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INFJオンダのドアスラム体験

劇団WAGNAS団長のオンダです!

WAGNASオンダのINFJシリーズ

数年いや十数年前よりネット界隈で、「定期的に人間関係をリセットする人」がいるという話をちょくちょく見ていました。
恐らくそういう人は、今の環境に疲れたり飽きたりして、意図的にリセットしているんだろうなぁっていう印象です。

ちょっとわかります。

例えばですが、自分のことを誰も知らない街に引っ越して、心機一転生きる人生というのは少し憧れます。

きっとそれは「高校デビュー」や「大学デビュー」の拡大版であり、新しい自分探しの一環でもあるようにも感じられます。


ドアスラム?体験について

最近MBTIを知り自分はINFJと判明し、それらの記事をnote中心に色々見ていました

その中で知った「ドアスラム」という言葉について…
ドアスラムとは、急に理由もなく(本当はあるらしい)既存の人間関係を断つことだそうです。

実はこれ、経験があるのです…
※厳密なドアスラムかはわかりせんが似た行為です※

確か22.3歳の頃だったかなぁ。

突然副長アキラなど定期的に遊んでいる友人との連絡を絶ちました。
誰かだけ特別扱いするということはなく、文字通り全員を絶ちました。

ある日突然、すべてが面倒になったのです。
ひたすらに半年くらい、職場と家の往復をしていました。

INFJが度々陥りやすいという「ドアスラム」の原因は…
一般には「コミュニティ内での期待に応えるのに疲れたから」「コミュニティ内で自分の価値を見失ったから」など、
言わば「心の許容量が限界値になったときに自然と溢れてしまう行動」とされるようですが、僕のはちょっと違うような気もします。

ただ、強いて言うならば、ある日突然、「社会人として働き始めて2.3年、人間や人生ってこんなもんかぁ」と悟り、生活のすべてが虚無になってしまったのです。

別に病んでいたとかコミュニティの誰かが嫌になったとかではなく、ぼんやりと「ははーなるほどね、大体わかった」みたいな、空の上から自分を客観視するような気持ちがあったような気がします。

確かに友人と遊ぶのは楽しいけれども、その楽しさの意味を無駄に考え込んでしまったり、楽しいには楽しいけれどもめちゃくちゃ心躍るような楽しさではないのなら、もはや自分には不要で面倒くさいと思ってしまった感じです。

刹那の楽しさなんて所詮たかが知れていると感じてしまい、虚無な時間の方が圧倒的に長いであろう人生や社会に「飽きた・悟った」状態になっていたといっても過言ではないでしょう。

というわけで、約半年くらい職場以外の人間関係はすべてシャットアウトしていました。

しかし、これってINFJ特有の「ドアスラム」なのだろうか…?


アキラに引っ張り出される

当時はまだメアドだったかな?ギリギリラインもあったかな?

覚えていませんが、副長アキラやほかの友人からも遊びの誘いや時に心配などの連絡が来ましたが、すべて見て見ぬふり無視していました。

約半年くらい後だろうか。
お節介焼きの副長アキラは、前にちらっと話していた情報から僕の母親の職場を調べ、「オンダは最近元気ですか」と聞きに来ました。

母は大変に気持ち悪がっていました(笑)

しかしそんなこんな、コミュニティ復帰?できるようになりました。
さすがにそこまでされたら無視は出来ないでしょと、別に病んでいたり病気でもないし、ごくごく私的な勝手な思考のせいで迷惑をかけてしまったわけだし。

その間も、別に仕事はちゃんとしていたし、例えば職場の人とご飯に行ったりとかライトでインスタントな付き合いはしていたわけです。

でもそれ以上の面倒くさい深い付き合いは非常に面倒くさかったわけです。
しかしその時の僕が一番面倒くさいやつだったであろうことは、想像にたやすいですが(笑)

そして今日があるわけですが、実は現在もその兆候はあり、僕は「休みがいらない人」なんですよね。

お金を稼ぐ為の仕事には興味はないけれども、仕事自体は好きだし、明確なやる事がないと不安になってしまったり、余暇があると無駄なことばかり考えて虚無になってしまうため、あえて自分にそのような時間を与えないようにしているのかもしれません(笑)

今は「劇団WAGNAS」も楽しいですから、あまりそういう風に思うことはありませんが!

うーん…でも、この経験ってやはり「ドアスラムの一緒」なんですかねぇ…?
類似現象ではあると思うけど厳密なドアスラムかとうかはわかりません!


人は誰もがコミュニティに属したい

最後に、雑談なんかで三大欲求がどうこうと時々耳にしますけど、僕は下手したらそれ以上人間の大きな欲求に「コミュニティに属したい欲求」があると思います!

それは友人間でも学校でも職場でも、それこそネットやゲームの世界の中でも同じ話です。
自分を承認されたいし誰かを承認したいわけです。

戦いが嫌いな人なら群れることで安心できるし、好きな人でもそもそもコミュニティにいないと比較対象もいないわけですからね(笑)

僕のドアスラム経験は、言わばコミュニティに属する行為を無駄だと思いこんで破棄するものでした。
しかし、コミュニティに属していたからこそ、そんな贅沢な事を考えたり実行出来たという側面もあります。

本当に一人ぼっちなら、そもそも出てこない発想ですからね(笑)

そして、そんな経験があるからこそコミュニティは人一倍大切だと感じ、潜在的にそれを求めている人がいるならば是非仲間になりたいと思い、劇団WAGNASという社会人サークルをやっているという部分もあります。

しかし当然コミュニティにも合う合わないがありますから、無理にやっても疲れてしまうしおかしくなってしまう。
INFJのドアスラムなんかはその最たる例ではないでしょうか。

他にも、億万長者とか宝くじ高額当選した人とか投資でFIREした人なんかが、変におかしくなってしまいがちなのは、自分が真に望むコミュニティと今いる環境との精神的な齟齬がでしまうからなのかな~なんて思ったりもします。

これは、愛とか絆とか抽象的なものではなく、「お金だけがすべてではないよ」の根源的な課題だと僕は思います。

人には、「自分の内面と身の丈に合ったコミュニティ」の存在が、精神衛生上とても大切なものなのかもしれません。

人間だって社会性動物ですから、自分に好ましい群れに所属していたいと思うのは、それこそ本能的なものなのかもしれませんね。

僕のドアスラム?経験も、今でも間違ってないと思っていますし、反省なんかもちっともしていませんし、多分今でもその気は強いです。
しかし、それ故コミュニティのありがたさに気づけた部分もかなりあります。

まぁ、INFJの「ドアスラム」や僕の類似行為について、そして人にとっての「コミュニティ」ってすごく大事だと思うよっていう話でした。

INFJがドアスラムしてしまう理由も、きっと誰よりもコミュニティの重要さを理解しているからこそ、その意義と自分の感情との齟齬にグダグダ考え、結果思考が止まり行動が溢れてしまうからであると感じています。


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