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エッセイ 息吹の天窓 前編

【伊吹の天窓】  
                
《前編》
 これは、5、6年以上前?…の…7月23日未明からの話です。
 この頃からすでに、田舎志向の自分が、確立されていたようです。
 
 里おこしイベント《伊吹の天窓》に出席するため「エイッ!」と気合いを入れて、車で山口を出発しました。

 向かうは滋賀県米原市です。
 スキー場で有名な奥伊吹の一番上にある甲津原は、わずか百人の山里で、最近やたらと耳にする、いわゆる限界集落なのです。

 ちなみに限界集落というのは、過疎化などの理由で、65歳以上の高齢者が人口の半数を超え、冠婚葬祭などの社会的共同生活を行うことが困難になった集落をいう……らしいです。

 棚田の階段を登れば、やがて姉川の始まり付近に辿りつきます。

 会場となった行徳寺本堂を抱く境内から仰ぎ見ると、とり囲む杉木立の隙間から突き抜けるような空が覗けました。
 まさしくそれは、イベント名の《天窓》と呼ぶにふさわしい特別な場所だったのです。

 催しは夕方から夜にかけて行われるのですが、私はいちおう来賓で関係者ということなので、余裕を持って、昼過ぎには現地入りしました。

 境内の敷地内に建つ古い木造家屋が控え室になっていて、畳の上に両足を投げ出し、決して短かいとは言えない旅の疲れを癒すのでした。

 戸や窓はすべて開け放たれています。派手な虫の乱入が少しばかり気になりますが、木々の隙間から染みだしてくる冷気のおかげでクーラーはまったく必要ありません。
 それでもヒグラシは興奮して暑苦しく季節を主張しているから、実に痛い。

 やがて進行責任者の石川氏…私は"石川のおにいさん"と呼んでいる…が打ち合わせにやって来ました。

 米原市長のあとに私を紹介するのに、肩書きやプロフィールの内容に間違いがないかを私に確認するのが目的だったようです。

 出されたメモを読む前に、こちらから先に聞きただしました。

「ワシ、その場で挨拶とか、なんかしゃべらんといかんの?」

「いえいえ、大丈夫です。進行役がお名前をよみあげるだけですから」

「段取り的に、その時に手をあげたり、前へ行ったりせんでも大丈夫? 立ち位置とかの決まり事があれば事前に……」

と念をおすと、

「いえ、ホントに大丈夫です、最初にちょこっとだけやる、形だけの、単なるセレモニーですから」

「ホンマにホンマなんやね? ワシ、本気でなんにもせんでええんですね」

「けっこうです、大船に乗ったつもりで安心してください」

 そうと決まれば極めて気が楽になります。
 スピーチを免除された結婚披露宴だと思ってください。

 他の人のスピーチや余興、何よりも目前に繰り広げられる豪華な田舎料理をすっかり"客"として思う存分楽しませてもらえるではありませんか。

 結局自分のプロフィールの文言にはほとんど目を通さず「オッケー!」と気軽に了承しました。少々事実と異なってもバレっこありません。仮にまちがいに気付いたところで、どうってことないという無責任ですが、現実に沿ったその場の安堵感がありました。
 
 午後5時をまわると、にわかに人が増えだしました。
 境内の一段下に急遽造成された広場には、たくさんのテントが張られ、地元のおばさんたちがせっせと食材の準備をしています。

 近場で穫れた農産物を使ったヘルシーなおかずやお菓子が中心の「夏の献立」が、安価でふるまわれるのでした。

 正式な開場時刻までまだ数分あるのですが、とてもじゃないが待ちきれません。

 何度も「もう食べれる?」と、箸を片手に大人気なく聞きまわる陽気な関西人は、あっちゅうまに、初対面のおばさんたちと距離を縮め、一瞬でその懐にもぐりこんでいたのでした。

 大豆の餡(あん)このトチ餅、カブラや茄子・白菜などを具にして握った野菜寿司、ジャガイモのステーキ風バター焼き、野菜たっぷりのキーマカレー、自家製蕎麦粉を使用した山蕎麦、キューリの一本漬けフランクフルト仕上げ、山菜おにぎり等々……。

 テント前に人が溢れて、いよいよこれからイベント開始となる頃には、すでに私は両手に持ちきれないほどの御馳走を抱え、それらを蟹のようにひっきりなしに口へ運んでいました。

 やがてすぐ近くでマイクの音がしました。
 進行役の女性アナウンサーがイベントの開始を告げ、米原市長を紹介し、それにこたえて、市長はあたりさわりのないことを手短に述べました。

 そのあと来賓の紹介となり、私のことが読み上げられました。

「本日は、なんと遠く離れた山口から、この甲津原にわざわざお越し頂きました、作家でもあり音楽家でもある……」

と仰々しく続いたので、どうしても他人事と思えず、にわかに緊張すると、

「え〜現在は、山口市を中心に、文化的創作物の地産地消によって、地方が魂と誇りを取り戻すことこそが地域活性化にとっての責務と考え、創作を通じた社会福祉のありかたを研究しつつ、平成新作愛唱歌の制作など、多岐にわたって実践しておられ……」

 今しがた口に入れたばかりの野菜コロッケで、ほっぺたをやけどしそうになりながら、

「よりによって誰がこんな仰々しいプロフィールを渡したんや…と言うか、これさっき確認したプロフィールとちゃうし…最初に郵送した資料やんか……」と後悔しても時すでに遅し。

 ステージに丸めた背中を向け、亀のように首をすくめ、まだ口の中をいっぱいにしてモグモグいわせている私に向かって、寸前に注文したおむすびを手にした何も知らないおばさんが、

「へえぇ、山口からわざわざこんなところまで、そんな偉いせんせが来てくれはって、ありがたいこっちゃねえ」

と言い終わると、口調を一気に切り替え、

「はい、お兄さん、お待ちどうさま、百円ね」と、商品を私に手渡しました。

 アナウンサーが
「え〜っと、どこにおられますか?」
と、私をさがしています。

「話が違うがな、前に出んでも、手も挙げんでもええと言うたやん?」と、文句を言っても始まりません。
 何より、何か言おうとしても口の中がいっぱいで何も言えないのです。

 おまけに散々おばさんたちとふざけたあとに、今更あんな立派なプロフィールの実物が両手に食べ物を持ったまま
「はい私です」などと言えたもんじゃありません。
 いつの世も、我々は、人の夢をこわしたらあかんのです。

 とにかく私は、たとえ卑怯者呼ばわりされたとしても、ただただ時の過ぎ行くのを待つことを得策としたのでした。

 やがて進行役は来賓が不在である事実を受け入れ、次の話題に移りました。

 やれやれ、一難去りましたが、脇の下から汗がでた…… 後編に続く。
 

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