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その6、福祉を「仕事」とみると課題すらみえてこない

行政に関することを綴っておきたい。結論としてはタイトル通り。つまり暮らしを一本道にして考えていこうよ、ということ。ひとつは2年間の任期で「外部評価委員」として福祉・子育て・教育・くらしを横断したのべ62の事業評価を横行なった経験から。もうひとつは、半年間に渡り、一人暮らし高齢者の家を訪ね広報誌を届ける見守る係を担った経験から。 ①縦割りに”暮らしの”メリットはない ②「玄関先まで」が止める生身の関わり、最後に ③あとほんの少しだけ「公」と「私」を行き来して というところまで。

①縦割りに”暮らしの”メリットはない

2年間「外部評価委員」をして感じ続けたことは、暮らしを分ければ分けるほど課題すらみえてこない。でも仕事はできるということだ。どういうことか。
「外部評価委員」とは行政が実施した事業に対する、「区民と専門家等によるチェックのしくみ」のこと。何をするかというと、例えば【特別な支援を必要とする児童・生徒への支援(所管課:教育委員会事務局)】【高齢者の社会参加といきがいづくりの拠点整備(所管課:福祉部)】などといった事業がある。それぞれの所管課がまとめた資料・いわば報告書を読み込み、所管課の長や関係者にヒアリングを行い、最終的に外部評価委員として事業評価した資料をアウトプットするのが仕事なわけだ。
この資料読み込みに膨大な時間がかかる。でも所管課と交わすヒアリングの時間は生命線であるから、一つの事業に多いときには10個以上事前に質問を提出しヒアリングで答えてもらうこともあった。でも、ずっと課とのやり取りは噛み合ないのだ。

例を挙げると、【特別な支援を必要とする児童・生徒への支援】の事業。なぜある児童は特別な支援を必要とすることになったのか、という点まで至らない。常に対処療法のように、増え続ける外国人児童の対応に明け暮れる。そう、こうした仕事はできる。本質を問う思考よりも業務があればそこに取り組むことができるからだ。こうした姿勢を責めたいわけではない。

ただ、こうして細分化された縦割りの管理方法と、根本解決が提示されないままでは、私たちの暮らしの課題の解決には至らず、暮らしている側のメリットが生まれない。

②「玄関先まで」が止める生身の関わり

半年間、2人のこどもを連れて、月2回、人暮らし高齢者の家を訪ね広報誌を届ける見守る係を申し出た。こちらは無報酬。管轄する協議会の人の説明を受ける。届けることをきっかけに何気ない交流を育んでください。「ただし玄関先まで。」これをやたら強調されることに違和感が残った。もちろん、言いたいことはわかる。(私はやたらめったら否定したいわけではないので)だけれど、現場が始まると生身と生身のコミュニケーションにおいて、「玄関先まで」という制限への違和感が私のまわりをぐるぐるする。

例えば、Aさんという半年間担当した方は自宅に音楽スタジオを持っていた。グランドピアノもあり音楽がよほど好きなのだろうと察する。一方当時の私は、息子とウクレレを習い始めていて、音楽の楽しみを感じ始めていたころ。さてこの状況において、Aさんときっと盛り上がること間違いなしなのだ。でも、「玄関先まで」が私を止めてしまった。私は半年間、当たり障りのない話ばかりしか、行なえなかった。(ここでの経験は必ずや糧にしたいと強く思っている。)


これって、私だけが感じる制限ではないと思う。「玄関先まで」という言葉は、「心と心を通わす手前まで」に置き換えられていく。
自宅もしくは施設内への訪問介護・看護、リハビリや口腔ケア、薬剤の話など多種多様なひとたちが高齢者と関わるとき、きっと心の隅で感じ続ける虚しさにも似た気持ち、なのではないかな。

③あとほんの少しだけ「公」と「私」を行き来して

行政やそれに委託される団体と密に仕事や関わりをもって2年。結構辛辣に言いきってしまっておいてアレだけれど、行政と私たちって暮らしをつくるパートナーとして本当に意味で手を取り合っていくものだと信じている。ただ、あまりにも「仕事」となり、暮らしそのものすら分断して考えるものだから、いまいち私たちの暮らし側に降りてきていないのだ。
もっと、みなで問いたいな、と思う。

「自分の子どもが障がいを持っていたら、あなたはどうする?」
「自分が年を重ねたときに、「玄関先まで」という制約付きの訪問者に来て欲しい?」
「自分が今している仕事は、暮らしのどの部分であり、何が根本の原因で、どんな未来が待っているの?」


仕事を全てじぶんごとにする必要はないし、ある程度ドライな距離を保つ必要はある。だけれど、今よりほんの少しでも、「公」と「私」の間を行き来できる行政職員が増えて欲しいなと願う。そしてそんな人と問い続けながら課題と向きあい、未来を創っていきたいなとそう思う。

次回は、こんな人と一緒に福祉の再構築を考えていきたいな、という「人」について残していきます。まあつまり、仕事をする上での基準ですね。誰とするかで仕事が創られていくわけだから。

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このnoteは、2018年6月ごろまでの私の頭の中の備忘録です。
自身の生い立ちから有料老人ホームの立ち上げ・運営、
デンマークへの留学、「長崎二丁目家庭科室」の運営などから、
福祉の再構築という大きな問いへの小さな実践を残します。
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私、藤岡聡子については、下記記事を読んでみてください。
・灯台もと暮らし
【子育てと仕事を学ぶ #1 】藤岡聡子「いろんなことを手放すと、生死と向き合う勇気と覚悟がわいてきた
・月刊ソトコト 巻頭インタビュー
・soar
「私、生ききった!」と思える場所を作りたかった。多世代で暮らしの知恵を学び合う豊島区の「長崎二丁目家庭科室」
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