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人生の決断

誰にも流されてない
自分で決めた、人生で一番大切な決断

東京で働くこと

私は、昭和の価値観が根強く残る田舎で
生まれ育ち、23歳まで暮らしていました。

23歳までの私はいつも大事な決断を他人に委ねていました。

周囲の人が△△高校行くから私も〜
××大学受けるから私も〜
〇〇業界の会社受けるから私も〜

でも、いつも違和感があった
その先に何があるんだろうって。

私って、いつも誰かに合わせてばっかり。

今までの経験や見てきた世界から歩む道を選ぶ、それがいかに視野が狭く、数限られたものから選んでいることか、それすら気づいていませんでした。

私は大学を卒業して地元にある証券会社に就職しました。家族や親戚からは「地元で一番良い企業に就職できて良かったね」と大絶賛。

私もその言葉を聞くと、何だか安心できて、周囲の人から認められてる実感があった。

「あ、これが正解なのね」

周りの人が人生の正解を持っている
と思っている、とんだ大馬鹿者です笑

実際に入社してみると、
不注意によるミスを大連発、特に聞き間違い、数値の入力ミスが多く、自己嫌悪に陥りました。何度か証券事故を起こし、事情書も書きました。(後に自分の持っている特性に気づきます。)

当然ながら個人情報にとりわけ厳しい業界な訳で、様々な制約に縛られたり、(金融業界あるあるですが)社内政治や噂話、人間関係の複雑さに巻き込まれ、悩まされ、資格取得を強いられる日々。

私のやりたいことって、これじゃないんだけどな。

葛藤する日々で辛い時、苦しい時、自分の心を支えてくれたもの。
それは、過去に出会った大切な教え子たち。

大学時代に教員免許を取りたくて、
母校の中学で実習をしたこと、学習塾で子どもたちと過ごした時間が、
過去のどんな経験よりも自分の心を強く打って、あの時間がどうしても忘れられない。

「教育」を語る橋本さんの瞳は本当にキラキラしているね。
職場の人にも何度か言われたなぁ、、

▼教員にならなかった理由は、こちらに書いています。

私は今までずっと「生意気だけど、優等生な末っ子タイプ」
社会人になっても、ずっとこのままの自分だって思ってました。

でも、思い描くような姿を実現できず、何も成長しないまま社会人一年間を過ごしました。

入社して一年が近づく頃には、会社へ向かうと足がすくみ、吐き気を催すくらい、心身がやつれていきました。ふと走っている車を見ると、「このまま自分にぶつかってくれたら良いのに...」って思うくらい、自分のことが大嫌いになりました。

それから程なくして何もその先を決めないまま、証券会社を辞めました。

それから4ヶ月引きこもり状態。
家族にもかなり心配をかけました。
虚しく、ただ時間だけが過ぎていく日々を、過ごしました。

引きこもりながらも自分と向き合い、模索し続けました。
その時、自分が行ったこととして3つ

①様々な人の人生の意思決定に対して本で学んだ
②夢のルーツを辿った
(人生の分岐点や原体験を作った人に会いに行った。)
③県外の人で自分の気になる人ととことん繋がった!

当時のTwitterを利用して、県外の人や教育関係者の方と繋がりを持ちました。
(今、振り返ると著名な方もいらっしゃったり、、本当に本当に大感謝です。)

直接お話しをするため、県外へ行くこともしばしば。
そこで様々な人生観や生き方、言葉にふれて、もう一度、私の人生を振り返った時、

岡山にいることが本当に自分のためなのか。

自分のやりたいこと、在りたい姿を実現するためには、一度は甘えられない場所を選びたいって思いました。

人間が変わる3つの条件
「住む場所」「人間関係」「時間配分」
最も意味のないことは「決意を新たにすること」だ

大前研一

これらを変えることで、自分がどう変わるのか、試してみたかった。

上京を決めた時、地元にいる家族や友人からはあまり好意的な反応はありませんでした。
と言うよりも、ほとんどから反対されました。
「離れることが本当に寂しい...」と。

その言葉自体はありがたいけれど、友人だと思っていた人からかけられた忘れられない言葉。

東京って住む場所じゃないと思うな
わざわざ行く理由が理解できない

この言葉をかけられた時、ちょうど県外の人と繋がりを持つようになった頃で、ある意味、言葉の重みに対する比較ができるようになっていたのだと思います。

挑戦したことがない、やったことがない人の言葉には、「できない理由」が詰まってて、
地元を離れた人や自分のやりたいことに向かって愚直に頑張る人と話すと「できる方法」を教えてくれることに気づきました。

それから私は上京し、4年の月日が流れました。

▼東京での社会人生活はこちらに書いています。

私の決断は正解だったのか、
それは自分でしか判断できないけど、

「東京に来てよかった」って心から言える。
自分が選んだ道を、自分で正解にしたんだって。

世の中には、
運命の人とか、天職とか、まるで生まれる前から人生が決まっていたかのような、都合の良い言葉が溢れているけど、自分の決断が良かったのかどうかはきっと「後になって気づく」ものだと思う。

東京で過ごす社会人生活の方がずっと長くなった今、私にとって東京は、岡山と同じくらいかけがえのない大切な居場所になりました。

自分の価値観、自分自身を変えた場所、
もう1人の自分で居られる場所。

東京は、私を変える街。
岡山は、私が帰る町。

関東で出会った人も場所も、岡山とはまた違う魅力に溢れてて大好きになりました。

都会のスピード感、人混みに疲れて、途轍もない孤独感に苛まれることもあるけど、
私はもう少し都会の風に吹かれていたいです。

私はみんなの思う「普通」にはなれないから、もう誰とも比べないで自分の人生を歩いていきたい。

私がなりたい自分
・経済的にも精神的にも自立(自律)した女性になりたい
・自分の人生の根拠を自分の言葉で語れる人になりたい
・もう一度教壇に立ちたい
(この夢は東京に出てから以下の夢に変わります。)
・「教育現場と社会をつなぐ架け橋」を創る事業に携わりたい、そして自身の社会人経験や働く人達の想いを子どもたちに届ける場所(プラットフォーム)を創りたい

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