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633という概念:ただ音楽を鳴らすことの幸福を示したオトナたちによる最高の悪ふざけ

昨年の暮れ、とある新人バンドが突如メジャーデビューして初ライブにしてZepp Tourを行ったことをご存知だろうか?その名を633, 大瓶ビールの内容量から名付けられたそのバンドの正体は不明、プロフィールには音楽をこよなく愛するソーセージの化身とだけ説明がある…しかしその曲を聴けば、どこかで聴いたことあるサウンド・どこかで聴いたことあるあの声と馴染みのあるメロディ….

というわけで、2022年末突如として現れたソーセージの化身たちによるファーストフルアルバム、そしてファーストライブツアー(自分は12/1なんばHatch公演に参加)を通して感じた、大人の最高に楽しい悪ふざけが示した「ただただ音楽を鳴らすということが如何に幸福な場を生むか」という話を、本日は書き記したい。

ファーストアルバム“Sixty Hundred Thirty Three”の魅力

とりあえず、アルバム1曲目の“Drink Up”を聴いてみてほしい。可愛らしいアニメーションによるソーセージの化身たちの楽しそうな様子に合わせて、この鬱屈したパンデミックの世の中から浮世離れしたように(最早優雅にすら見えてくるくらい)ただただ緩く“乾杯しようと”促す歌だ(じっくり歌詞を追えば、ただ能天気なだけでなく、背中を押すような内容になってもいるのだが、ただ聴く分ではそうしたメッセージ性を意識させない軽やかな聴き心地)。

(以下、もう633の正体は皆さんが察してるものとして書きます。笑)

「いやもうこれ何レイテナーだよ笑」とか「明らかにホ◯エの歌と曲やん笑」という声が聞こえてきそうである(すいません、筆者が1番思ってます笑)。というギャグ目線の意味でも既にこの企画はとても面白いのだが、そもそもそれが許されてしまうくらいのは、まずシンプルに肝心の曲が良いし、曲から感じるヴァイヴが快活で心地よく、頭で堅く考えさせる暇を与えないからだと思うのだ。

これって相当すごいことだ。活動歴の長いバンドがどうしても失ってしまうもの、それが初期衝動なのは否めない。(経験から器用な技術を手に入れる代わりに)100%心そのままに音楽することは難しくなる。今までと違う進化を見せなきゃいけなかったり、メッセージ性が求められたり、とにかく新曲ひとつ出すことにおいても“確かな意味合い”が求められてしまう。

しかしここで聴ける音楽はどうだろう?仮に正体が結成25周年を迎えようとしているあのバンドなのだとしたら、この瑞々しさは最早奇跡と言ってもいい。とにかく楽しい、そして懐かしい。彼らのメジャーデビュー初期・インディーズ時代の曲まで知ってる人なら誰もがこれに同意してくれると思う(音楽性としてもその頃に近い、この世代で青春を過ごした人にはたまらないGreen DayやWeezerからの影響を隠さないエモ・ポップパンク)。

しかも、名義を変えてる割に明らかに本家のバンドのイメージをすぐ呼び起こすぐらいには普段とやってることは大きく変わらない。別名義とする場合の理由は「本家と極端に音楽性を変えたゆえ、別のアウトプット媒体にする必要があった」というのがオーソドックスなパターンかと思う。

しかし彼らの場合はそんな堅苦しいことのためにソーセージの化身なるものを生んだわけではないようだ。長い活動歴ゆえメッセージ性や新作の意味合いを問われるよう立ち位置になった本家バンドの枠組みから離れて、まさに新人バンドとしての「ただ楽しくて音楽し始めた感覚・何をやっても許されるまっさらな状態」を今一度実現するための別媒体なのだと思う。

実際、インタビューでボーカルのSOFT CREAMも“新しいチャレンジをしないがテーマ、好きなものをそのまま素直に楽しみたい”と言っていた)。

この意義を言い換えたり、この音楽性そのものを表すなら“心地の良い能天気さ”というのがしっくりくる。とにかくグッドメロディの数々、誰もがすぐに歌えそうな人懐っこいメロディ、歌を引き立てるシンプルイズベストなバンドアンサンブル。

歌詞は基本殆どが英語詞で、聴き手に深く意味を考えさせることをさせない。演奏する側も聴く側も全くもってストレスフリーであろう音楽。思えば、Cold Disc以降のストレイテナーは日本語詞が基本となり、ホリエアツシが歌により覚悟や責任を持つようになった印象があり、近年はその方向性を確立していた。

きっちりメッセージすることにもパーソナルなことを歌うことにも腹を括っていて、バンドアンサンブルもより歌を後押しする方向性に切り替わっていた。それに対し633は歌が主役であれども、メッセージを届けるのが主軸ではない。とにかく楽しく聴けることを優先している。

しかしただの新人がこれをやるのと、実際は長い間メジャーで実績積んできた大御所がそこに取り組むのとでは雲泥の差がある。これがこの633というプロジェクトのユニークかつ強いところだ。楽曲アレンジひとつ取ってもそれは明らかで、引き算の妙を知り尽くしたバンドアンサンブルは、ただでさえ熟練されたグッドメロディメイキングを次の次元まで引き上げている。

特に(◯Jこと笑)SMOKEのギターは、引き算ギターアレンジの最極地であるストレイテナーのApplause曲より更にネクストレベルに達していて名演の嵐。ソングライティングも演奏も、色々な技術を知った上でシンプルなことにフォーカスしているので、少ない力で常に150kmストレートを投げてる(それも何十球と連続で)みたいな印象である。なにこれ、つよすぎでしょ。

その結果、アルバムは全曲がハイライトに関わらず胃もたれすることもなくサラッと聴けるという最強の内容で、何度でもリピートしたくなる名盤となっている。久しく意味を考えず意識せずに聴ける音楽というものに出会えたという意味でも感動的で、それがライブとして見られるのは最高に違いないとツアーに参加を決意した。

奇しくも(?)ツアー全公演にゲストでストレイテナーが帯同するらしいし?そんな贅沢なやつ行くしかないじゃん?(盛大なすっとぼけ)(ツアーは633とストレイテナーが全公演参加、地域ごとにもう一組ゲストバンドが参加するけど、cinema staffやw.o.d.といった後輩バンドが先輩の悪ノリに乗っかってくれてる様子がSNSを通して見られて、それも楽しかった笑)

12/1 Bier Fest Tour at なんばHatch①ストレイテナー→Age Factory

このツアー、1番手は必ずストレイテナーの模様。2番手は地域ごとのゲストバンド、大トリが633という順序(新人バンドなのにテナーを差し置いてトリとはどういう力が働いているのかなぁ笑)。以下セットリスト。

ツアー通じて、普段と比べたら比較的静謐だったりダウナーなメロディが魅力の曲が多かった模様(それでいうとこの日は少し明るめの選曲)。633で明るくシンプルなエネルギッシュな曲を演奏する分、テナーはある程度シリアスだったりエモーショナルな表現に特化できるというところもあったのだろう。

それは(この日は外されていたが)LightningやThe Novemberist、CLONEといった曲まで久々に引っ張り出してきているぐらいに顕著だった。この日はそれらが聴けるかもという目的は叶えられなかったけど、それがなくても十分すぎるくらい良いライブだった。

“Graffiti”が1曲目を飾るライブは今のテナーのスタンスを象徴していて、ずっと悲しみや痛みの世界が表現のベースにあったテナーが、より一歩先の境地として前向きなことを素直に歌っているというのが美しい(ホリエアツシのBUMP OF CHICKEN好きがよく出てる曲だと思っている笑)。

2曲目が始まる前にして機材トラブルで演奏開始できなくなるも、ホリエを除くメンバーの即興セッションが場を繋ぎ、堂々と再び場を盛り上げていった“VANISH”は熱かったし、アルバムリリース時には自分が熱心な追いかけ方をしなくなっていたためライブで聴けたことがなかった念願の“タイムリープ”が聴けた時点でもうこの夜は勝利確定だった。

今少しだけ変わった僕は
きっと歌える あの時気づけなかったことを

-ストレイテナー“タイムリープ”より-

“Future Soundtrack”は後追いで自分の中で名盤に化けた。当時ツアーに行かなかったことを後悔するほどに、自分の思い出を肯定してくれる大切な作品になった(このアルバムについてはまた書こうと思ってる)。ApplauseツアーでOur Landを聴けたことが大きかったけど、このタイムリープもやはりライブでより響いてくる。原曲より力強く前のめりな演奏が、過去を想い焦燥する様を強めていてグッときた。

更にこの日のピアノ使用曲は“Sad And Beautiful World”“Toneless Twilight”。Lightningは聴けなかったが、むしろ今の自分はToneless~を聴くことがタイミングとしてベストだったと感覚があり、ラッキー。

“手に届かせる
明日を届けたい
君に会いたい”

-ストレイテナー/Toneless Twilight-

ピアノの流麗なリフ、登りゆく太陽のエネルギーを表すかのようなパワフルなバンドアンサンブル、そして後半高まったエネルギーを解き放つように疾走感ある演奏へ。太陽の中へ駆け出してゆくような美しくエモーショナルなその様は今自分が最も見たかった光景だった(OJが地声でコーラスを足すアレンジに変わっていたのもエモに拍車をかけていた)。

12月に入ったということで、歌詞の舞台が12月である“TENDER”をきっちり演奏。季節と曲のリンクを自分が意識して音楽聴くのも、思えばテナーの影響によるところが大きいのかもしれない。当時よりも今のテナーが肯定的なムードの曲を歌う説得力は強い。その流れで現状の最新曲“宇宙の夜 二人の朝”もご機嫌なロックサウンドに乗っかって、よりナイーブさも請け負ったその先の肯定的なムードを高めていく。

この日のゲストであり、ホリエアツシが「世代が一緒だったら絶対一緒に戦ってたであろう頼もしい存在」と語る関西の雄、Age Factoryからのリクエストに応える形で“TRAVELING GARGOYLE”を威勢よく演奏して最強の切込隊長のアクトは終了。

その紹介を受けてのAge Factoryはまさしく「男気」という無骨なライブを展開。近年稀に見るほどオーソドックスなバンド編成と荒々しい声が魅力のボーカルでロックのロマンを体現していた。メロディでしっかり魅せるenvyといった印象で、詳しく聴いたことのなかった自分も惹きつけられた。特にドラムの豪快なグルーヴがたまらない。

とにかく実直、まさしくストレイテナーイズムを引き継いだ、自分と同世代を過ごしてきたバンドならではの魅力が溢れたアクト。後の633のライブのSOFT CREAMのMCによると「ホリエくんは、袖でAge Factoryのライブを見ながら泣いてました」だそうです笑。

12/1 Bier Fest Tour at なんばHatch②633

万感のストレイテナー→Age Factoryのバトンを受け、大トリの633のライブへ。始まる前から「楽しすぎて泣く」とかもあり得るんじゃないかと思っていたけど、その予感は見事に当たった。音源から感じていた「ただただ楽しい」がライブだと更に何十倍の楽しさで、そしてなぜこの楽しさが具現化されているのかという理由も沁みていく時間となった。

アルバムと同じく“Drink Up”からハイテンションにスタート。でも同時に心地よい脱力感があってはじめて成立している演奏、既に最高である。ツアーが終了してるのでネタバレするが、紗幕が貼られていてそこに映像が制作されている曲はアニメーションが映されていて、その向こう側で顔の見えないソーセージの化身たち(人間の姿になっている模様)が生演奏している。

その後はアルバムと曲順を入れ替え、ライブならではの流れを絶妙に生む順番に曲が進む。2ビートで爆走する“Sweet Rain”“Girls Don't Cry”が2〜3曲目なのは盛り上げ方として巧みだし、ところどころこの問答無用の楽しさはやはり新人離れした技術によって絶妙に成り立ってるのが面白い。“Aurora”のダウナーな四分刻みも移りゆく景色を表したアニメーションが絶妙に追従する。

2021.12.1. なんばHatch ソーセージの化身たちがお出迎え

“One Summer Day”~“Rooftop Party”はダンサンブルなビートのゾーン。633の現在の持ち曲はギターのトーンなど統一感を示しつつも、リズムパターンやメロディメイクの豊潤さがやはり新人離れしている笑。そしてこの辺りでジワジワと沁みてきて気づいた。「こんな何も考えず、ただただ演奏聴いてるだけでちゃんと楽しいライブを見るのは何年ぶりだろう?」と。

自分はパンデミックでの制限云々以前に、良くも悪くもライブに意味を強く求めてしまっているところがあったし、やはりシリアスな表現と全く無縁なライブに魅力を感じづらい人間となっていた。フェスで試しに見るバンドの殆どが印象に残らないのもそういうところだろう。そしてパンデミック以降はやはり表現することに演者側も意味慎重になっているから、良くも悪くも何も考えずに楽しんでるライブというのは本当に久しぶりだった。

そして“The Great Escape”でゴキゲンにハイトーンを聴かせるSOFT CREAMのボーカルに気付かされた。“心地よい能天気さ”とは我ながら言い得て妙だとも思うし、失礼でもあるとも思った。これはストレイテナーと地続きで、人の痛みとか悲しみに気づける優しい男の歌だ。この鬱屈した世の中で、音楽で生み出すことのできる安らぎの場所を、痛みを忘れられる馬鹿な時間をギフトしようとしてくれたのだと思う。

“みんなにも夢ってあるでしょ?そんな大それて達成するようなもんじゃなくてさ?明日晴れろ!とか、W杯日本勝ってくれ!とか、あの子の笑顔が見られたらいいな〜とかさ。そういう小さなことも夢って呼ぶならさ、みんなにもあるでしょ?叶うといいよね、次は一緒に歌えたらいいよね(ニュアンス)。”とその答え合わせのようなことをSOFT CREAMが言う。

そして演奏された“Million”はそんな彼の優しさや願いがダイレクトに反映されすぎていてボロボロと泣いてしまった。くそう、俺は今ソーセージに泣かされているのか。その情けなくギャグでしかない構図に可笑しくなって、またそんな楽しさを形作ってくれている633という大人の悪ふざけに感動してしまう。愛らしいソーセージたちのアニメーションにも泣けてしまう始末。

“無数の夢たちがいつか叶うよ
無数の光が真実を照らすよ
そのまま行こう
届けるよ 約束するよ
受け止めて この愛を”

633“Millon” 私的和訳

アルバムの最後を飾る“Radio Song”は、テナーの現状最新フルアルバム“Applause”の最後の“混ぜれば黒になる絵の具”との連作を意図しているようなシンプルな演奏と、淡々としたなかに名残惜しさや哀愁が漂う名曲。(テナーの“Ferewell Dear Deadman”の感じも思い起こさせるためか)この楽しかったライブも終わりかという寂しさと、「きっとまた会える」という温かい予感を同居させる絶妙な曲だ。

“混ぜれば黒になる絵の具”では、世の中の名曲に数多い“It's all right”というフレーズをホリエアツシが歌うことに挑んだ曲でもある。そのため消えない痛みを抱えてることを下地に進行しながら、このフレーズを最後に歌う流れとなっている。

そしてアルバムの最後の曲にして淡々とした曲調、あっけないほど短く終わるところも含め平熱的かつ少し滲み出る感情というリアルさがある。どこか悲しげな印象も残るこの曲に対し、“Radio Song”は同じような夕景をイメージさせながら、いい意味で少しお気楽な感覚があるおかげでより未来を感じられる。

“カーラジオから流れた 亡き人の歌
隣で口ずさんでいた あの時きみは
頬をつたって流れた 最後の涙
雨はまだそこに降っていた
今でも僕は It's all right, It's all right”

-ストレイテナー“混ぜれば黒になる絵の具”-

アンコールでは「今世界ではヒットチャートにギターの入ってる曲は少ないとか、ギターソロはスキップされちゃうとか言われてるけど、そんな中でガッツリギター鳴らして、ロックしてるバンドがやっぱりかっこいいって思ってます!勇気もらってます、それこそAge Factoryとか、ストレイテナーとか…フッ(吹き出す)」と、ガバガバすぎる設定ゆえ、自分で言って笑いが堪えられないホ◯エアツシことSOFT CREAMくん(ガバガバぶりはこの日のMC全てで発揮してました笑)。そういう特殊な状況ゆえのユーモアが生まれているのも、彼らだから成せたことなのだと思うとこの場が本当に尊い。

原点と今が絶妙に手を繋ぐようにストレイテナーインディーズ時代の曲“BOUNDER ADVENTURES”を633としてカバーして快活にライブは終了!徹頭徹尾、ただただ音楽が鳴ること時点で楽しい、世界の感じ方は変えられるということを、忘れていた大切なことを思い起こさせてくれる時間だった。

それを実現させる手段が、こんな風な大人の全力の悪ふざけというのが目から鱗で、でも案外長年活動してきたバンドがファンと長年つみあげてきた信頼関係だからこそ実現できたことだと思うと感慨深い。思えば2ピースで活動開始、5年ごとにメンバーがひとりずつ増えていったという、世界を見渡しても他に居ないであろう斬新な活動スタンスでいながら、着実な実績を重ねてきたストレイテナーならではの発想だったのかもしれない。

特にOJが加入してからは、より音楽的な進化に自覚的に真剣に取り組んできたバンドだから、インディーズ期や初期のような伸び伸びとしたヴァイヴで彼が力を発揮している様は嬉しくもある(SMOKEさんの正体がOJかどうかはさておき笑)。そして2023年はそんなOJ加入から15年・メジャーデビューから20年・結成からは25年というアニバーサリーイヤーのストレイテナー。この最高のお遊びを経てどんな1年を見せてくれるか楽しみでしかない。

(ライブ終了後のステージ)