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フェットチーネグミとホルモン、の話

 フェットチーネグミという商品がある。

「アルデンテな噛み心地!」というのがキャッチコピーの、絶妙な柔らかさをしたあのグミである。

 アルデンテ、という言葉が周知され始めたのもフェットチーネグミが登場してからなのではないか、というぐらいのやつだと勝手に思っている。

 アルデンテとは元々パスタの茹で方の一種で、ほんのちょっと芯を残して茹で上げることを言う。アルデンテの他には、ベンコッティという柔らかめの茹で方もあるらしい。

 なんとなくだけれど、みんなアルデンテを「美味しい茹で加減」だと思っているのではないだろうか。パスタといえばアルデンテ、ステーキといえばレア、みたいな。

 正しいかどうかは知らない。けれど、本当は「アルデンテは不味い」が正解だったら怖いな、と考えたことがある。僕らが勝手に「アルデンテ=美味しい」という意識になっているということだからだ。

 フェットチーネグミが「アルデンテ=美味しい」を広める役割を担ったかは別として、何らかの手段により僕らは「アルデンテ=美味しい」という認識を植え付けられてしまっている、ということになる。

 恐ろしい。人の認識というものを変えるのは実は結構簡単で、それこそ「アルデンテな噛み心地!」のようなちょっとしたキャッチコピーだけでころっと変えられてしまったりするのではないか。

 こんなことを言っていると「こいつは変な思想に取り憑かれてしまったな」と人々から距離を置かれてしまうかもしれない。なので少し話を別の方向に移してみる。

 昔読んだ小説でとても印象に残っているセリフがあって、おおよそ「人間の感情やら諸々は全部ホルモンのせいなんだよ」みたいな雰囲気の言葉だった。

 小説内では確か「だから気にするな」みたいなニュアンスで使われていたのだと記憶している。しかし当時の僕は、この言葉によって勝手に恐怖を覚えてしまった。

 小説でこのセリフを言った何某曰く、悲しいとか嬉しいとかの感情は、全てホルモンの分泌によるものだという。

 例えば飼い猫が死んでしまったとして、悲しくて涙が出るのは飼い猫が死んだことそのものに因るのではない。飼い猫が死んだことにより脳の中で「悲しみホルモン」が分泌され、その効果によって人は悲しくなって泣くのだ。

 つまり「悲しみホルモン」が分泌されなければ、飼い猫が死んでしまっても悲しくならない、ということになる。

 別の話もしてみよう。脳に腫瘍ができてしまったり脳の機能が低下すると、性格が暴力的になったり逆に何もやる気がなく無気力になることもあるらしい。

 脳の機能をちょこっと弄るだけで、今までの自分が崩れ去ってしまうのである。もしくはホルモンの分泌を抑えたり、または過剰にするだけで感情すら全く別モノになってしまうのだ。

 恐ろしすぎる。「自分」とはいとも簡単に別のものに変えられてしまうのである。僕はこういう怖さにめっぽう弱い。なおかつ、自分で勝手に考え始めて勝手に怖くなるものだから始末が悪い。

 こんなことを考えて、自分では抱えきれずに思わず「怖くない?」と友人に話してみたところ「そんなことを考えているお前が一番怖い」と言われてしまった。

 悲しいかな、その怖いという感情もまたホルモンのせいなのである。

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