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【2019/06/28の日記】特製かき氷

・結局昨日の日記を書いているな?

・記憶・一切・喪失・適当にお茶濁し丸です。


ストローの付け根からジャー出る飲み方


・『翔太と猫のインサイトの夏休み』を読んだ。こちら↓


・読書メモは別にまとめるとしてひとまず感想を書いてみる。

・有名な哲学の問題を題材に、哲学学ではなく真摯な哲学の仕方をストーリー仕立てで語ろうとする本。ソフィー本に対抗している内容だが、どう考えても子ども向けじゃないだろこの難しさ。ルナティック。

ここで思い切って自画自賛してみたい。世界的に見ても、これほど面白い哲学入門書は他にないと私は感じている。(中略)これ以上の内容は、今のところまだない。

・どストレートな自画自賛。お手本のような自画自賛。これ以上の自画自賛は今のところまだない。

・内容は実在論、他我問題、正義の話、自由意志と決定論を題材としている。水槽の中の脳・赤い色の見え方、などなど。

・しかし哲学サイド、とても複雑で動画的な脳内のイメージをむりくり言葉に落とそうとする割に恐ろしいほど短い単語を選んだりするから、多義になりがちでかつ一見で意味すら想像できない「用語」が生まれるのだけど、それって中の人としては問題意識とか持ってるのかな?ないだろうな。

・「超越論的には実在論だが、経験論的には観念論」とか21文字のうち漢字が14文字もあるぞ。どうなっているんだ。

・この用語問題に触れるの、なんとなくはしたない/低俗と思われそうで若干腰が引けるところがある。

・全然感想を書いてないぞ。書く。

・『<子ども>の哲学』でも登場する<ぼく>という概念はわかるんだけど、<ぼく>が「ぼく」である奇跡性についてイマイチまだピンと来ていない。<ぼく>が「ぼく」である理由は、三段論法が何故正しいのかを語りえないことや、1 + 1 = 2であることがなぜなのかを言えないことと同様に語りえないことじゃない?はじめから所与であって、明らかにできない現象というか。

・AくんとBさんの違いと、Aくんと<ぼく>の違いがぜんぜん異なるというのは理解と納得ができつつ、そのすべての原因が<ぼく>である故であって、、、と考えたところで、だから奇跡という言葉を使っているのかとふと思った。偶然でもいいし、理由のない現象といってもいい。

・これはなんとなく哲学を超えて宗教的な話なきがするなぁ。

・本自体はとても真摯に哲学をすることを説明してくれており(背中を見せるスタイルで)、とてもおすすめです。もう一度よむ。


昨日の図。炸裂種のクリエイティブを有している。


・『いま世界の哲学者が考えていること』を読んだ。

・例によってこちらも読書メモは別にまとめるぞ。

・こちらは期待していた内容とはことなる書籍だった。書籍が悪いのではなくて、私の期待値が間違っていたのだ。やっぱり足を踏み入れたばかりの領域の書籍選びは間違えることが多いなぁ。

・大きな物語を失ったあとの世界である現在において、哲学者がどういった問いをどういった社会現象を材料にして思考しているのかを知りたいと思って読んだ。

・内容としてはIT革命 / 生命倫理 / 環境問題 / 現在の資本主義などの抱える課題を哲学的にどう捉えているか、というもので、方向が逆であった。現実の諸問題を哲学的にどう捉えるか、ではなくて哲学的な問に対して現実の諸問題をどう使っているか、みたいなことを知りたかったのだ。自分でも言っている意味はわかってない。

・「殺人を告白するのと同様の勇気が必要だが、私はクローン人間を作ってみたい」というセリフと、出生性の話が印象に残っている。経済学部出身だったくせに興味があるのは生命倫理なのかもしれない。


これはとらやの宇治金時かき氷。


これは値段を見ずに注文したら1400円だったときのレシート


・寝ます。


好きです