傍流音楽記⑦THE IDOL IS COMING

2012年頃の僕は死にかけていました。全く望んでいない単純な仕事とそれすら全然果たせない自分と、次々に人生のステージを引き上げていく友人たちをどうしても比較してしまい、お酒に逃げても現実は変わらず、マジで全部自分で終わらせることしか考えられませんでした。

これはもう耐えられないと思い、趣味を作ることにしました。アイドルとかいいんじゃないかと漠然と思いました。おりしも巷では何度目かのアイドルブームが起きていて、この波に乗ってオタクに擬態しようと思いました。

ハマるにあたり本命としたのは清純派のご当地アイドルでした。そこにハマるために、もう少しランクの低いアイドルを観ようと考えました。当時はどこまでも比較することでしか物事を考えられませんでした。明らかに色物だとわかるやつ、アホみたいな曲名のやつ、いかにも地下アイドルという感じのやつ。Youtubeで検索したら、ドンピシャの曲を歌っているうってつけのグループがいました。僕は踏み台にするつもりで動画を再生しました。

気が付いたら、朝になっていました。嘘つけと言われるのですが本当にそうでした。踏み台にするつもりだったグループの曲がどうしても気になってしまい、もういちど再生すると別のところが気になり、を繰り返していたら夜が明けていました。僕はそれでも、動画を再生しつづけました。
アホみたいな曲名は「でんぱれーどJAPAN」。
そのグループは、でんぱ組.incという名前でした。

僕はでんぱ組.incのオタクになりました。人生で何かにハマったのは初めての経験でした。といっても、自分のことをコアなオタクだとは思えませんでしたし、今も思っていません。秋葉原まで行きライブを初めて見て、本拠地としている秋葉原ディアステージにも行き、MARQUEEを買い、ファンブックを買い、verが違うシングルCDが出れば全部買い、東西どちらの野音のコンサートにも行き、ライブDVDも全部買い、ファンクラブ「でんぱとう」に入ってコールとMixをぜんぶ覚えたくらいです。自分より熱意があり、ユーモアと行動力に溢れる素晴らしいファンがたくさんいたので、自分を強いオタクだと思ったことはありません。

ただ、周囲から見ると変化は顕著だったようです。それまで富士の樹海の話ばかりしていた男が、でんぱ組の話ばかりしだしたら確かに不気味でしょう。完全に無意識で、りさちーの自己紹介を一言一句ぜんぶ口から出して職場で注意されたことがあります。家にテレビがなかったため、でんぱ組.incが出る「ごきげんよう」を見るためだけに帰省したこともありました。

僕が2013年に社会人落語の大会で優勝した時も、楽屋でずっとでんぱ組を聴いてました。どうしても自分に自信が出ないけれど、それでも勢いが欲しい時、でんぱ組は最高の処方箋でした。

でんぱ組は2014年にかねてから目標としていた武道館公演を行いました。もちろん参加しました。でんぱ組の悲願は僕の悲願でもあったからです。本当にたくさんのお客さんがいて、たたき上げでもここまでやれるんだと感動しました。台湾から帰国してライブ観に来ていたオタクの方がいて、全員の強い気持ち、強い愛がここに結実しているのだなと強く印象に残りました。
「WWD」で行われた、ディアステージと同じサイズの舞台から回想映像を挟み、一気に武道館の広いステージへ飛び出していく演出、マジで一生忘れないと思います。

追いかけ続けた理由に、行くライブ行くライブ本当に良かったことがあげられます。一番遠くだと北海道まで遠征しました。京都の丸太町メトロという小さなライブハウスで、至近距離で最高のパフォーマンスを見れたことをいまだに誇りに思っています。京都のライブに関しては、メトロを出た直後に新婚の友人夫婦と会い鴨川に飛び込もうかと思ったとたん雪が降り始めたことも含めて詳細に覚えています。

曲がマジで良かったのも応援する理由のひとつでした。キラキラチューンもサクラあっぱれーしょんもでんでんぱっしょんも聴けば聴くほど輝いています。個人的にはバリ3共和国が好きです。音質へのこだわりや曲提供の方、カバー元の音源を調べたりと、アイドルひいては音楽の楽しみ方を改めてでんぱ組に教えてもらったように感じています。

でんぱ組を通じて学んだことは多々あります。めちゃくちゃ基本的なことで言うと「旅行にいくなら計画を立てて宿泊先を予約する」「誰かに迷惑がかかるかもしれないから嫌な行動をしない」「誰かが悲しむかもしれないから自暴自棄にならない」といったことを、でんぱ組を応援する過程で学びました。それまでの僕は計画を立てて何かをすることと感情のコントロールが全くできなかったので「この行動をとってでんぱ組に誇れるか」という指針で行動できるようになったのはありがたかったです。生き方についても学ばせてもらったと勝手に思っています。この時期に強く感じたことは3つ。「選ばれなかったことは言い訳にならない」こと「結局やるかやらないか」ということ、そして「人と比べても仕方ない」ということです。

僕は、でんぱ組に救われました。
でんぱ組がいなかったら今ここにいないのは確実です。
いま思い返してもこの時期は本当に辛くて、あの時、あの動画を再生していなかったらどうなっていたかゾッとします。傍から見ていたら非生産的なものにお金と時間をつぎ込んでいる謎の人間だったと思いますが、そのお陰で今こうして文章を書けていると思うと不思議な気持ちになります。

先日、でんぱ組.incは2025年の活動終了をアナウンスしました。
僕の今の目標は、2024年のうちに激烈に売れて、でんぱ組と仕事をすることです。夢で終わらんように、でんぱ組を聴きながら、頑張っていきたいです。

傍流音楽記⑧戦国時代のただなかで に続く。

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