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限りない時間なんて早く過ぎればいいって そう願って いつも願って 急いでいたんだ

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夏が終わりますね。自分の定義では夏=8月末まで、なので、9月に入った時点でもう終わりで、いくら暑くても残暑と捉えてます。自分は夏特有のエモーションが好きで、もっとその辺り夏の間に綴りたかったけど出来なかったので、せめて夏の終わりの感覚を少し記したい。

今回振り返るのは自分の第2の故郷と言ってもいい神戸という街のこと。母方の祖父祖母が暮らし、毎年夏休みを過ごし、後に祖父が亡くなり祖母を俺の実家で引き取り、空いたところを自分が一人暮らしに使った一軒家。遠距離の恋人と沢山過ごした家。そこに、今回タイトルにも使ったGRAPEVINEの曲が強く絡んでくるのです。

・幼少の夏の記憶、神戸の山間にある祖父祖母の家、そこから見渡せる海の景色

神戸という街はとても景色が良い。三宮という都会部分が関西の中でもハイファイ(死語?)な印象を与えるが、そこから少し歩けば良い意味で古びていてノスタルジックな感情にさせる場所も多く、海外のレトロな建物が集まった異人館地区をはじめバラエティに富んだ楽しみ方ができる。

何より素晴らしいことは海と山の両方がある街並み、特に夏においてこの景色は様々なエモーションを巡らせてしまうに余りある力があった。幼少期、夏休みになるとこの街を訪れ、山から見下ろしたこの街並みが自分の原風景となった。

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先に書いたように、祖父祖母の家は神戸の、中央区の山間にあった。家の前に別の大きな家があったせいでベランダから海は見えなかったけど、少し散歩すれば神戸の街が一望できた。特によく見える場所は墓場からだったけど笑、漂う線香の香りもまた、夏の感触を強めていて悪くなかった。

夏という季節、そしてこの淡い景色が、自分に「ノスタルジック」という教えてくれたと思っている。子供の頃、友達が作れず、人波の中で生きることに常に不安を感じていた自分にとって、夏休み・そしてその期間に訪れるこの場所はある意味孤独や逃避の象徴でもあり、安堵と同時に寂しさというものがこの景色に呼応しながら自分の記憶に定着した。

・夏と孤独とGRAPEVINEの音楽

夏休みになると神戸の街に家族で訪れるのは定例で、それは自分が中学〜高校生の頃になっても続いていた。ロックを聴くようになり、既にGRAPEVINEにのめり込んでいた自分だったが、GRAPEVINEを聴きながら先述の景色を見たり、神戸の街を歩くことで更に深くその魅力に沈んでいくことになる。

なぜだか、異様なほどGRAPEVINEの音や田中和将が描く歌詞の世界が、神戸の街並みにフィットしているのだ。自分がGRAPEVINEを聴き始めたのは“From a smalltown”というアルバムで、そこからSing~TWANGSとリリースしていく過程がリアルタイムで味わっていて刺激的だったけど、特にこの時期の歌詞がどうもこの街の景色に逐一合う。

顔を歪めて街を行く 優しい歌はどこにある? 
歌はこうやって 風に紛れて 
誰にも聞こえないままで
君が伸ばした手は空に届いて 朝の光を連れて 
世界のどこかでは喜びが溢れ 
それは幻想かい?幻想かい?

例えばSing収録のこの“また始まるために”では、暑苦しいはずの夏の昼間なのに、汗が滴ってることすら意識にないほど冷めた感情、そしてそこにふと湧き起こる衝動の瞬間をリヴァーヴがかかったギターのノイズが表現するのだが、この「夏に冷めた感情」という状態が自分にとってあまりにリアルだった。

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普段の生活の逃避の場所であった夏の神戸という街は、自分にとって「ちゃんと孤独になれる場所」であった。この街に友達や知り合いはいない。実生活では友達は多少いても気は許せない、でも真の意味で孤独にさせてももらえない。

冷めた感情とは、諦念や傷つかないための予防策として感情を殺している状態と定義すると、自分は孤独の寂しさや誰かを求める感情をシャットアウトしていたのだと思う。だが隠しきれない渇望が溢れてくる。その感覚を見事に表してくれつつ、行き交う人々と滴る汗をよそに街を歩く自分の姿とこの曲が重なった。

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“季節の終わり 風の訪れにも
夏のからくり 解けやしないままに
予報は大嘘付き
身体中で待ってた明日 
小宇宙を埋め尽くした”

夏が終わりに差し掛かった、黄昏の時間になると“小宇宙”(TWANGS収録)がとにかく響いた。季節の終わりと誰かとの別れを絶妙に結びつけたこの歌詞もまた、木々が多く木漏れ日が降り注ぐ中央区の道中で聴くと「此処はその小宇宙ではないか」と錯覚しそうになった。

挙げればキリがないが、GRAPEVINEの曲たちはこの街の景色と、この街にいる時の自分の感情に次々と混ざり合っていった。

・GRAPEVINE田中氏の出身地が自分の祖母の家の近くだった

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これだけ異様なほど次々とフィットしてくるのは何故だろう。その一つの答えを後々に知ることになる。GRAPEVINEのボーカルで作詞を手がける田中和将氏は主に大阪の出身というイメージがついているが、それは小学校低学年で引っ越してからとのことで、幼少期を過ごしたのはどうやら自分の祖父祖母宅があったのと同じ神戸市中央区出身とのことだった。

きっと彼にとっての原風景も自分と同じ、この山から海が見下ろせる街並みだったのだ。仮説に過ぎないけども、この事実を知った時に鳥肌が立ったのを覚えている。歌や音や言葉で、人は自分の見てきた風景や人生を他者へ伝えることができるという、音楽の力をあらためて実感した瞬間だった。

・一人暮らしもこの街で、その家で。自分にとって寂しい街という印象は強くなる。

20歳の時、神戸にある音楽の専門学校に通い始めた。その頃、前年に祖父は他界、足腰の弱った祖母は一人で暮らせる状態でなく、自分の京都の家で暮らすことになり、結果空いた神戸の一軒家に自分が住まうことになる。

初めての一人暮らしだったし、それにしてはこの一軒家は大きく寂しかった。周りにも家が建ってるせいで日当たりも悪く孤独感は強まった。そんな最中、今のところ人生で最大の恋愛をして遠距離で付き合い始めた当時の恋人(これはまたいつか書きます)。

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彼女と過ごした時間の多くはこの家だった。彼女がこの家に泊まりにきている間は、学校で授業を受けて帰ってくると、奥の方から料理をする音と匂いと、そして「おかえり!」と微笑んで出迎えてくれる姿があった。それがどれだけ幸せだったか言い表せない。基本暗がりで一人で暮らしていた自分にどれだけ眩しかったか。

光の差し込まない家に自分以外の誰かと居るのは、隔絶された秘密の世界に居る・世界に自分たちしか居ないかのような感覚だった。二人だから怖くなかった。生々しい話になるが、そんな暗がりで愛し合う行為も特別な感情が巡るようだった。その暗いシチュエーションで見た映画“ロストイントランスレーション”のエモさを未だに思い出せる(この映画知ってる人なら伝わる感覚だと思う)。

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その後卒業し、この家を離れ、その後彼女とも別れがやってきて、そして祖母も亡くなり、この家を売り払う時がきた。今日掲載している写真は、それまでの自分と神戸の街を振り返りながら最後にこの家の写真を撮った時のもの。心の痛みの数々と惜別するために必要な作業だった。

この家があった付近の山間の街は、高齢化が進みお店もどんどん閉まっていってる。時と共に風景は変わる、人は消えていく。一人暮らしの間、時々の贅沢で利用していた営業50年近いパン屋さんもついに閉まっていて、店は跡形もなかった。寂しい暮らしをしていた当時の自分に満面の笑みで話しかけてくれるパン屋のおばあちゃんが、あの時の支えだった。

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思えば、神戸の街は結局自分にとって寂しさの象徴でしかなかった。日常の孤独からの逃避、けれどこの場所では物理的な孤独。専門学生時代も一瞬友達はできたけど、逆に自分が孤独だという認識が強まるばかり。最終的に神戸で生まれた繋がりは今何一つ手元に残っていない。

それでもこの街の美しさは、懐かしさはその寂しさの象徴を肯定してくれる。ないより、あってよかったと。

・この街と、幼い孤独を表してくれた曲“smalltown, superhero”

この街の、自分が暮らした場所を言い表してくれるのは間違いなくこの曲だ。先述した、自分とGRAPEVINEの出会いのアルバム“From a smalltown”のタイトルにも関連するメイントラック、“smalltown,superhero”。

この曲はきっと、田中さんの幼少期の記憶が描かれたもの。つまり、神戸市中央区の山間の街の風景の中に居た彼自身。そして孤独な心が描かれている。

“この小さな街のどこか 君はすぐ見つかった
しかめ面 大人ぶって つまらなそう
いつもひとりぼっちで 言いたいこと言わないで
夕暮れまで遊んだら 帰ればいいのに”

きっと大人になった自分から幼少の自分に語りかけているのだと思う。自分もこうした感覚の子供だったからこの表現がとても刺さる。子供なのに既に周りの言動に過敏で、何も言いたいことが言えなかった寂しい子供。

限りのない時間なんて 早く過ぎればいいって
そう願って いつも願って 急いでいた
音は聞こえないんだ 色だけが焼きついていたんだ
遡って 坂を登って 見ていたんだ わかってたんだ”

永遠に続くかのようなこの孤独感から逃げたくて、早く時間が過ぎればいいと思っていた。本当に美しい景色を見たとき、この神戸の夏の夕景を見たとき、そのオレンジ色だけが焼きついて、時が止まったかのように音も聞こえなくなったのを覚えてる。そして、帰る家は坂を登った先の山。神戸の街そのものの歌詞だ。

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この曲を聴く度に思い出す、ひとりぼっちで、でも美しい景色を知っていた子供の自分。そしてこの街で、そしてあの家で過ごした寂しくて、でも純粋な思い出の数々。家がなくなり、訪ねる事もなくなったあの場所だけど、この曲のおかげでいつも立ち返ることができる。孤独と寂しさと美しい思い出の街、それが俺にとっての神戸。

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