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その4、その言葉、その姿勢は目の前の人の「自立」につながっているのか

ちょっと刺激的だけれど、一番根っこにある考え方を。3つに分けて ①昼間と夜間の圧倒的な違い ②人生の主役は「当事者」か「支援者」か ③生への納得感を生むために ということから、今考えていることを言語化していきたい。

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①昼間と夜間の圧倒的な違い

”優しさ”の怖さについて常々感じてきた一方で、ある一定の期間、優しさとは無縁の生活を送って来たことを思い出している。私は三重県のある夜間定時制高校出身者だ。その高校名を聞くと、10人中10人が驚く。「え!あそこって卒業生いるの?」とまあこんな感じだ。1学年2クラスの1年1組、27人の私のクラスは2年次には出席する生徒が半分以下になり、3年次には2組と合併。3年間で卒業した人(夜間定時制高校は通常4年かけて卒業する)、途中で編入してきた人を含まず考えると、純粋な1年1組から卒業した人は、私を入れて2人のみだった。


夜間定時制高校は、ドロップアウトしてきた人たちの集まりであり、巣のような場所だと思っている。(卒業生がいうのだから多少の表現は許してください)

戦争で小学校を卒業して以来勉強できなかったからという理由で入学した当時80代の人、ずっと不登校だった人、一旦昼間の高校へいったものの退学してやむなし入学した人、中学の内申点がつかないほど何かをやらかし夜間定時制高校しか受からなかった人、髪の毛の色も、乗っている単車、車も、年齢も、もちろん私と同じ境遇など誰一人としておらずもう眩暈がするほど多様なものが「混ざっている」環境だった。繰り返してしまうが、普通ならこの年齢で入る高校生活で、誰が格好いいだとか授業何をとるとか同世代で同じ制服を着て似たような(つまり普通に)勉強してきたレベル感の人たちと過ごすことになるはずなのに、私には一切そういったものがなく、目に映る全てのものが「違っている」ものだった。(正直いって、中学で誰もが同じ制服を着る環境に息がつまり、髪を溶けるまで染め、家出ばかり繰り返して、”私はあんた達とは違う”と抜け出したと思ったら、今度は「私たちみんな同じね、だから一緒に悪さしようね」と肩組んで誘ってくる友人らには飽き飽きしていたから、夜間定時制のそれはそれで本当に新鮮だった。)

さてここまで全てのものが混ざり合い、違うものとして集まってくると、「自ら選択し行動せよ」という、なかば半強制的にしなければいけないことが始まった。こんなことは人生で初めてだった。つまり、もう後には引けないのだから。(このドロップアウトの場からドロップアウトしたら、もう行き先がないかもしれないという、今思うと正直最初はそんな恐怖もあったことは残しておきたい。)

具体的にいえば、どんどんクラスメイトが授業をさぼり始める中で最初は一緒になってさぼるものの、「でも私はどうしたいのだろうか」「私は何をしにここにいるのだろうか」「今この行動は自分の少し先の未来につながっているのだろうか」を問答し始めるようになる。今思い返すと、これが「自立」へのトレーニングだったと思う。完全に混ぜられ、自分と姿形も明確に違う人たちとの環境の中で、「個を強く」意識した。そして「個を強く持つ」という決意は行動となり、卒業式には答辞を読むまでとなった。一般的には非日常にみえる、年齢も経験もバラバラな人たちの集まりでの4年間は、私に「自立とは何か」を色濃く教えてくれた。もちろん優しい人たちもいた。でも優しさだけでは納得感をもった自立、つまり自己決定の連続にはなり得ないことも多く学んだのだ。

(この「混ざっている」「違っている」については、長野県は軽井沢町に2020年に出来るある学校が掲げている言葉にもつながってくる。それは次回に続けたい。)

②人生の主役は「当事者」か「支援者」か

ここで少し話を最近に戻す。2015年、実の母親の三回忌が終わったあと、20代で最後のチャンスと思い、北欧はデンマークに留学をした。(ここでの気づきはこの 連載 に詳しい。)結論からいうと、デンマークの高齢者福祉3原則(介護3原則)と、2010年の老人ホーム立ち上げからどっぷり浸かってきた日本のそれとは、まったく真逆のアプローチで成り立っていて、その違いをまざまざと見せつけられたことに衝撃を受けたのだった。

つまり、デンマークでは「当事者」から成り立つ3原則であり、日本は「支援者」からみて成り立つ3原則だと読み取れる。ちょっとひねくれた見方かもしれないが、実際の現場は「当事者」の意見から始まっているのが、デンマークの福祉、つまり幼児期から障がい、老年期に至るまでの環境だったのだ。そしてそのデンマークは、2013年国連調査 において「世界一幸せな国」だと国民が答えている。

③生への納得感を生むためには

人は自分の経験則からしかものはいえないというが、恥ずかしながら私もその1人であり、まだまだ出られないかもしれないが、この③の問いにはこう答えたい。「自立した当事者の自己決定の連続が、生への納得感を生む」

例えば、長崎二丁目家庭科室はなくなってしまったが、自分たちで集まり、続けると決めた編み物の会のグループは、今後色々と課題は出てくるにせよ、自分たちで決定していく楽しさは生きる楽しみを見い出してくれるだろうと思うし、要介護状態になっても、日用品の買い物をするという「自己決定の連続」が明日への希望につながりうるし、抗がん剤を打つと決められるのではなく、自分で選択したものなら、不快な副作用にも耐える理由になるかもしれない。いずれ生は果てるとするとしても、最後の最後まで、自分の身体や人生のせいにせず、自らの小さな自己決定の連続に納得感を持っていた方が、「生きてきて幸せ」と、言えるのではないだろうか。

私は目の前の人へ言葉をかけるとき、関係性を持つとき、それは目の前の人の「自立」、つまり自己決定につながっているのか?と問いたい。必ずしも無理矢理その人を幸せにしようだとか、100%向き合おう、理解しよう、分かりあいたい、とは思わなくてもいいはずだ。そもそもきっとそんなことは無理でしょう?

幼児期でも、障がいがあっても、要介護状態でもあっても、もちろんそうでなくたって、目の前の人が「自立」する先に、その人自身が見いだせる生き方があると思っている。次は、この自分の経験則をもって福祉と教育が隣り合わせにあるとよいと思っている理由について、より深い部分で綴りたいと思う。

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このnoteは、2018年6月ごろまでの私の頭の中の備忘録です。
自身の生い立ちから有料老人ホームの立ち上げ・運営、
デンマークへの留学、「長崎二丁目家庭科室」の運営などから、
福祉の再構築という大きな問いへの小さな実践を残します。
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私、藤岡聡子については、下記記事を読んでみてください。
・灯台もと暮らし
【子育てと仕事を学ぶ #1 】藤岡聡子「いろんなことを手放すと、生死と向き合う勇気と覚悟がわいてきた
・月刊ソトコト 巻頭インタビュー
・soar
「私、生ききった!」と思える場所を作りたかった。多世代で暮らしの知恵を学び合う豊島区の「長崎二丁目家庭科室」
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