【No.1196】倍速でアニメをみる子どもたち

最近の学生さんは面白いですね。

「最近の」と言い方は避けるべきなんでしょうけど、アニメや映画を倍速で見るらしいですよ。音楽も倍速(笑)

僕が驚くと「友達みんなそうだよ」と言います。

「みんな」の具体的な人数は分かりませんが、アニメや映画を倍速で見る人は多そうです。何人かの生徒が言っていました。

僕なんかは倍速で見て面白いのかって思っちゃいますね。

友人との話題づくりのために話だけ追ってるとかなら分かるんですけど、

制作者側は、通常速度を想定して、挿入歌や「間」を調整しているんだと思うんですね。倍速で見るということは、そういう制作者側の意図を無視するということですから、作品を楽しみきることができないようにも思ってしまいます。

最近の制作者は倍速で見られることを想定し始めているのかもしれませんが。まあ、楽しみ方は人それぞれなので分かりません。

話は飛んで、ひょんなことから機会をいただき、霊験あらたかなアドバイスを頂戴しました。

僕がどういう方針で生きると良い方向に進むだろうかという点で

一言で言うと「諦めるな」でした。

結果の有無に関わらず、一歩を踏み出すこと。

そして、貫き通す覚悟を持つこと。

これ、僕は本当にいろんなところでアドバイスされることです。

集中せよ、やり抜け、覚悟を持て、一貫性だ、など

その都度、ああそうだったと引き戻されるわけですが、

これほどまでに言われるとなると、やはり僕にとって一番身につけるべき原理原則なのでしょう。

今回特に刺さったのが「結果の有無に関わらず」というところです。

これ、本当にあるんですよね。どうしてもコスパ・タイパを求めてしまうことが。

アニメや音楽を倍速にする、最近の学生さんもコスパ・タイパですよね。

僕はそれほどではないにしても、

これをやってどうなるか?これを続けてどうなるか?と、どうしてもコスパ・タイパの目で見てしまいますね。考えるともなく、無意識に考えてしまっているのだと思います。

でも、何が結果につながるか分からないですからね。

結果が読めることばかりを追い求めていたら、それは今の延長線上の成長であり、ある種、想定内のことしか起きないことになってしまいます。

つまり、想定外の飛躍はしづらいかもしれないですね。

僕自身の標語に「結果の有無に関わらず」という言葉を追加していきます。

ということで、今日も1日「優柔不断は誤った決定よりなお悪い」という言葉を胸に、結果の有無に関わらず、やり抜いてまいります!

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