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日本にネオリベなんてない。あるのは既得権益側の損得勘定だけ(宮台真司)

備忘録:JAM The World 月イチ宮台
青木理、宮台真司
JAM THE WORLD | J-WAVE | 2021/02/02/火

※(注) 番組の内容を自己流にまとめたもので、宮台真司本人の言葉をそのまま記録したものではありません。

18世紀後半、アダム・スミスとジャン・ジャック・ルソーが経済と政治にほぼ同じ図式を出した。

アダム・スミスは経済の領域で、「〈同感能力〉すなわち他人の苦しみを自分の苦しみとして感じられる能力がなければ市場は〈見えざる手〉を働かせない」と言った。つまり市場に万能の調整能力はむしろないことを強調していた。

民主制について説いたジャン・ジャック・ルソーは、政治的な決定によって仲間のそれぞれがどういう目に遭うかが想像でき、しかもそれが気にかかるという心が生じる場合にのみ民主主義は回る、そうでなければ民主制はリソースを使った動員合戦になって終わるだろう、と書いた。

新自由主義は19世紀半ばにフランスのフレデリック・バスティアに始まり、百年越しでフリードリヒ・ハイエクというアメリカ人に引き継がれた。彼らが市場を重視して政府の介入を嫌ったのは、市場の外側にタウンシップがあり、人々に〈ピティエ〉、すなわち憐れみの情があるという前提に立つことができたからである。

ところが、現在、それがなくなってきていることには、まずネオリベの問題がある。だが、そもそも日本にはネオリベというものはない。結局あるのは既得権益、それも大きな既得権益の足かせを外して身軽にしたいという損得勘定だけ。

例えば外国人や女性、高齢者を出来れば非正規で雇用したい。しかも、このコロナ禍にあって中小企業の支援を打ち切れという政府審議会から答申が繰り返し出ているように、コロナを利用して実力のない弱いところを全部潰し、彼らの職業を奪い、非正規で雇いたいという図式が目に見えている。

電力、マスコミなどの基幹的な部分は全然自由化せずに参入障壁を残しておいて、弱い者を保護していた制度だけを潰していく。これはもう明らかに利権ネットワークの中での損得勘定しか頭にない人間たちによる、非倫理的な政策の引き回しである。






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