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なぜホンダはアメリカで成功したのか?

日本の衰退が語られる昨今、我々の先輩がいかにグローバルで成功してきたのか事例を研究していこうと思います。今回はホンダの事例です。
戦後1950年代、日本で設立し成功したホンダはアメリカ進出を考得ました。ホンダは、調査を重ねました。当時、シェア一位だったのがハーレーダビットソン(米国)50%以上のシェアを持っていました。

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ホンダはアメリカ人が好きそうな大きなマシンを作って市場に送りました。しかし全く売れませんでした。また大きな問題として大きなモデルを作るのに慣れていなかったため故障が頻発したのです。そこで開拓した販売店からすべてのモデルを引き取りました。スーツを着て、懸命に足で回る営業マンへの販売店からの信頼は高くなりました。
そこで注目されたのが、営業マンが乗っている小さなバイクです。
”おい、それ便利そうだね。それはウチで売れないの?”
現場の営業マンから情報を得た本社はそれまで念入りに進めていた事業計画を捨てて、小型車を売る戦略に切り替えました。そして大ヒットモデルが生まれました。

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ホンダは、一般市民をターゲットにして広告を打ちました。そしてユーザーの心を掴んだのです。
キーメッセージは"ホンダに乗って近所のお友達に会いに行ける!”

1960年代にホンダはアメリカ市場の60%を超えるシェアを持つようになりました。

この成功事例はアメリカで有名でMBAの教材によく使われます。成功要因をまとめてみます

1.ベストプロダクツがあったこと

2.現場の声を聞いて本社が計画を大変更したこと

3.最先端の営業マンが企業姿勢を示したこと

4.アメリカの広告代理店を使ったこと

5.セレンディピティがあったこと(日本の成功サービスがアメリカで市場を作った)

もし、本社が現場の言うことを聞かないで本社主導で続けていたら成功はなかったと言われています。

追記 アメリカ側資料を調べて本稿は書きました。日本側資料を見てみましたら渡航するのも大変だった時期のようです。当時のビジネスマンは素晴らしい根性、失敗したら腹を切ると通産省に言ったということです。戦争で負けた後の気持ち、計り知れないです。


追記:ハーレーダビッドソン英国としましたが米国の間違いでした。


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