傍流音楽記①少年、インディーズと出逢う

Twitterで音楽の話をしたら反応していただける方が多く嬉しかったので文章に起こします。本格的に音楽活動をしたりフェスに通い詰めたりはしておらず、たぶんCDを中心とした思い出話になる予定です。お手空きの際にご覧いただいて、あったなあ、と思って頂ければ幸いです。

小学校6年生を終えた僕は全能感に満ち溢れていました。

CDコンポを手に入れたからです。

当時、進研ゼミを受講していた僕は、赤ペン先生の課題を出すたびにもらえるポイントを貯め、遂に念願のガジェットを入手したのでした。CDコンポにはCDを聴くだけでなく、なんとMDとカセットに音楽を録音することができ、さらにラジオを聴く機能までもが搭載されていました。来るべき中学生活では大量に音楽が聴けるのです。僕は期待に胸を膨らませていました。

当時はCD屋がそこら中に乱立しており、僕が住んでいた神戸市垂水の駅ビルにも個人経営のレンタルCD屋さんがありました。なんとCDを買わなくてもお小遣いの範囲内で何枚でも音源を借りることができるのです。天才が考えたシステムだと思いました。とはいっても何から借りて良いか分からず、ひとまずは「速報!歌の大辞テン」でランクインしていたアーティストの曲を順番に借りていました。ですので、僕は2000年以前の名曲をほとんど通っていません。今もなおミスターチルドレンは「口笛」、ルナシーは「True Blue」、スピッツは「ホタル」を歌っていた人、というイメージです。

駅ビルの一階にはまた別のCD屋さんがあり(信じられない話です)そこで生まれて初めてCDを自費で購入しました。オセロケッツの「ESCAPE」というシングルでした。視聴して一目惚れして即購入する、という、その後20数年にわたって繰り返す流れの第一歩目でした。「あとさきのことなどもうどうでもいい 逃れ逃れて」という歌詞は今でもたまに頭をよぎります。RIZEの「Why I’m me」を初めて聴いたのもこのCD屋でした。しもきたざわ?というところにはかっこいいバンドがいるのだな、と感動した記憶があります。

そうしてJ-POPを中心に借りたり聴いたりしている中で、僕はちょっとした好奇心から、ある冒険を思いつきました。全く知らないアーティストのCDを借りてみるのです。当時はYoutubeどころかそもそもインターネットへの接続手段がなく、CD屋以外に視聴をできる機会はありませんでした。僕はジャケットだけを見て、できるだけ知らないアーティストのCDを5、6枚選んで帰宅しました。そして、僕の人生は大きく変わることになります。その中に含まれていた一枚、アーティスト名も曲名も英語で、よりによってハエが大写しになったカバージャケットのシングルによって。

え〜~〜何これ〜~〜!!!
すごい速い〜~〜!!!
あと日本のバンドなのに、歌詞が英語だ~〜~!!!
何これ〜~〜!!!
カッケ―――――――!!!

僕はNICOTINEのBLACK FLYSを繰り返し繰り返し聴き、頭を縦に振り(そうしたほうが良いと思ったからです)歌詞の日本語訳を試み、親に褒められ、教科書で習った文法と違いすぎて挫折し、親に叱られました。そして気づきました。歌の大辞テンで徳光さんと中山エミリさんが紹介していない、チャートに載っていないアーティストも実は、無茶苦茶かっこいいのだと。

レンタルCD屋さんには「インディーズ」というかなり雑な区分の棚がありました。僕は直観に任せ、手当たり次第に「インディーズ」のCDを借り、そのどれもがカッコいいことに驚愕しました。内訳としてはPOTSHOT、Mr.ORANGE、COCOBAT、小島、GELUGUGU、SNAIL RAMPなどです。ヌンチャクは棚に並んでいましたがジャケットが怖くて手に取っていませんでした。もっと早く聞いておけばよかったです。既にお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、僕はハイスタンダードを全く通っていません。大学に入ってから初めて「STAY GOLD」を聴き「めっちゃいい曲じゃん!売れるんじゃないのこのバンド!」と発言して場を変な空気にしたことがあります。

手あたり次第にCDを借りながら僕は「こんなの垂水で聴いているの俺だけに違いない」という謎の自尊心を形成していました。レンタルCD屋で入手している時点でそんなはずはないのですが。中学校に入学して英語を習い始めると、歌詞の中に知っている単語が現れはじめて嬉しかったです。たぶんこのくらいのタイミングで父から「英語の変な歌ばっかり聴いてるくせに英語の成績悪いやないか」と怒られたこともあります。

僕には中学に入学したらもう一つやりたいことがありました。深夜ラジオの視聴です。どうやら高校生は勉強中にラジオを聴いているらしく、それはとてもイケていることだという情報は掴んでいました。僕は21時代という完全に不良しか起きていないであろう時間に、こっそりとコンポのアンテナを全力で伸ばしてNHKの音楽番組を聴きました。そして再び、衝撃の出会いを果たします。歌詞が日本語なのに物凄くうるさく、そして猛烈にかっこいい曲が終わった後、嘘みたいに冷静な声でアナウンサーの方が言いました。

「GOING STEADYで、『東京少年』でした」

傍流音楽記②怒涛の青春パンク時代へ に続く。

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