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その5、「逃げる」ために、私は「混ぜる」選択をする

「逃げる」ことは決してネガティブではないその対象が死や老いであってもそうだと信じている。本人にとって、自分の寿命を感じていくことは限りなく苦行だろうと思う。そしてそれは決して他人と分かち合えるものではないし、しなくてよいものだと思う。だから「混ぜる」ことで「逃げる」、逃げられる環境を用意することくらいは、せめて用意したいと思っている。今回は大きくわけて ①直視しなくていい余白をつくる ②「ただいま」「おかえり」だけで十分 ③もう一度言う、支える発想から共に生きるという発想 から綴りたい。


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①直視しなくていい余白をつくる

本人が病床にいても、老いても、「綺麗だ」「可愛らしい」「美味しい」「楽しい」「嬉しい」などという快の気持ちは大なり小なり持てる。余白を持つには、この快の気持ちを保てる人的・物的環境をつくることから始まるのだと考えている。

私たちは、元気だったころの本人と今を比較する。そしてそれを感情たっぷりに直視してしまう。ああ、私のこと忘れたんだ、ああ何か独り言増えたな、昔は言わなかったのにな、そんなことが顔に書いている。そうして焦りだすのだ。何か、目の前の本人から聞き出しておかねばならないと焦り出す。

だけれども、すぐに亡き後をどうして欲しいか、今までの人生どうだったのかなどという話を必ずしもすることはないのだと思う。その作業は・・・、本人も家族も、みな誰もが本当に苦しいから。

5年前に当時59歳だった実の母を看取る前の約2ヶ月間、母とはそういった核心めいた話をしなかった。正確にいうと”出来なかった”。母は自分の死期を完全に悟っており、今さら亡き後の話をする気力さえ持てていなかったように思う。そんな母と私を結んでくれたのは、母乳をよく飲むぽちゃぽちゃした8ヶ月の息子だった。無論母にとっては目に入れても痛くない最愛の存在だったろうに、その孫を抱く力もないのだから、保健師でもあり子ども好きだった母の無念さは計り知れない。
母は孫といるとき、終始笑顔だった。力を振り絞り孫をなでた。可愛い、可愛いと何度も繰り返した。
母も私も、そのほんのひととき、快の気持ちを保ったその余白の時間に、そっと救われていた。母の看病、介護は辛かった。でもこのひとときだけはどうか続いて欲しいと願った。

②「ただいま」、「おかえり」だけで十分

「混ぜる」とはいうものの、やみくもに誰もをいっしょくたにしようというものではない。高齢者が子どもが好きという前提で、何かしらわざとらしいプログラムを組むのはやめておきたいし(子どもが嫌いな高齢者だってもちろん居るからだ。もちろんその逆だってある。)、慰問のようにその出来事が非日常になることもやめておきたい。とはいえ、すべて2010年に住宅型有料老人ホームで実際に私がコーディネートをした経験からそう思うのだ。

老いや病床にいる人と、そうでない人たち、例えばこどもたちやその親や地域に住む人々。時々の訪問客。そのひとたち同士で「ただいま」「おかえり」を言い合うだけでいい。もうそれでかかわり合いは十分に出来ている。
互いに顔を知っていて、挨拶をする。天気の話、快の気持ちを互いに交わし合う。たわいもないことを話せるからこそ、時を重ね核心的な話になることもあるだろう。もちろんならないかもしれない。でも、無理して人間関係をつくるほど大変なことってないでしょう?


無理はしない。あくまで暮らしの中で、年齢も障がいも性別も多様な人が、「ただいま」「おかえり」を言い合うだけ。私の「混ぜる」はこういうこと。そうして、ほんのひとときそっと死や老いから「逃げられる」空間をつくりたい。

③もう一度言う、支える発想から共に生きるという発想

ある知人が、2020年に開校を目指している、幼小中・混在型の学校をつくっていると耳に挟んだ時から、胸の高鳴りが止まなかった。「分けるから混ぜる」、「同じから違う」という言葉を使って、学校という単体にとどまらず、いかに地域とつながっていくかまで視野に入れた学校づくりの考え方が私を突き動かした。この学校づくりをする人たちならば、暮らしの中で、年齢も障がいも性別も多様な人が、「ただいま」「おかえり」を言い合う混ぜ方を実現できるかもしれない。

結論からいうと、現在2020年に向けて、この学校と真向かいに、「医療、介護、福祉がぐるりと混ざった場所」のスタートに向けて、ある医療法人と打ち合わせを重ねている。

ここでもさわりを十分に綴ったのだけれど、もう一度つなげておくと、

人の助け・支えがいる人と、支える人。この両者の意識下には圧倒的に差がある。一方は申し訳なさや情けなさがあり、一方はそうではない。ここに”優しさ”の怖さがある。この怖さを越える発想は、「分けるから混ぜる」である。ケアされる人とケアする人だけにしない。(その3、なぜ「多世代交流」を表立って使わないのか

このケアされる人とケアする人だけにしない、という実践の結果は、この先何年もかけていきたい。

次回は、2年間務めた行政の事業評価(福祉全般)について、今の行政やその委託先について感じたことを少し綴っておきたい。


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このnoteは、2018年6月ごろまでの私の頭の中の備忘録です。
自身の生い立ちから有料老人ホームの立ち上げ・運営、
デンマークへの留学、「長崎二丁目家庭科室」の運営などから、
福祉の再構築という大きな問いへの小さな実践を残します。
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私、藤岡聡子については、下記記事を読んでみてください。
・灯台もと暮らし
【子育てと仕事を学ぶ #1 】藤岡聡子「いろんなことを手放すと、生死と向き合う勇気と覚悟がわいてきた
・月刊ソトコト 巻頭インタビュー
・soar
「私、生ききった!」と思える場所を作りたかった。多世代で暮らしの知恵を学び合う豊島区の「長崎二丁目家庭科室」
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