見出し画像

誰がVtuberを殺したのか 目明かし編 〜文化的寛容性と高尚さによるステータス〜

はろーこんばんわ。
わたしです。

Twitterでこんな記事を見つけましたので、
この手記を頼りに、
殺した犯人を見つけていこうと思います。

わたしが思うに、
これは叙述トリックです。

主に推理小説などで、先入観などを利用し、読者を誤った解釈に導くことを意味する語。例として、人物の性別や年齢、時系列や場所などに関して、文章中で重要な情報を巧みに隠匿することにより、読者を欺くことが行われている。

叙述トリック ― weblio辞書

殺されてしまったVtuberのために
早急に証拠を集めて、
犯人を裁判にかけることにしましょう。

もちろん、探偵はわたし。
検事もわたし、裁判官もわたしで行こうと思います。
配信や動画はほとんど見ず、
他人のnoteもほとんど読まないため、
裁判の中立性は保たれるでしょう。

少なくとも、わたしのなかでは。

1.具体的な証拠がそろわないうちに、論を立てようとするのは大きなまちがいだよ。

まず、目撃者の手記を確認していきましょう。

今回の事件において頼りとなるのは、
この事件の目撃者が、
事件後に残した手記のみとなります。

目撃者は現在、
証言ができる状態ではありません。

この現実とも虚構とも、
判別のつかぬ手記の記述のみが、
わたしたちに残された
たったひとつの証拠となります。

それでは、
手記の記述を追って行きましょう。

手記の冒頭には、
業界がVtuberを殺したと書いてあります。
急に核心に迫ってくる内容ですね。

この手記はもしかして、
犯人への告発文なのでしょうか?
流石唯一の目撃者の手記。
この事件での重要な証拠がここにはありそうです。

しかしながら、
ただ鵜呑みにするだけでは、
真相は掴むことはできません。
更に読み解いて行きましょう。

次に書かれた記述には、
Vtuberは目新しさを技術的なものによって提供し続ける。 
といったことが書かれていました。
これが執筆者の興味を惹いていたようです。

新しいものを感じさせてくれるから好き。 
それが自分をワクワクさせてくれるから好き。  
執筆者がこういった好意を、
Vtuberに抱いていたようです。

そして、
次の項から執筆者はVtuberに対して、
その好意が冷めていったと記述しています。

冷めていった理由について、
手記には事細かく書かれています。

まるで、殺人者の手記のようです。

この人が殺したんじゃないのか?
小学生の時にアガサ・クリスティーを読んだ、
生粋の名探偵たる、
わたしの灰色の脳細胞がそう伝えてきます。

落ち着けわたし。
シャーロックホームズはこう言っていた。 

まだ判断の材料がないからね。具体的な証拠がそろわないうちに、論を立てようとするのは大きなまちがいだよ。それは判断をゆがめるおそれがある。

ググったら出てきたホームズの名言

そもそもアガサ・クリスティーは名探偵ものだったっけ?
灰色の脳細胞って、脳細胞は灰色じゃないの?

BE KOOL,ANDKOOL。

まだ決めつけるには早いですね。
漫画だったら恋人を美しいままにしておきたかった、
とか言いながら殺してそうですが、
ここは現実です。

執筆者の記述を、読み解いていきましょう。

Vtuberは、
お金の匂いを嗅ぎつけた企業によって殺された。
それにより、手間暇のかかる動画ではなく、
簡単に行える配信がメインストリームとなってしまった。

それによって、
目新しさを感じさせる様なものはなくなり、
企業によってただのニコ生と変わらないものまで、
堕とされてしまった。

このあとは、
まるで恋人を寝取られたユニコーンの様な、
ポエティックな記述しかありませんでした。

※ユニコーンは品がないとのご指摘がありました。
美しい白馬から、品のないことを連想できる方がおられましたら、
ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません。

最後には執筆者の願望である、
殺されたVtuberの、
かくあるべきであった姿が書かれています。

「今最先端を走っているVtuberさんたちにはそのまま頑張っていただきつつ、技術面で頑張っているVtuberさんにもっともっともっとスポットライトが当たってほしい亅

https://note.com/kyonoseiya/n/n006578b622dd

やっぱり犯人こいつじゃない???

こうであったら殺してませんでした。
そう言っているようなものです。

手記は読み解き終わり、
証拠は出揃いました。
今すぐに、唯一の目撃者たる執筆者を告発し、
断頭台に送り込む準備をしましょう。

2.今回の経験を言葉にして語るだけで、これから先一生、座談に長けたひととして評判を得られるだろうからね

わたし探偵が集めた証拠が、
わたし検察から提出されました。
わたし裁判官が受領し、
裁判を執り行っていこうとおもいます。

三権分立による公平な裁判です

証拠を整理しましょう。
・企業がVtuberを殺した
・殺された理由は目新しさがなくなったから
・企業さえいなければ、これからも技術的な目新しさを持ったものが評価され生まれていた

では、
これらの事柄について、
真実かどうかを考えていきましょう。

まず、なぜ人は目新しいものを求めるのでしょう?

かつてショーペンハウアーが言っていました。

ところで、ここで暗示された道をとことん追求するつもりなら、資料を得るだけでも困難なために、資料の組み合わせなどしなくても名声を正当化するに十分とされる方法があるのが分かる。つまり、訪れる人もほとんどいない、たいそう遠くの国々へ旅をすればよい。自分が何を考えたかではなく、何を見たかで有名になれる。この方法は、自分が考えたことよりも、見たものを他人に報告するほうがずっとたやすく、また理解する側からも同じことが言えるため、自分が考えたことを報告するよりも、はるかに多くの読者を得られるという大きな利点がある。

―――ショーペンハウアー、幸福について

なぜ遠いところへいくのか。
それは、誰も知らないことを知りたいから。
誰も知らないことを知っていることで、 
他者から名声を得て、
社会的な地位を確保するため。

本能的な話をすると、
わたしたちはスマートフォンが大好き。 
テレビも大好き。
ニュースを見て、知らない世界をみて、
無限に湧き上がる知的好奇心、
知らないものを知ろうとしています。

これは、
新しいところへ行ったり、
知らないものを知ったほうが生存率が高かったから。

それによって快楽物質が出るよう、
欲求がデザインされています。

故に、
まず被疑者が求めていた目新しさ。
これは彼がVtuberの技術が好きだからではなく、
目新しい、
他の人が知らないような知見をくれるから好きだった。

そして、それによって名声を得ていると思っていた。

さらに言えば、被疑者自身は
彼にとっての技術的な目新しさの無いものを、
見下していた。

技術的なもののほうが、価値が高いと思っていた。
そして、価値が高いものを知っている自分。

口開けて配信を見てるような奴らが好きなものよりも、
高尚なものを好きな自分が好き。
なぜなら、高度な芸術はハイカルチャー。
Vtuber社会では彼の言うところの技術的なものは、
大衆には解りづらいため、
ハイカルチャー的文化とされているでしょう。

それを嗜んでいるということで、
社会的ステータスの差異化を図る戦略を取っていた。

彼は技術を見せてくれるVtuberが好きなのではなく、 
ただ技術的、芸術的な、
ハイカルチャーを嗜むという自分が好きなだけ。

これは、
資本注入を毛嫌いしているところから伺えます。
文化エリートは文化資本は低いが経済資本は高い、
成金を嫌います。

それによって、
自身の社会的地位を保ちたいのです。
その文化資本自体が経済的資本から成り立っているので、
ただの虚像というか、
生まれによって差異化を図る酷い人に思えますけどね。

貴族は生まれながらに貴族ではなく、
平民との差異化を図るためにマナーやなんやらを
生み出しましたからね。
そして、それらが生まれによるものと
巧妙に隠しました。
王権は、神から受給わったものだと。

王権神授説

次に、技術的なものが企業は低いかどうか。
申し訳ないですが2行で終わります。

同人よりも圧倒的に資本の多い、
企業が参入したほうが技術的なものは上がります。

おしまい

残念ながら競争といった点に置いても、
企業が参入したほうが激しくなるため、
技術は上がっていきます。

必要とされなければ、
需要がなければいつか潰えてしまう。

日本は努力信仰が根強いですが、
残念ながら技術はお金で買えます。

むしろ被疑者の好きだったものは、
彼の言うところの、
技術的な目新しさが企業の配信よりも目劣りするから、
ただ淘汰されてしまっただけ。

そもそもLive2d、3Dにおいても、
圧倒的に企業のほうが技術力は高いですからね。
その道で食べてる人を雇い、
リソースを専属で使わせるわけですから。 

それでは、判決と行きましょう。

3.もっと自分を信頼すべきだったな。とっくにわかっててもよかったんだ。あるひとつの事実が、そこまでたどってきた長い推理の筋道と矛盾するように見えるときは、必ずやそこに、なにかべつの解釈がありうるということに

では、
誰がVtuberを殺したのでしょう?

先程の項で殆ど答えは出ていましたね。

被疑者は大衆文化とVtuberを切り離す事で、
そこに価値を見出した。 
それが大衆文化に汚染された事により、
文化的寛容性の低さから彼は興味を失った。
 

被疑者は、
ハイカルチャーを嗜んでいるという自分が好きだった。

そして、
それが大衆文化に汚染されてしまったため、
興味を失った。

よって、
被疑者の中のVtuberを殺したのは、
他でもない彼自身であるといえます。

釘入りおはぎドアガチャガチャお兄さん

悲しい事件でしたね。

殺人事件かと思ったら、
ただの自傷行為でした。

今回は不問と致します。

以後、再び同じ過ちを犯さないよう、
彼の更生を祈っています。

※他殺であるとの上告がありました。
被告の手記の記述からは、
特段他殺であるとの可能性が読み取れなかったため、
上告は受理されませんでした。
客観的に見れば技術的な目新しさがあるのにも関わらず、
本人の文化的寛容性の低さから、
それを認められなかったといった事実は覆りませんでした。
詳しくは本文をお読み下さい。

それではまた!


この記事が参加している募集

最近の学び