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とりあえず書くこと

何か作品をあげようと思うとどうにも書けないので、本当に雑記帳としてここを使ってみようと思う。

今はEvernoteにメモや雑記は記しているのだが、それにしてもアップデート後本当に使いづらくなった、ここにもそのような個人的なメモや雑記を載せようと思う。

気負わずに、書き、出す、という一連の流れを習慣化したい。書くこと以外に人生で大事と思うこともないし。まあ健康問題は別として。

書いて仕舞えば否応なく僕の無意識が晒されるので、事後的に自分で確認することもできるし、他者にそれをみられるのも悪くない。むしろ積極的に晒していきたい。恥の意識から秘匿しがちだけど、いつ死ぬか分からないということに現実味を感じてから出し惜しみは無意味だと思うようになった。いや、いま特別に健康問題を抱えているわけではないが、コロナ禍や知人の死、老齢の祖母などを見るにつけなんとはなしに意識に浮上したのだ。

さて、僕の目下の課題は、予定通りいかないときに状況に応じてそれなりのものを仕上げて出せるようになること。つまり仕事がもっとスムーズにできるようになりたい。計画的に、まずここから躓くのが常だが、ことが進めばいいが、そうでないときに、イラついて投げ出すということをしてしまう。特に精神状態が良くないときは輪をかけてダメだ。時間の制約を考えて現実的に可能なラインを描ければいいのだが。これも訓練か。

老眼について。職場の先輩方や母の様子を見るにつけ、加齢に伴う視力低下の辛さを考える。僕は現状かなり目を酷使しているし、視力低下は早いかもしれない。現状ド近眼だし。付随していつまで読み書きができるか、ということにも思いがいく。そう、いつまでも読み書きができるわけではないのだ。僕も今後、老眼になって本を読むのも詩を書くのも億劫になってしまうのだろうか。國分先生は何かができなくなることは別のなにかができるようになっているということなのだ、というようなことをどこがで書いていた気がしたが、それでもできなくなることに変わりはない。読み書きできなくなったら歌おうかな。目を閉じて歌うのも悪くないかもしれない。

明日は日勤。定時であがって学校の図書室で課題を進めたい。時間で終われるように少し早めに出勤しようかな、と、いつも思っているけど実行できずにいる。まあいいや。早めに休もう、と思いつつ夜更かしする。

明日はここに何を書こう。また明日考えよう。そのうちエドワード・ヤンのことについてはちゃんと書きたいな。じゃ、またな。

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