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批評こそが最強のソリューションであるᕙ( ˙꒳​˙ )ᕗ

僕が考える批評は批評対象から独立した芸術作品であるとともに、唯一にして究極のアートフォームでもあり、どんな中身をどんなふうに流し込もうがええ感じに固まってくれる便利な鋳型である。小説、エッセイ、詩、短歌、俳句、怪談、研究論文、およそすべての文芸ジャンルをハチャメチャにぶち込める魔女の大釜なのだ。
したがって、批評を書くに際して批評の文体を使って書く必要はさらさらない。詩のことばで書いても小説の形式を借りても「長めの短歌です!」と言い張ってもなんでもよい。
また、批評家は批評だけ読んでいたのではダメで、他の様々な芸術ジャンルにも通暁している必要がある。ロックしか聴いてないロックミュージシャンがろくな(ロックな)曲を書けないのと一緒の道理。特に、各分野の専門研究が縦に積み上げた遺産を横や斜めに繋げるアクロバティックな冒険が批評なので、最新の学術研究やお堅い論文には絶えず気を配っておくべきだろう。
はっきり言ってわれわれはコソ泥、それで悪ければせいぜいのところ軽業師に過ぎないのであって、重業師たる研究者のみなさんには頭が上がらない。
せめて礼儀正しく堂々とサーカス芸人であるために🤡


それにしても、学術論文に目を通していると、自分が批評を書いているなかでしばしばぶち当たる「わかりやすくするためとはいえ、あまりに粗雑な議論になってしまっていやしないだろうか·····🥺」「カッコつけて独自用語使ってるけど、先行研究において確立されたもっとふさわしい用語が存在するのでは?🤔」といった疑心暗鬼・暗中模索の念が木っ端微塵に打ち砕かれる瞬間があり、多少なりと安心するとともに、「研究ゆうて、ほんまにそんなんでええんか?」と逆に不安にもなってくる(笑)
というのは、アカデミアのみなさんは(おそらく共通の基盤=語彙・概念・読者層を有しており、その内部で活動しているがゆえに)いっさいの躊躇なく粗雑で妄想的な議論をガンガン展開したり独自用語をボカボカ繰り出したりされているからだ(笑)
“ビビり”は他人様に失礼ぶっこかないためにたいへん有用な技術なので、これからも活用していきたいが、「アカデミシャンの人たちがこんなに弾けまくってるのに、非アカデミシャンの俺がなあにビビってんだ?もっと弾けろおまええええ!!!!!!!!」と突如激情に駆られたりもする(笑)
よーはこのあたりの匙加減なり礼儀作法がわからんというか、僕は専門的なトレーニングを積んでもいなければ信頼できる指導教授も持ってはいないので、どこにも属さずひとりぼっちの野生でやってる身のつらいところ🐻



「おまえらはみんな批評という“術式”の解釈が狭すぎる·····
想像しろ
イメージしろ
もっと自由に術式の解釈を広げろ!!!!!!!」

ーー伏黒脱輪恵🦅



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