頭の中の整理

最近の私の頭の中の思考です。
ただの記録ですが、共感してもらえる方がいたら嬉しいです。

小さい頃から推理小説やいろんな本を読み込んでいたのと、成人してからは特に森博嗣さんの書籍に影響を受けています。




全ての人の行動を予測して掛け合わせれば、未来に起こる事象はほぼ予想できる


それが前向きか、後ろ向きかの見方によって、それは予測なのか計画なのかが変わる。


例えば、人脈が広くて満遍なく付き合いがある人が、急にリストラされるとする。その人の知人の中には何人か、宗教や健康食品を押し売りたい者が紛れているだろう。

他の友人・知人が声をかける時期を見極めている間に、そのような押し売りタイプの知人が「一緒に働かないか」とアプローチしていく。

本人も内心、その知人のアプローチが詐欺目的だと気づいているかもしれない。でも、辛い時に声をかけてくれた記憶が残る。その人に、その商品に救われたと言う記憶が残る。


そんな状況を想像して、私が事前にこう言ったとする。
『あなたは、将来職を失って、マルチ商法に引っかかるタイプだよ』
この予測、あるいは占いが当たれば、私は未来を言い当てたことになる。
でもそれは、誰から見てもおおよそ決まっていたことだったりする。






小さな予測だったら、日常的に誰でも行っていると思う。
例えば、そそっかしい妻が朝寝坊して、慌てて起きて弁当を作る。ふと持ち上げたグラスは手を滑り落ち、派手な音を立てて割れる。

「ああ!もうこんな時に限って!」

そんな声を聞きながら、やっぱりな、と呟く夫。
この夫から見れば、妻が朝寝坊をした瞬間からこの結果を予測できていただろう。


この予測データが、今この家にいる全員分集まれば、この家族の全員の予測ができる。


割れたグラスを拾う妻、その後ろから娘が「また割ったの?」と通り過ぎる。
息子は走ってきて、「怪我はなかった?」と、拾うのを手伝う。
夫は、何事もなかったようにトーストをかじっている。

いつものこと、そして当然のこと。


この予測データが日本人全員分集まれば、日本で起きることが予想できる。
そして、世界、宇宙と広がれば…。


今はまだそこまでの処理能力がないかもしれない。いや、あるけど隠されているかもしれない。


私たちが生きている今は、全てプログラミングされているように、予測された方向に進んでいる。それぞれの事象に大きな意味はない。ただ、そうなるべくして進んでいるだけ。

一方で見方を変えれば、今生きている自分の肉体に、今までの歴史や記憶は関係ない。
今動いている心臓は、動くべくして動いている。
この心拍は生まれた時に初めてかけられた言葉と関係がなかったりする。

さらに見方を変えると、小さな頃に毎日怒鳴られた記憶は、成人になってもトラウマとなって心拍数に影響したりする。


どうして、今私たちが生きていることに、今までの私たちの記憶、そして過去に生きた人たちの歴史が関係して、もつれてくるんだろう。

『どうして、どうしてと考えるのが人間。』
森博嗣さんの作中に出てくるこのワードがまさに、この答えを語っている。


人間だから、とらわれる範囲が多い。
特に、近代ではその範囲を広げている。

便利な世の中になった反面、とらわれて足枷となる範囲も広がっている。
海外輸入に依存する生活、先祖代々のお墓を守る後継。生きれば生きるほど、足枷が増える。


自由とは、幸せとは。

生きるために繋がること?
自由を得るために繋がりを切ること?


1人で死ぬこと。
大勢に見守られて死ぬこと。
どちらも経験したこと記憶がある人は、おそらくいないと思う。
この、おそらくいないだろうと言う考えも、偏見かもしれない。

私が見ている世界が真実だと限らないから。
予測するには、想像するにはデータが足りない。

今この時点でこのような思考にとらわれているのも、どこかで誰かが計画したことかもしれない。

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