は何かないかなと。それで、この音楽はジャズではなくて「スウィング」と呼ぶことにしよう!と、白人たちが勝手に決めたわけです。
 
アメリカ南部のアフロアメリカンの文化として夜の街で生まれた音楽が、
そうやって名前さえも変えられて華やかな白人の富裕層のためのダンスミュージックとして消費され始めたわけです。
 
アメリカの音楽というのは常にそういう側面があって。例えば同じアメリカ南部のアフロアメリカンの人々が生み出した「リズムアンドブルース」
という音楽。これは、白人が「ロックンロール」なんて洒落た名前を付け、商品化するわけですね。

歌だけ白人の歌手にすげ替える、あるいは、黒人の歌手が歌っていても
レコードのジャケットには白人の写真を載せて白人のマーケットに売る。
黒人のミュージシャンや作曲家には、ろくすっぽ印税も払わない。
20世紀のアメリカの音楽っていうのは、ジャズに限らず、そうやって黒人が生み出した文化を白人が勝手に商品化してお金儲けするっていう図式があるわけなんです。言うなれば、文化における植民地支配ですよね。
そういうことがず〜〜っと続いて来たんです。
 

文化さえも搾取される立場から常にカウンターを生み出す

 
ただし、アフロアメリカンの人々はただでは起きません。
白人によってスウィングなんて名前を付けられてジャズが白人富裕層の娯楽になってしまったあと、アフロアメリカンの彼らはどうしたかというと
猛烈な演奏技術と高度な音楽理論を応用して即興演奏で競い合うという、
大衆音楽とは全く別の方向にジャズを進化させたわけです。
それが「モダンジャズ」ですね。

彼らのクリエイティビティっていうのは絶対に屈することがないわけです。「リズムアンドブルース」が「ロックンロール」と名を変えて一大産業に
なった後、彼らがヒップホップという新しい音楽を生み出したのも、モダンジャズ誕生と同じような図式だと僕は思っているんですけど。
抑圧される立場にあって、文化さえも搾取される立場にあっても、常にカウンターとなる文化を生み出し続けて来たわけですね。
 
このようにですね、スウィングジャズとモダンジャズの間には、音楽性の
違いはもとより、人種間の文化の断絶、というか文化の盗用、文化の植民地支配という非常に重いテーマがそこに横たわっているわけなんです。

ですから、Frank Sinatraなんかを聴いて「そんなもんジャズじゃねぇ」って言うのは、ある意味歴史的に見ても正しい意見なわけです。白人マーケット向けに商品化された音楽、その名も「スウィング」ですから。
確かにアフロアメリカンの方々が文化として育んだジャズとは別物です。
 
ただ、スウィングジャズとモダンジャズ。これは音楽的にどっちが優れている劣っているではなくて、ジャズが二つの異なる文化に枝分かれした。
ただそれだけなんですね。歌と華やかなビッグバンドで大衆娯楽作品としての完成度を高めるか、修行僧のように即興演奏の芸術性を高めるか。
言うなればハリウッド超大作とミニシアター系アートフィルムの違いみたいなもんですかね。
スウィング側の頂点にいるのがFrank Sinatra。そしてモダンジャズの頂点にいるのは…おそらくMiles Davisかな。
 
スウィングジャズの方が明らかに大衆娯楽の成分を多く含む、お金の匂いがするジャンルなだけにどうしてもFrank Sinatraというのは音楽ファンからは商業音楽の権化のように映るだろうし、ともすれば音楽における植民地支配の「支配する側」の頂点に立っているような見え方もしてしまう。
その結果、その音楽的な素晴らしさや音楽の中身そのものがあまり語られない傾向にあるというわけですね。
 

自身もマイノリティであり人種差別に立ち向かうFrank Sinatra


Frank Sinatraの名誉のために言いますけど、人種差別が強く蔓延る時代の
アメリカにおいて、彼は自分自身が移民の子でマイノリティという自覚も
あったせいか人種差別にはとことん反対して立ち向かった人だったんです。
 
人種間の文化的な断絶であったり文化の植民地支配なんていう話は、音楽が
商業化される過程でのマーケットだったり業界の商慣習による断絶であって、なので文化の断絶というよりはマーケットの断絶と言った方が正確かもしれないですね。

いずれにせよ現場のミュージシャンには全く関係のない話ですし、むしろ
当時のアメリカでは音楽の現場っていうのが人種の垣根の無い唯一の職場だったくらいじゃないでしょうか。
Frank Sinatraは中でも特に人種差別とは徹底的に戦った。
 
ただ、そのせいで保守系メディアからは大いに攻撃されてしまったんです。大スターなのに表立って人種差別に反対する白人というのは当時かなり珍しい存在でしたから、保守系のメディアからマフィアとのつながりなんかを
盛んにかき立てられ、めちゃくちゃに攻撃された人でもあるんですよ。

そういうネガティブキャンペーンのイメージが後々まで残ってしまって、
挙句の果てにゴッドファーザーの映画の中でもネタにされ、マフィアとつるんでいたダーティーなイメージがすごく強く残ってしまったわけです。
彼が音楽性や文化の文脈で語られず、タブロイドを賑わしたセレブとして
扱われてしまう要因が実はこういう部分にもあるんです。
 
そこに僕はすごくもどかしさを感じてしまうわけなんですが、
そんなFrank Sinatraの音楽的な魅力、素晴らしさをお伝えするにはこの曲の歌唱を聴いていただくのが手取り早いんじゃないかと思います。
針の穴を通すような素晴らしい音程のコントロール、柔らかで滑らかなフレージング、それでいてスウィング感を一切失わないという、もはや神業。

アレンジは先日かけた曲と同様Nelson Riddleですが、Frank Sinatraの歌唱に合わせた非常に柔らかなサックスの音で始まりロマンチックなストリングスも合流する、Frank SinatraとNelson Riddleのタッグの数ある名演の中でも
特に素晴らしい一曲です。

1956年の名盤
「Songs for Swingin’ Lovers」から「You Brought a New Kind of Love to Me」


youtube版では動画で同様の内容をご覧いただけます。


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