見出し画像

ヱヴァに学ぶドライ難民に足りないもの

コロナ禍でやたらと昔のアニメなどを観直す機会が増えました。
それで昨日はヱヴァンゲリヲン新劇場版を:序から:Qまで通しで観たわけです。

心に残る作品というのは観る度に何かしら気付きを与えてくれるものですけれど、今回ヱヴァを観てたらなんというかずっと既視感があるんですよね。

昔からヱヴァ好きですけれど登場人物達と自分を重ねる事って全くなかったのに今回はなんでかな〜(ー'`ー ; )ムム…って思ってたのです。

…で。

:Qの中盤にあるピアノの連弾のシーンハッとしたんです。

『あ、コレ、いつも(インナーオーガズム)セッションで私が言ってるセリフだ!』とw

このシーンってヱヴァ全体の中でも異質なシーンとして捉えられてると思うのですけれど、その『異質』が実はとても意味のある事でだからこそ雪凛はハッとしたのですね。

今日はその事についてお話します。


DoingなシンジとBeingのカヲル

ピアノの連弾のシーンの会話は以下の様なものです。

シンジ:どうしたらもっと上手く弾けるのかな?

カヲル:上手く弾く必要はないよ。ただ気持ちのいい音を出せばいい。

シンジ:じゃあもっといい音を出したいんだけどどうすればいい?

カヲル:反復練習さ。同じことを何度も繰り返す。自分がいいなって感じられるまでね。それしかない。

シンジ君は自分がピアノのテクニック的に全然上手でない事を解っているのですね。

…で、カヲル君がメチャクチャ上手なのでその彼と釣り合いが取れていないのではないかと考える訳です。

彼の腕前と自分の腕前の差を敏感に察知してその釣り合いをとる事こそが美しいハーモニーを『完成』させる事が出来ると思ってるんです。

正しくDoingそのもので向上心や目的意識をしっかり持った考えです。

でも〝その考え〟を呼び起こしたもっと根源的な所については「当たり前すぎて」スルーしてしまってるんですね。

それは〝カヲルとピアノの連弾をする事が楽しい〟という事。

それこそがBeingであってその瞬間を楽しんでいるという事。
それは別の言い方をすると〝エネルギーが純粋な状態〟という事です。

〝エネルギーが純粋〟とは今この瞬間の自分以外に特に意識を向けていないので外向きのエネルギーを全く使ってないで済んでいるという事です。

このピアノの連弾のシーンを全て見ればわかるのですけれど、カヲルは完全にシンジの腕前に合わせてリードをしています。

シンジがする事は〝(カヲルとの)連弾する事、その瞬間、瞬間楽しさを追求する事〟だけです。

その様子は↓雪凛の動画の15:00からのバランスの説明

の高い方に合わせないで低い方に合わせるそのものなのですね。

Doingは『向上心や目的意識』でそれは何かしらの外向きのエネルギーを使って「高い方に合わせる」考え方です。

Beingはエネルギーを純粋なまま自分の中で回して「低い方(無理をしない状態)を楽しむ」考え方です。

でね。

前提として生きてく上ではもちろんどっちも大切なのですよ。

…いやむしろ、この3次元の世界では「〝経験する事〟自体が尊い」という話もあるくらいですのでむしろDoingが主体になる事はデフォルトなのかもしれません。

なのですけれど、シンジ君はあまりにもDoingだけでなんとかするクセがつきすぎちゃってるんですよね。

そんなシンジを優しくBeingに導く…ピアノの連弾はそんなシーンなのですね。

実際の物語の転換点としてもシンジがここでBeingに触れて(気づいて)それなりに自分にとって〝いいな〟と感じられる気持ちの良い音を奏でられる様になり少し成長する事は結構意味がある気はします。
(まぁ、この後ニアサードインパクトの真実を知ってズドーン…ってなる前フリでもあるのでしょうけれど、序破Q、そしてシンへと繋がる物語全体の転換点でもあると思う…っていうのはまぁ、今日のテーマとはあまり関係ないので割愛。)


偏りを波にする為に…

カヲルがシンジにした事は高み(ハイレベル)から引っ張るのではなく、シンジの高さ(ローレベル)まで降りてきて寄り添うというリードの仕方でした。

誰かが決めた『正解』ではなく、自分の中で『今この瞬間の正解』に注目して繰り返す事で『自分がいいなって感じる気持ちの良い音』がハッキリしてきます。

今この瞬間〝だけ〟に注目して執着をしない(だからエネルギーがニュートラル)この状態がBeingであって、BeingがあればこそDoingが活きてくる訳です。

ハッキリと"自分"があるから誰かとくらべたり競ったり出来るのですね。

インナーオーガズムに置き換えると…

自分に注目(Being)があればこそ(他者に注目する)射精(Doing)との違いや良し悪しなどがハッキリわかるので『快感の質』などが活かせる様になる訳です。

つまる所、雪凛はインナーオーガズムアプローチのセッションでずっと渚カヲル役をしてる…という事なのでした。

お客:なんか変な感じ…これが気持ちよくなるの?

雪凛:気持ちよくなろうとする必要はないのよ。今この瞬間が不快でなければそれで大丈夫。

お客:不快じゃないけど…どうすれば気持ちよくなるの?

雪凛:反復練習よ。同じことを何度も繰り返す。そうすると自分がいいなって感じられる様になってくるわよ。でも不快だったら同じ事を何度も繰り返せないでしょ?だから今この瞬間が不快でない状態を続けるの。それしかないの。

いつもこんな感じでお客様と会話してますw

そりゃ既視感ガモガモしちゃいますよねw


ヱヴァってBeingを取り戻す為にDoingを拗らせた人ばっかりぢゃね?

Qのピアノの連弾のシーンは良い意味でインナーオーガズムアプローチセッションのお手本みたいな感じなのですが、そもそもヱヴァにしろ旧シリーズのエヴァにしろ、登場人物全員がめっちゃ何かしらが欠けてBeingでいられずにいる人達ばっかりなんですよねw(゚0 ゚)wワオッ!!

すっごい簡単にまとめちゃうと『執着』がすごい。

ていうか、使徒だってセントラルドグマに執着してる存在だし、ヱヴァの方のゼーレの人達(あ、人じゃないか?)も『目的は達成された』って事でやっと消える(?)って言うね。

そう、満たされたら終了w
(ニュートラルなエネルギーになると物語性がなくなっちゃうので世界から消える…って事かもですねw)

もう『おいら完全なBeingでいたいのに何か欠けちゃってるから欠けてるモノを命がけで探しにいくぜっ!』の物語ですね。

それだから沢山の伏線とか謎にワクワクしてついつい見てしまう作品な訳ですが、、、

雪凛にとってはそこにプラスの要素として『全員インナーオーガズム難民なんぢゃね?』疑惑でワクワクと同時に『あ〜、こういうタイプの人いるわ〜』ってお客様の顔が浮かんできちゃったりすると言う…

あ、これ職業病ですね。はい(; ^ω^)

まぁ、ともかく。

旧作、特にTV版の最終回見てモヤモヤした人ってたくさんいらっしゃると思うのですけれど、あれって射精とか(女性でもクリとか乳首刺激でイク時とか)の『あぁ、キタっ、いく、イっちゃうかも…』って所で旧に冷や水ぶっかけられた感覚だったのではないかと思うのです。

モヤモヤって言うか、悶々とするアレですね。

要するに、アレがBeing目標でDoingかましてる時の本質なのかもしれません。

目的の為に今の『波(今この瞬間の連続)』は止まって『蓄積(未来の為の積み重ね)』にだけエネルギーを費やしてる。

そりゃオーガズム出来ませんよƪ(˘⌣˘)ʃヤレヤレ


結論はピアノ連弾シーンのシンジ君です。

ヱヴァは素晴らしい作品です。

しかしその楽しさのロジックはBeingのためのDoingで構成されています。

これって物語としてはとても盛り上がりますけれども、インナーオーガズムの為にはとても難があります。

Beingはまず気づく事が大事。

ソコをわかりやすいカタチで示してくれたのがQのピアノの連弾のシーンです。

シン・エヴァンゲリオンでどの様なBeingに到達するのか(しないかもだけどw)は知りませんけれど、ヱヴァそしてエヴァ全体とピアノ連弾のシーンの温度差と言うか異質感をドライ難民さんはキッチリ受け止めてセッションの時にそのシーンのシンジ君の様にしてみましょう。

きっと『自分がいいな』って感じられる様になる事でしょう❤︎


セラピストさん向け補足


ここから先は

458字
雪凛の毎日更新note(1000~2000文字程度)のアウトプットを月額3000円で応援するマガジン 基本的に全てのnoteは無料公開するので課金したからと言ってスペシャルな専用コンテンツをお約束するモノではありません。 *気まぐれに専用コンテンツを書くことはあると思います。 応援期間中は、雪凛のより解像度の高い自分用のメモ的ツイート等をするTwitter鍵アカ「んりきゆ」@nirikuy1972 にご招待させていただきます♪

雪凛の毎日更新note(1000~2000文字程度)のアウトプットを月額3000円で応援するマガジン 基本的に全てのnoteは無料公開する…

サポートは概ね食材かネタグッズの購入に使わせていただいて何かしらの形でnoteに役立てさせていただきます💕