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『感性シフトは幸せの鍵』第107言

『なくなってしまったなぁ……不満も、不足も』

そうつぶやくほど、起こることが最善で、感謝しかなくて、おそれも手放したら、どうなったかというと

「なにもない」ことにソワソワし始めた

『本当にこれでいいのか……な?』

で、どうなったかというと、こんなことが起きました。

・見ず知らずのひとに何でそんな言い方で話を聞かされなきゃならんのだ

・今日こそは買うぞ!と行った日に限って「〇〇の日」の今日は販売中止

・ま、こっちの店でアレ買えばいっかと行くと、いつもあるアレがその日に限って売り切れ

特段ひどい目にあったわけではありませんが、特に一番上の件は、なんでその人と接点ができたんだろう、と思いました。

起こることは最善なのですから・・・

自分の心の中を内観して、探偵推理。

もしや?

不満不足がないことを『これでいいのかな?』と疑ってしまったこと?

その日の夜、1冊の本がこの推理を後押ししてくれました。

『努力ゼロの幸福論』(小林正観/大和書房)

これは、このnoteで出逢えた方が紹介してくださっていた本です(感謝)

ここにドンピシャなことが・・・。

▶何も起こらない毎日こそ、奇跡の連続

自分にとって楽しくて、面白くて、嬉しい現象が起こって、「私」の願いが叶ったら感謝の気もちになるというものではない

楽しいことを追い求めて、お金も時間もかけないと楽しめないという感性から、世間一般の人から見たら「だから何?」ということに楽しみを感じられるようになる

何もなくても、何も起こらなくても、楽しみや幸せを感じられるようになる。感謝しかない毎日を送れるようになる。

不満不足がないと認める一方で、

「ないことへの不安」

を抱いた心の奥底を、

まるで神様に見透かされたよう。。

でも、ここですごく腑に落ちたんです、自分の心の内側に。

「追い求め、頑張って手に入れる」「世間一般から認められる」の中に見いだす感性を、わたしだって長年やってきたんだ。

どんどんシフトしていく自分の感性に、「え、いいの?」となったんだな、と。

そして神様は…「え、いいの?」と疑うなら、お望みどおり、再度ご覧ください、味わってくださいと「不満とは」「不足とは」を見せてくれたんだな、と。

・・・・・。

もうブルブル首をふって訂正しますよね。

不満不足なにもなくていいです。

こんなに幸せをいただいてるのに

すみませんでした。。。

それにしても、
やはり「起こることは最善」です。

イヤだなと思う現象のおかげで、この「なにもない」幸せが、本当に「幸せ」で「奇跡」なんだと再確認できたのですから。

(実際には「いいことだらけ」ですけどね♪)

気づかせてくださった

みなみなさまに

ありがとうございます。

大感謝です(●´ϖ`●)


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