ベネディクト16世聖下の帰天に寄せて

実の所聖下の思想や著作、信仰とは関係なく、
立派な方がいなくなってしまって、
私がふと思った事でしかないのですが。

ミサや礼拝に聖体礼儀、あるいは個人的な祈りにおいて、キリスト者の方々は世の平安を祈っています。
しかしそれ故に、酷い事やどうしようもなく悲しい事があると、「祈りって無力だなぁ」なんて思ってしまう事がありました。
かくいう私も東日本大震災の時にそれをやってしまい友人のいる教会を凍りつかせた事があるのですが。

しかし、聖下が帰天した今は。
辛い時苦しい時こその信仰なんだろうな、とも思えるようにもなりました。
「信仰」を勇気とか信念とか愛とかに変えると分かりやすくなる、かも。
苦しい時悲しい時こそ大切なものを見失ってはいけない…

という事で、個人的に好きだった(世に準じぬ信仰に強さを見たのかも)ベネディクト16世聖下が帰天してしまった今こそ。
私は彼とその信仰を忘れたくないと思いました。

かの人の魂が神の平安の元にあらん事を。


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