傍流音楽記④関西ゼロ世代の洗礼

大学に入って一番最初に行ったライブハウスは梅田HARDRAIN、お目当てはミドリでした。当時クイックジャパンに掲載されていた記事に「セーラー服でデス声を出す女性ボーカリストがいる」と記載があり、これは絶対に観に行かなければと思ったのでした。直接関係はないのですがクイックジャパンの別の記事で朔ユキ蔵先生の「少女ギターを弾く」が言及されており、ミドリを思い出すとき常に一緒に想起されてきます。特集では「関西ゼロ世代」という言葉が頻繁に使用され、ZUINOSHIN、オシリペンペンズ、巨人ゆえにデカい、そしてミドリなどが取り上げられていました。

ひとりでいく初のライブハウスでした。bedとxbxrxが対バンで出ていたと記憶しています。ミドリのライブは想像以上に凄味のあるものでした。ギターボーカルの後藤さんは客席に突っ込んできて客を掴み、痛いですと言われて即座に謝っていました。最後の曲では壁によじのぼり2階の出入り口からそのまま帰っていました。僕は茫然と立ち尽くしてしまいました。ライブハウスってこんなにヤバいのかよ、と。

それから僕はミドリを追いかけるようになり、初めて物販に並んでグッズを買いました。会場で販売されていたうちわと、山本直樹先生のイラストが入ったTシャツはたぶん今でも持っています。そして、ミドリを追う過程で必然的にたくさんの変わったバンドを観ることになります。YOLS IN THE SKY、夢中夢、溺れたエビの検視報告書、DODDODO、クリトリックリス、赤犬などです。特にドブラノツさんにはめちゃくちゃお世話になりました。関東の家に泊めていただいたり、いっしょにWITHIN TEMPTATIONの来日公演を観に行ったりもしました。また、夢中夢の皆さんにもお世話になりました。明確に「ブラックメタル」という単語を認識したのは夢中夢がキッカケだったと思います。ベアーズで開催された単独ライブや、インストアライブや、夢中夢・溺れたエビの検視報告書・アーバンギャルドの3マンを観に行ったりしました。夢中夢の女性メンバーが出るオールナイトイベントを観に行き、そこでボディサスペンションと北村早樹子さんのパフォーマンスを見て、俺、人前に立つときこのくらい頑張ってるか?気合を入れないとダメなんじゃないのか?と頭のスイッチを一個切り替えることができました。

この時期に覚えているのは今は無きフェスティバルゲートで開催されたサーキットイベントです。フェスティバルゲートというのは使用されていないジェットコースターのレールが巻き付いた変なビルで、BRIDGEというライブハウスとcocoroomというライブスペースが入っていました。ワッツ―シゾンビ、ストロベリーソングオーケストラ、DODDODO、フレアオッズ、そしてミドリを観た記憶があります。恐ろしくも楽しい経験でした。

恐ろしいといえば先述した難波ベアーズへの恐怖感も相当なものでした。地元の垂水の書店で読んだインディーズイシューのコラムには「死体が転がってそうな町」と書かれており、行ってみたら本当にそう感じました。そんな恐ろしいライブハウスで、僕はなぜか落語をしたことがあります。だれでも参加できる新年会のようなイベントでした。上演終了後(全くウケませんでした)むかしナインティナインもここに出ていたよ、とスタッフさんに言われました。絶対に僕をバカにしてフカシているのだ思っていましたが、あとあと調べてみると本当の話でした。これも貴重な経験になりました。

人生初の単位を落としたのも、ミドリの後藤さん・小銭さんがユニットで出ているライブを観に行った翌日でした。共演の中学生棺桶の当時のベーシストの方に「大学って外から知識が入ってくるからいいですよね」と仰ってもらった翌日にテストに遅刻、単位を落としました。これがきっかけで大学への意欲を一気に失い、結果、相当苦労することになるのですが割愛します。

この時期に得られたのはライブを観る幅だと思っています。なんだかよく分からないものが出てきたときによく分からないからとハネるのではなく、いったん面と向かって、すごいかすごくないかで判断するようになりました。あの時期に時間のある大学生で良かったなと思っています。

並行して聞いていたハードコアについては別掲いたします。


傍流音楽記⑤神戸、京都、そして大阪に続く。

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