読んだ本100冊思い出せるかな~そういえば読書の秋だった~ 大学院以降編 その1

一年以上経っちゃったよ!!!

https://togetter.com/li/1786770?page=2

こちらの続きを今更書き足します。
院以降は何をいつ読んだか思い出せないので、見出しも付けられませんが。
せっかくなのでお付き合いくださいな。

高橋保行『ギリシャ正教』

完全ではないんですがそれでも日本語で読める文献としてはかなり正教会を整理してくれています。正教会って何と思った方にはとりあえずお勧め。…しかし正教会の定義は言い淀んでいて、カトリックでもプロテスタントでもない教会が東方教会で、そこから非カルケドン派とアッシリア教会を除いた教会が東方正教会だ、という分かりにくい書き方になってます。
「その他」じゃないかそれと突っ込んだ貴方は割と正しいです。実際の所は東ローマ帝国に由来する教会=東方正教会なんですが、何故か当の正教会がそこを誤魔化しにかかっているのでよく分からない事になっている訳です。

ただ正教会の現場からはかなり差はあります。というより、信徒はお題目の殆どを話にすら聞いた事が無いです。でも彼ら彼女らの信仰が空虚なのかというと全然そんな事はなかったりもします。それは私自身が教会にしばらく足を運んでよく分かりました。その辺は私の同人誌「日本正教会 あるいは日本における正教会」でまとめてます。他に誰もまとめてないとも言う。

ニコライ・カサートキン『ニコライの日記』

聖人…なんですが意外な程に俗っぽくて何度も金の話が出てきたりするし、金をくれるかくれないかで書かれ方が露骨に変わったりします。割と頑迷でもあったりします。でもそれ故に、カリスマが凄まじかったんだろうなぁという事も伝わったり。組織を運営して列聖される人ってのは必要な汚れ仕事もするんですよなマザー・テレサ然りヨハネ・パウロ二世然り。あ、それと日本人に対する差別的な感情が薄いのは特筆に値しますこの時点だと特に。

先述の通り正教会はカトリックにおける教皇、プロテスタントにおける聖書のような権威の軸が存在していない教派です(昔は東ローマ帝国が権威の軸だったんですが)。本人が意図していたのかは何とも言えないですが、その軸の代わりとなったのがニコライのカリスマでした。逆に言えば彼の死後、軸を失い宙ぶらりんになった日本正教会は、聖書の翻訳すら出来ない教会として衰退のみを重ねていくのですが。

ジョン・メイエンドルフ『ビザンティン神学―歴史的傾向と教理的主題』

正教会が成立当初からローマ帝国の権威と不可分なのを頁積んでごまかそうとしてるだけの本です。しかも決定的な証拠に触れない訳にもいかないから最後にちょろっと言及する始末。これが世界の正教会で有数の神学書扱い…

もう少し具体的に書くと、14世紀に東ローマ帝国の総主教が
「キリスト教徒は(ローマ)皇帝を頂かずに教会を持つ事はありえない。帝国と教会は偉大な結合を成しており、その分割は不可能であるが故に」
という公式外交文章を出して、正教会は自らの権威が帝国と不可分であると明記しているので言い訳の余地は全くありません。メイエンドルフが最後にちょろっと言及するしかなかった決定的な証拠がこれ。この書簡も踏まえているんですというアリバイ作りにかかろうとして結果的にその前の詭弁全てが吹っ飛んでいるという。

はっきり言えば知的不誠実が最初から最後まで続くので、絶対に鵜呑みにはしない事。

ジョージ・クロンク『聖書のメッセージ 正教徒のとらえ方』

七十人訳と原型のヘブライ語旧約聖書はかなり内容がズレてる(何だったら意図的な改ざんもある)んですが、正教会(とキリスト教)は七十人訳を参照しているので正教会では七十人訳が神の意志という事になっている。えっ、そんな事ぶっちゃけていいの七十人訳は聖なる誤訳ってコト?!

有名な所だとユダヤの聖書での「若い女が男の子を孕み産むだろう」という記述が七十人訳では「処女が男の子を孕み産むだろう」と誤訳されていて、この誤訳に基づいて生神女(聖母)マリアは処女のまま子供を産んだという聖伝を作っちゃったのですが、今更これを変える事も出来ないんですよね。見なかった事にしているのが西方のカトリックとプロテスタント。七十人訳が正しく誤訳は聖なる誤訳だと開き直ったのが東方正教会です。

遠藤周作『沈黙』

実はキリスト教って自分だけが受難を受ける事には慣れてるんですが、自分のせいで友人や家族とかが苦しむ事には全然対応してないよね、という強烈なセキュリティホールを真正面からぶち抜いた作品。ある意味自己中心的な宗教である事に遠藤周作も悩んだのだろうか。

ここで書かれているのはカトリックではなくて浄土真宗だ、といった感想もあるのだとか。…日本人特有の陰湿などうとかみたいな差別的な感想もよく見ますが、実際の所似たような事例はたくさんあったけれど都合が悪いから残せなかっただけじゃないですかね。

チェ・ゲバラ『ゲバラ 世界を語る』

…これだけ読んでもまず間違いなく現実の政治は出来なかっただろうなぁと察してしまう内容。何処までも思想先行で彼は暴力革命しか出来なかったのでしょう。あと経済に関する認識はびっくりするほど古いです。でも演説として聞いたらまるで印象変わるでしょうね。

顔がよくて扇動が上手いだけで革命と圧政ができるんだから世の中ってのは理不尽なものです。みんなキラキラしてるもの好きだもんね、暴力とか殺戮とか搾取とか。

レフ・トルストイ『復活』

単純に文章力がずば抜けててそれだけで絶対的な暴力になっています。翻訳されてなお圧倒的に強いのでロシア語で読んじゃったらどうなるんだろう。ただキリスト教に関しては浅薄というか当時のロシア正教会の知的水準が…と察してしまうのが何とも悲しみ。本当に唐突なdisが挟まる辺り本当に腹に据えかねてたんだろうね。

(この話ではそこまで突っ切ってはいないんですが)明らかに狂っていたり端的に邪悪だったりしても、圧倒的な文章力があれば共感させる事が出来てしまうのは何とも恐ろしくもあり、そんな文章を書けるようになるのが私の目標でもあったり。

田中芳樹『銀河英雄伝説』

アニメから先に入ったような。傑作として名高く読んでみたら本当に普通に面白くてもっと速く触らなかった事を後悔しました。昔の版だと一巻の挿絵にいるファーレンハイトとメルカッツがモブ顔だったりします。

原作で一番印象に残っているのはビュコックが散華した後ヤンが「あの人の殉死を愚かだと断じる気にはなれなかった(大意)」と心中で独白する下りです。人間って難しいよね、特に直接知っている人だと。

ちなみに私は小学6年生のある日、道行く知らない女の子達が「ヤン死んじゃったね」と話していたのが耳に入ってしまった人間です。なのであの展開はネットに触れる前から知ってました。回避しようがねぇ!

荒山徹『十兵衛両断』

知る人ぞ知る伝記の異端にして極北。朝鮮、柳生、忍術が絡むと何でもありになるトンデモ伝記なんですがこれが面白い。歪んだ愛情がとても面白い。 何だよ朝鮮柳生って。しかもそれで読ませると来た。

柴田錬三郎でイギリス忍者に触った事はあったらしいですが、この時点では完全に忘れてました。なので「朝鮮柳生」なる怪しげな概念を先に知って、それから読んでみた側。…作者様は何かひどい理不尽による抑圧でもあったんだろうかなんて思ってしまう展開に味があります。あるいはそちらの癖がとても強いか。

ユリウス・カエサル『ガリア戦記』

世界史の有名人が書いた回顧録でも一番有名だと思われます。本人としては自身が遂行しているガリア遠征の戦況報告のつもりだったそうで、現地民族に関する記述も多いです。

噂は聞いてましたが本当に文章が上手いです。かつ固く書いてもいないので古典と身構えるよりもノンフィクションとして読んだ方が楽しめるかと。

オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』

学究の末に人間には届かない物を見つけてしまった者の、何とも退廃と厭世と諦念の香りが漂う詩集。ムスリムのくせに酒好きだね!…なんて思ったのですが、意外とちょっと前までは皆が普通に飲んでたりしたのだろうか。

仏法本来の意味での「諦める」、物事を明らかにして悟りに至るところまでは行けた。しかしそこに何にもなかったから空白の世界で酒を飲んでる、という経緯で詩人としてはこうなったように読めました。この後にガザーリーが来て、哲学と信仰を切り離して信仰に帰るんですよなぁ。

アレクサンドル・デュマ『モンテ・クリスト伯』

『三銃士』もそうなんですが、2022年現在で小説として発売されてもベストセラーになれるでしょう。全く面白さが色あせて無くてすごく長い話なんですが一気に読めます。長編なので時間がかかるのはしょうがないですが。

根が善人で大分無理して復讐してたんだろうなぁと私には読めました。世話になった船長が死に際に正体を見抜いていた所で決壊しかけていたのでは。よく頑張ったよ伯爵。大デュマは人の心の動きを書くのが上手い。

マーク・トウェイン『トム・ソーヤの冒険』

これも普通に面白い。トム・ソーヤが素晴らしく魅力的で何も考えずに最後まで行けます。 …ただトムの存在感が強すぎて続編で出てきた途端ハックが霞んだのは割と可愛そうだなって。

兜甲児からの剣鉄也のように、主人公交代って100年前から難しかったんだなぁなんて。かくいう私も断然トム派なので余計にそうとも思います。仕方ないじゃないですかトウェインが時代を超えるヒーローを創造しちゃったんだから。

オースン・スコット・カード『エンダーのゲーム』

割とオチが全てな作品。いやゲームやってる所の描写も面白いんですが展開ネタバレやっちゃうと面白さがほぼ消えちゃうので感想が実に書きにくい。『死者の代弁者』はまだ読めてないんですよなぁ。

ちょっと気になって調べてみたんですが作品の原型は1977年で、その時点で既にアメリカでは家庭用ゲームがあったんだそうで。ちなみに海の向こうのスペースインベーダーは1978年。…作者はPCゲームやった事あったんだろうか、生きてるから誰か聞いてくれないかな。

レイ・ブラッドベリ『華氏451』

全く肌に合わなかったです。今リベラルと呼ばれている連中がいかに無責任で民主主義やりたくないのかが透けて見えてしまって全くノレなかった。1960年代からアイツらクソだったんだなって。

鉄火場から逃げ出した卑怯者の席なんて「街」に、社会にある訳無いだろ。
マルクス主義も共産主義も全部こう。何の責任も取りたくない、けれど全ての人間を意のままに動く奴隷にしたい、更に礼賛までされたい。分野問わずテクノクラートってなんで皆こうなんですかね。

コロナでも湧きましたよねぇ自称専門家のファシストども。

池波正太郎『剣客商売』

有名な作品なので読んでみたら文章も殺陣も飯もすごく上手くてあっという間に読んでしまいました。ただ続編の長さに尻込んで打ち切り。老いたなぁ私。中高生の頃だと全部読みに行ったかも。

おそらく単発の作品として書かれていて、このシリーズにおける旨味が既に全て凝縮されているんだろうな、なんて思います。…とても長い続編は一切読めてないので見当外れだったらごめんなさい。

太宰治『斜陽』

文章は流石なんですがそれにしても展開がひたすら陰気。オチが気になったから最後まで頑張って読んだんですが、えっそれで締めるのって思っちゃいました。

女性が主人公なんですが、ひたすら流されるままであのオチに行くまで何もしないのは太宰自身の投影なんじゃないかなぁ。一方で男だとあのオチにはどうあがいてもならなくもあり。…仮に男性主人公で書いてたら自決か出家かじゃないと話が終わらないですよね。

志賀直哉『暗夜行路』

展開は正直グダってるとは思ったんですが人生ってそういうものですよね。実は当時の文化習俗を鮮明に書いていて、大正時代の生活水準が意外と高い事が伺えたりもします。結末の後彼らはどうなるんでしょうね、二次大戦も来るし…

一番びっくりしたのが、あれ意外と戦前の人って文化的な生活してるぞ、という事でした。2023年現在で30-40代くらいだと戦前は後進国のファシスト悪の帝国だった、みたいなイメージを学校教育で押し込まれてたんですが、実際に当時の作品読んでみるとあれ学校で聞いた話と違うな、になるかも。

ただ志賀直哉というか上流階級って家事やってないんですよね。洗濯機とかガスコンロ…え、どっちも戦前からあるの?! 洗濯機は当時、大正だとまだ無かったらしいですが。

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

若い頃は良さが分からなったんですが、年取ってから読んだら文章も物語も世界観も何もかもが美しくて心底びっくりしました。岩手にはとんでもない人がいたんだなって。

僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう

こんな美しい文章があるんだって今では思います。
ジョバンニとカムパネルラには誰かモデルが居るんだろうか。本人なのか、どっちも知り合いがモデルで三人称から二人の美しさを描いたのか、
あるいは全くの架空で理想を描いたのか…

見上げる天を駆ける物語で、この作品の影響を何処かで受けていないものは存在しないんじゃないかな。直接的にではなくても、『銀河鉄道の夜』を読んだ人の作品はまず間違いなく日本人の目に入ってる筈。

鈴木大拙『日本的霊性』

世界に英語で禅を紹介した事で知られる人なんですが、実は浄土宗とも統合した彼独自の仏教および思想を「日本的霊性」と名付けていたり。岩波のは何故か第五章が欠落してて禅が消えてるから止めとけ!

世界、特に英語圏における日本仏教は『日本的霊性』から紹介されているのだそうで。…ただ鈴木大拙の「霊性」ってあんまり仏教的な概念では無いんですよな。「仏性」という概念はあるんですが殆どの仏教は仏性を第一にはしていないので。

読んでいて坊さんではなく学者だろうなぁと思いましたし、合ってました。良くも悪くも仏教から独自の思想を打ち立てた人であって、仏教徒では無いです。

マイスター・エックハルト『エックハルト説教集』

今日においては再評価されつつある…のですが、自力で神の領域に近づける事を強調しすぎていて思想から恩寵が吹き飛びかけており、これは異端認定されても無理はないとは思いました。面白いんですけどね、とても。

智慧にせよ命にせよ永遠にせよ、それは全て神から与えられるものである。
これは東西新旧を問わずキリスト教の根本に近い思想です。エックハルトは(ざっくり言うと)自分の足で神の領域に近づけるという説教をしていて、更にはそんな思想の持ち主は他にも意外といるんですが、そこで「恩寵」を見落としているじゃないかなぁ、なんて私は思います。

仮に正教会の領域で生まれて活動していたらグレゴリオス・パラマスみたいに聖人になったんでしょうかね?

イグナチウス・デ・ロヨラ『ある巡礼者の物語』

イエズス会創始者による自伝、なのですが。ロヨラ自身は成し遂げ聖人にもなったけれど、似たような事をやって途中で頓死した人は数え切れない位にいるんだろうなという強烈な生存バイアスを感じました。あんな事をやって生き残れるのは運に恵まれた超人だけです。

逆に言えば盛ってる感じはしません。少なくとも私には。
騎士として、というより軍人として華々しく転戦するも、負傷をきっかけに聖人伝を読んだらハマっちゃって回心、それから修道を志したら世界史でも屈指の修道士になっちゃった、というびっくり人間の述懐が率直に語られています。
一方で生まれも育ちも騎士で無かったら途中でくたばってただろうなぁとも私は思います。聖者というと貧しい生まれのイメージがありますが、実際の所は俗会にも聖界にも残酷な位に格差がある。金持ちでもなければ修道士になれない、せいぜい修道院奴隷が関の山ってのが悲しい所ですね。

アビラのテレサ『完徳の道』

プロテスタントが勃興している頃、スペインの聖女で、実はいい所の生まれらしいんですが素朴かつ力強い文体でカトリックの危機に切り結ばんとしている著作です。「神の賜物は受け取るべきである」という言葉が強く印象に残っています。

他はあんまり印象に残らなかったのも正直な感想です。
生活に困った事が無い人の修道生活ってどうしても「ごっこ遊び」の臭いが抜けないんですよ。彼女も食うのに困った事は無いはず。
ちなみにプロテスタントに対しては危機感を顕にしているんですが、正教会に関しては言及すらしてません。東ローマ帝国が滅んで百年近く経った頃の人物なので認識もしてないんじゃなかな。

なお死後列聖されたのはともかく、何故か「美少女」として認識され絵画や彫刻の格好の題材になっていたりもします。なんでだろう。神秘主義=絶頂くらいの安易な理由じゃなかろうな。いや彼女の文章を読むと「…セックスでは?」と思ってしまうけどさぁ。

ソクラテス『弁明』

何故彼は処刑される事を望んだのかを探りたくて読んでみました。結論から言えば生命よりも彼の信じる正義を重んじたんですが、どうもソクラテスは抽象的な正義の概念と都市国家アテナイの区別がついてなかったか。当時は他に正義を担保できるものがなかったからしょうがないんですけどね。

「悪法もまた法なり」という言葉は、これを踏まえると意味が変わります。悪法で自分が死ぬ事になっても、ソクラテスはその法の主体であるアテナイの主権を疑わなかった。一方でソクラテスは単純なナショナリストでもないです。ナショナリズムが出来るのはずっと後ですし。単純にそこまで考えが及んでいなかっただけ。だって人類がそこまで考える前の人ですもん。

結局何が正義を担保するのかは、この後ずっとギリシャについて回ります。というか、そこを解決できなかったからこそキリスト教の「神」がスポっと入った感すらあります。ギリシャ思想にとっても思考停止できる一神教の神は渡りに船だったんじゃないですかね。

ブレーズ・パスカル『パンセ』

この人キリスト教に関してはびっくりするほど頭が悪くなるなーというのが率直な感想。他の分野に関しては論理的思考してるんですがキリスト教関係では正しいから正しいんだみたいな事言い出してて。娘の死病が祈祷したら(偶然)治ったから無理もないんでしょうけど。

有名な「パスカルの賭け」って実はトートロジーでしか無いんですよ。神に賭けて当たったら全取り、外れても特に何も損をしない、という前提が先にあって、それを繰り返しているだけ。これに関する批判は当時からあって、邪神に賭けてたらどーすんだという現代人がしそうなツッコミもあります。もちろんそれに対する返答はありません。

結構長くなりそうなので、25人で一区切り。
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