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ウズベキスタンへの片道切符Ⅱ Bukhara

Rahmat (ラフマット)!
ウズベキスタンで過ごした8日間、この言葉をたくさん使った。ウズベク語の「ありがとう」


ひょんなことからウズベキスタンに行ってきた写真家が綴る「ウズベキスタンへの片道切符」
今回はブハラへ行ってきたお話。
前回のタシケント編はこちら


ブハラの街

首都タシケントが東京ならブハラは日本の金沢のような街だろう。人口は約28万人、シルクロードの中継地として栄え、旧市街地がユネスコの世界遺産に登録されている歴史深い都市である。
タシケントとは約500km離れており移動は飛行機が便利だ。我々も朝早い便でブハラへ移動した。

ブリッジはないスタイル


ウズベキスタンに行ったことのある友人たちが口を揃えて「ブハラとヒヴァには必ず行ってほしい」と言う。今回は時間の関係で泣く泣くヒヴァは諦めたのだが、ブハラの街に着いて初めて彼らが言っていた理由がわかった。

チャリ通のおじさま

流れる時間が、タシケントと違う…!
曖昧な言い方ではあるが、朝早くホテルにチェックインして街に出るとそれを感じた。
明確に言語化するならば、信号のない道路を横断する人々の動きや、土埃を舞いあげ街中を走る車、土が丸出しの崩れかけた建物がタシケントにはないものばかりなのだ。

日本の都内に住んでいる人が、郊外の田園風景や、長閑な山あいの集落を見て「懐かしい」とか「穏やかで落ち着く」と感じる。それと同じで、ブハラには都会にはない少しだけゆっくり時を刻む空気と、落ち着きのある人々が暮らしていた。
旧市街地の近くにある我々が泊まったホテル街は車も入ることができない。歩く人か自転車のみが行き来できる。

細い路地が多い
土埃舞う道路沿いのナンshop
街角ねこちゃん


命を救い、命が尽きるカラーン・ミナレット

ミナレットとメドレセ
ミナレットの台座。模様はひとつではなく
パターンをかえていくつもの模様が施されている
細かな作業で気が遠くなる


カラーンとは「大きい」の意味。その名の通りブハラの街で1番大きいミナレット(塔)は1127年に建設された。ブハラと検索すると必ずここの写真が出てくるほど、ブハラを象徴する場所でもある。

シルクロードを渡る旅人やキャラバンは、夜が深い暗闇でもこの塔が灯してくれる光を元に、ブハラにたどり着いたのだそう。その光景を思い浮かべると心が波打つ、ロマン溢れる場所なのだ。
その反面、この塔では罪人の処刑も行われていた。その手段はミナレットの上から突き落としていたという。

夜、カラーンミナレットのふもとで

大陸を渡り疲れ果てた人々の心の灯火にもなり、罪深き人々が見た最後の光でもあるカラーンミナレット。
900年もの長い歴史の中で、この塔は人間の生と死を見つめてきたのだと思うと、ぬるりとした決して居心地が良いとは言えない感覚になった。

歩き続けた旅人が見た灯火

ホテルから住宅街を少し抜けると10分ほどでカラーンミナレットに着く。そのくらい街がコンパクトで大抵は歩いていけるのがブハラの良いところだ。海外からの観光客で賑わう街だが、ウズベキスタン国内からも訪れる人が多いのも特徴的。

カラーンミナレットまでの道のり
丸いぽこぽこした屋根の建物はタキ・バザール
お土産屋さんのかわいいチェス
色が少ない街並み

カラーンミナレット周辺は観光業がさかんで、お土産屋さんも所狭しと並んでいる。見慣れないカラフルなチェスや、スザニと呼ばれるウズベキスタン刺繍の布製品。
ベージュの冴えない色をした土の街がお土産のおかげで色を取り戻す。買い物好きな私はあちこちの軒先で店内を眺めた。

お土産屋さんに射す光が優しい
おしゃれなぼうや
ナンに模様をつける針売ってた


ミナレットの前の広場では沢山の人たちが撮影に興じている。ウズベキスタンの冬は厳しいと聞いていたが、2024年は日本をはじめとする世界中が暖冬で、この日は13度ほどあった。それでも現地の人の服装は冬らしい毛皮の帽子に厚めのコート。子供たちもかなり着込んでいる。

カラーンミナレット前の広場のおじいちゃん
一緒に写真を撮ってくれと大人気の日本人
ウズベキスタンの赤ずきんちゃん
もふもふ帽子
ウズベキスタンの親子
カラーンミナレットの麓にあるメドレセ
自転車の忘れ物
そういえばゴミ箱も至る所にあった
モスクのてっぺんとお月様
靴をほんなげるのは世界共通か
お気に入りの写真

結局撮影が楽しすぎて、気がつくと4時間ほどをこの場所で費やしていた。少し疲れた体を休めるため、10分ほどかけてホテルに戻る。
帰る道すがらも撮影は怠らない。

笑顔で手を振ると笑顔で返してくれた


治安が良すぎる夜のブハラ

ミナレットの細工が美しすぎる

ホテルで少し休憩をしてエナジーを養い、日が暮れたブハラの街を散策する。
タシケントでも感じたことだが、ウズベキスタンは治安がとても良い。正直な話、経済的に発展していない国、下水道をはじめとするインフラが整っていない国の治安はあまり良くないイメージであった。(もちろん先進国でも治安が悪い国はあるが)

しかしウズベキスタンは驚くほどに静かで安全を感じる。夜道を歩いていても怪しい人がいない。いやむしろ人がほとんど歩いていない。インドでは道を歩けば当たるほどいた物乞いも、ほぼいない。
おかげで夜の撮影も警戒心丸出しで歩かずに済んだ。

昼間はたくさんいた人も少ない
窓格子から漏れる光が作るアート
現地のチャリボーイ
お土産屋さんの明かりが暖かい
帰りの道すら美しい



アルク城の犬

ブハラにはいくつかの名所がある。そのうちのひとつ、アルク城。1920年にソ連軍に破壊されてブハラ・ハーンが滅亡するまで、歴代のブハラ・ハーンの居城だった。

個性的な城壁が美しい

この城が最初に建設されたのは13世紀だが、破壊され再建するを何度も繰り返し、現存しているのは18世紀に建てられたもの。城を壊し支配することが全てであった時代に比べると、現在の穏やかな暮らしはとても尊い。

その城の周辺では自転車をレンタルしてまわることができる。1台300円で、制限時間はないあたりがウズベキスタンらしい。4人乗りをレンタルした。

4人乗りも1台300円
自転車を漕ぎながら空を見上げる

30分ほど城の周りを散策し、冬らしからぬ気候にアイスを食べたりして楽しんでいると1匹の犬が城の入り口から顔を出した。

ぴょこり

カメラを向けても怖がる様子がなく、むしろ興味を持ったのか階段を駆け降りてくる。


私は無類の犬好きで、日本ではもちろん海外でも飼い犬を見ると寄って行ってしまう。しかし、海外では野犬に絶対に触らない、無闇に近づかないのが鉄則。なぜなら野犬は狂犬病の恐れがあるからだ。
現在、日本では狂犬病は絶滅していると言われているが、日本や英国など一部の国を除いた世界全体で毎年数万人が狂犬病で亡くなっている。もちろんウズベキスタンでも年間数十人ではあるが、感染して亡くなっている。

警戒した私は、犬を刺激しないようじっと立って動かないでいた。すると階段を降りた犬は少し目を細めたような顔をして、私から2mほど離れた場所で立ち止まりスッと伏せをした。

可愛い…撫でたい、しかしだめだ、危ない!でも可愛い…葛藤する私の気持ちが伝わっているのか、犬も動かず少し警戒しながらこちらを見ている。
撫でたい気持ちを抑え、カメラを持ち上げると特に気にする様子もなく周りを見渡した。

いい子だった

美味しいご飯もらいなさいよ、心の中で呼びかけてからその場を後にしたが、ついてくる様子はなかった。

変な形をしている城壁


ブハラからサマルカンドへ

1日目の朝9時に空港に降り立ち、2日目の夕方には列車でサマルカンドへと移動する1泊2日のブハラ滞在は満足しかなかった。
あくせくする人もいなければ、旧市街の道に信号が見当たらない、青空とベージュ色しかない街並みは舗装されていない道が多く常に土埃が舞い上がる。
冒頭にも書いたが、間違いなくタシケントより時間の流れが遅く感じるブハラ。ブハラで生まれ育った人が大阪に来たら、人の多さと歩くスピードの速さに卒倒してしまうのではないかと思う。
決して長くはない滞在だったが、もしまたウズベキスタンに来ることがあるならば必ず再訪したいと思えるほど居心地の良い街だ。

よく晴れた日が続いた


ブハラ市街からライドシェア、Yandex Goを使い駅へと向かう。これからウズベキスタンの象徴でもある青の都サマルカンドへ行くのだと思うと、胸の高鳴りは抑えられなかった。

ホームへ渡るひと
ウズベキスタンの車掌は高給だそう

ブハラからサマルカンドまでの電車賃は2500円程度。チケットはUzurailways ticketsというアプリから予約した。日本のクレジットカードも使用できる。どうやらこの便利なシステム、コロナ以前はなかったようで現地で言葉の壁にぶち当たりながらなんとか予約した人たちのブログをよく見かけた。

ウズベキスタンの列車は基本オンタイムで動く。日本とほぼ同じだと思っていて良い。インドでの、時計のない世界なのか、と思うほど遅延が常習の運行に慣れていた私はむしろオンタイムで動くことにささやかな戸惑いすら感じた。
また列車内は日本と同じとまでは言えないが、物価の安い国としては非常に綺麗だ。
車内のトイレもきちんとペーパーが備え付けられていた。

思ったより綺麗

ただ、ここでひとつ日本の皆様に伝えておきたいことがある。
ウズベキスタンはとても綺麗で安心安全な国だが、トイレットペーパーだけはどうしても受け入れられない。

古紙再生紙がすぎる

トイレに置かれているから、かろうじてトイレットペーパーだと認識できるそれは、縮れた藁半紙である。手に持つとそのザラリとした感触が、お尻を拭くものではないことを教えてくれる。生まれてこの方、一度たりともこんなに硬い紙で拭いたことがない。キッチンペーパーの方が柔らかいのではないか。
しかし用を足して拭かないわけにもいかず、これもまた人生の経験として語れる一遍であろうと意を決して使ったものの、そのことは2度と経験したくない思い出となった。

ウズベキスタンに行く前、両親に行くことを伝えると父が言った。「働いていた会社では日本政府からのお達しで、ウズベキスタンにあらゆる技術指導へ向かう同僚がいた。」と。

恐らくそれらの多くはこの列車や、インフラなどの整備のためだったのだろうが、全てのトイレットペーパーをある程度柔らかくする指導もしてもらいたい。

夕焼けを背にして進む

到着までの2時間余り、夕暮れの景色を楽しみ、タシケントで買ったナッツなどを頬張っていると想像以上に早くサマルカンドへ到着した。

明日から私の視界は青一色となる。


つづく

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