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「真っ赤なブルー」を見つけたい

YUIの「Summer Song」という曲の中に、
「”真っ赤なブルーだ”」というフレーズがあります。

私はこの曲を聴くたび、歌うたびに、初めて聴いた時と同じように毎回このフレーズがしばらく頭の中で余韻のように、残り続けます。

この「真っ赤なブルー」という表現、ファンの間では「夕焼けに染まった海」という解釈もあるらしいのですが、私は違うと思っています。
あくまで個人の見解ですし、曲の解釈って歌手ご本人の意図以外にもいろいろ受け取り方があっても良いとは思っていますが。

たぶん、誰もが経験あると思うのですが、好きな人や大事な友人たちとの”すごく大切な時間”って、目の奥に深く残るような感覚がする一方で、光って見えたりふわふわとぼんやり見えたりして、すごく大切なのに後からは思い出しづらかったりするような、そんな見え方すると思うんですよ。
(漫画「ちはやふる」でも似たような表現があったような。「逢みての〜」のうたが出てきた時に。)

”真っ赤なブルーだ”。
そんな時にみた”海の景色”だったんじゃないかな、と思っています。

ーー

noteを始めて最初の記事で、
「言葉に落としてしまうと考えたことや体験がその言葉が乗ってでしか思い出せなくなるからブログを始めるのを渋っていた」という話を書きました。

noteを書き始めてから、毎日のアンテナの張り方が変わったし、頭の整理もつきやすくなったので始めてよかったなー、と思いつつもやはり「伝えたいけど言葉にしたくない」と感じるモノやコトも多く、バランスが難しいです。

そんな時に、「うまく、感覚的なモノを言葉にした表現ができないものか」と考えるのですが、「真っ赤なブルー」がまさにそれのような気がしていて、こんな表現絶対に真似できないと感じながらも、そんな文章がかけたらこの上なく素敵ではないかと、思うのです。

ーー

とはいえ、こうも思うのです。
”「真っ赤なブルー」は、情景を伝えるために計算して生まれた表現ではきっとない”と。

考え尽くして表現を産むのも、とても素敵だと思います。
でもその時点で内容は咀嚼されきって、最初の感覚を失っているような気がして。
(”感覚や感情”ではなく”内容”を伝えるのであれば絶対にこちらが良いのですが。いわゆるコピーライターのお仕事。)

きっと、この曲の中でその海をみた人は、感覚的に「真っ赤だ。」と感じたんじゃないかなぁ。

そんな瞬間を、私も体験してみたいし、そういう伝え方をしてみたいな。

ーー

余談。

ほんの少ーし、上に関係ある話ですが、
以前私の友人がスタバのフラペチーノの上にのっているクリームの食感を「ハゲてる」と言ったことがあります。
たぶん、この表現も直感から生まれた言葉だと思って、ちょっと好きだなぁと思ったり。笑



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