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ちょっといい話があったけど別件で強めの説教をかました話

「アシンメトリーの果てに・その後編」で
父とサシで初めて飲みに行って、1軒目の
串揚げ屋さんを出た後の話。

・Aさんのバーにて

2軒目は俺が働くバーに連れていった。
父がどう思うかはさておき、俺はこんな
立派な格好いいバーで働いているんだぜ、と
胸を張って見せてやりたかった。
当時はオーナーが店に立って営業する日で、
同じ長崎県出身の彼らであるのを把握していた為
話が盛り上がってほしいと思ったが、
店が混んできたので手早く一杯だけ飲んで
また俺が会計を済ませて出た。

どうしたものか、まだ時間が余る。
「少しここから歩くけど、駅には近いし行こう」
と提案して、先輩のバーに案内した。
先輩とはいえ当時丁度40歳くらいだったと思う。
ここではAさんとしておこう。
1960年代〜1970年代の日本のサブカル文化を
格好よく散りばめた店内で、当時62歳頃の
父にすれば何だか丁度よい空間だったと思う。
基本的にはゆったり静かに飲める場所だ。
Aさんは情に厚いが寂しがり屋のオッサンで、
ある程度飲んだ俺が店を出ようとすれば

「オゥ寂しいやんけ利喜弥ぁー!
もう一杯くらい飲んでけや寂しいのー!
酷いなお前ェそんな奴やったんけー!?」

と、いつも決まって引き止めるため始末が悪いが、
ひとたび仲良くなれば最高の友達になり、
また最高の理解者になる。

Aさんを交えて色んな話をした。
3軒目とあり父はより表情豊かで饒舌になった。
父は九州男児な見かけによらず酒は弱いが
心底楽しそうだった。俺も嬉しかった。
…彼自身の話ではないものの、父から下ネタを
聞いたのは初めてだ。


・あの時のアレと似た体験

終電の時間は近づき、そろそろお暇しますと
Aさんに伝えた。「オゥそうかちょっと待っとけ」
というと後ろを向いて待っている間に俺が財布を
取り出して持っていると、
カウンターの下で、一万円札を2〜3枚ほど

「おい、ほら」

と小声で言いながら渡そうとする。
それはもうさすがに

「エエって、そんなん別にエエから」

と断ると

「お前ももう女くらいおるやろ、
金要るやろ、そやから取っとけや、な」

と。

仕方なく受け取ったが、その瞬間に視界がいきなり水滴のようにプルプルと震えて、ぼやける程に
涙がバカ程出そうなったからグッと下を向いて、
鼻水が出るのも堪えた。
泣いているのを悟られないように。

・心に残るあの時のアレ

高校受験を控えた、中学3年生のときのこと。
同じ学習塾に通う同じ中学の友達と一緒に
模擬試験を受けに行き、帰りにハンバーガー屋で
駄弁って帰路についたのだが、その模試の国語の
文章問題が頭から離れない。
文章問題?もしくは長文読解というのか?

問題に採用された物語は“息子”視点で描かれる。
多少うろ覚えではあるが、その内容はこうだ。

進学だったか就職で上京してきた息子に会いに、
父が顔を見に故郷からはるばるやってきたため
一人暮らしの家に案内し、父を連れてちょっと
した観光をし、その夜、最後は何を話すでもなく
二人してさびれた食堂に行って玉子丼を
食べていたら、おもむろに父がいつも身に
着けていた金の腕時計を外して息子に差し出す。

「いらん。無ければ父さん困るじゃないか。」
「気にするな。金に困れば質にでも入れるといい。
安物だから大した金にはならんだろうけどな。」

それを断りきれず最終の列車に乗った父を
見えなくなるまで見送った。

…細部まではさすがに間違っているかも知れないが、
ざっくりこういう話で、この話が何とも良い話に
思われて、今日まで心に残っている。
今でもまだどの作家のどの作品かは分からない。

・あの時のアレが再現されている

その物語がフラッシュバックした。
シチュエーションとかはちょっと違うけど、
模試の国語の文章問題のあの場面が!今ここに!
あの話が心に残っているだけに、実際体験すると
涙が出そう。ダメだ。
これは作者自身も体験したのか?

さびれた食堂ではなく、先輩のバー。
玉子丼ではなく、ウィスキーのロック。
金の腕時計ではなく、現金。
「金に困れば質に入れろ」ではなく、
「女が居るなら金が要るだろう」。

うまく言えないが、何もかもが、琴線にふれて、
胸を締めつけるようで苦しくも嬉しい。

“この作者の気持ちを述べよ”みたいな問題、
俺が一番上手く書く自信がある。

一旦トイレに行き、涙を拭いて鼻をかんで、
Aさんには、父を駅まで送ってまた戻ります、
と断りを入れ、三たび俺が会計を済ませ、
荷物を置いて父と二人で店を出た。

・それはそれ、これはこれ、説教します

駅まで二人で歩いた。父は基本的に歩くのが速い。父の方が背が高く脚も長い。
60前半にして身体能力を強健に保ちながら
土木の仕事もバリバリこなすが故か、25歳の俺とて
そこそこ歩調は早いが合わせなくてはならない程。
道すがら、会ったら言おうとしたことを
思い出したのではっきり吐露した。

そもそも父は、我が子は結婚してもいいが
出産には反対だという思想の持ち主だ。
“お前達の子の世代には世の中は◯◯で”などと言って
頑として言い聞かせている。余計なお世話である。

そんなある日、上の姉がめでたくこの日の
2年程前に第1子を授かった。男の子だった。
次の年にも女の子が生まれた。
母子ともに健康で何よりである。
そして長男が生まれたとき、俺の両親は嫌い合う
形で離婚したが、礼儀をもって母は父に電話で
出産の報告をした。

「生まれたで、第1子は男の子やで」

それに対して父の第一声は

「当たり前に生まれたんか?」 

だった。
どういう事?もう、色々どういう事?
ニュアンスは汲めるけど言い方にモラルを
感じられないんですけど。当たり前とは。

この発言には家族一同ブチ切れ。
この件の事もあり、姉なりに思う所が色々あり、
孫は二人とも小学生になったが未だに
会わせたことがなく、両家の間では父(というか祖父)
は事実上存在しないのが暗黙の了解となっている。

……な訳で

「当たり前に生まれたんかって発言
どうかと思うで!!”もうちょい言い方無かった!?せやから姉ちゃんは会わせたくないって言うてるで!?」

他の家族とつながりが無いぶん、俺しか
言える人間が居ないんです。代弁しました。
それまでは普段我が子の口答えは許さなかったのに

「うん…まぁなぁ、◯◯と生まれてきた子が
無事に生まれてきたんかって聞きたかったんやぁ…」

「じゃあそう言ったら良かったんちゃうん?駅着いたわ、じゃあ気付けてな!じゃあ!また飲もな!」

と言って解散しました。

でもその後、前述の父子の物語と重なってしまって
泣きそうになったことをAさんに伝えて、

「宗教にハマっとるお父ちゃんやどうやてお前は
前に言うとったけど、飲めん酒飲んでお前と心から
楽しんどったやないか、それにな、最後コソッと
金を渡すくだりも全部聞いとったで。
お前はお前で思うところはあるかもせんけど、
俺はお前のお父ちゃん、嫌いちゃうぞ」

と、めっちゃ優しく話を聞いてもらってやっと
ボロ泣きして酔っ払って帰りました。

キレたり泣きそうになったり

キレたりボロ泣きしたり大丈夫か俺の情緒。


長かったですがやっと終わりです。


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