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東京メトロにベビーカーを挟まれた件で、挟んでしまった人も批難する人たち

あの東京メトロでベビーカーを挟まれた家族は駆け込みではなかったわけで、もう完全に車掌とシステムの落ち度だよね。
(ただ、地下鉄の場合、非常ボタンで即停止だと、火災時にホームのあるところまで走り切って避難させるパターンが使えなくなるから良くないのかな?)

この記事読むと、以前はやいのやいの煩くアナウンスしてたのの反動でアナウンス減らしたのが仇になったっぽいね。こういう重み付けの判断は難しいね。

東京新聞:地下鉄ドアに潜む危険 閉まる間合いをつかめず ベビーカー事故:社会(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201604/CK2016040602000144.html 

重みづけの判断といえば、この挟まれた家族側も批判している人には2種類いて、電車でのベビーカー自体を許容できないタイプの人と、子どもの安全確保に関して、もっと気をつけなよ!っていうタイプの人の2通り。

後者の家族にもモヤモヤを感じるってのは、今回のケースでは難しかったかもしれないけど、そもそも挟まらないように工夫や努力をしなよってことなんだと思う。
いや、今回のケースも、今はベビーカーは畳まなくてもいいルールなので、3輪タイプとか挟まっても15mm以上の部材が挟まるようなベビーカーをチョイスすると安全だったのかもね。

このモヤモヤは、例えばお母さんが自転車に子どもも乗せる時の許容範囲で、より拘る人から拘らない人を見る気持ちとも近いのかもね。

ちゃんとした頭部保護付きのシートを使うか使わないかとか、ヘルメットやシートベルトをちゃんと使うか使わないかとか、そもそも危ないから自転車には乗せないとか、人それぞれ。

もちろん、経済的事情もあるだろうし、なかなか難しい。注意されても困るって人も多いかもしれない。

あと、例えば、子ども自身が自転車に乗る場合でも同じことが言えて、現状の道交法では「児童又は幼児を自転車に乗車させるときは、当該児童又は幼児に乗車用ヘルメットをかぶらせるよう努めなければならない。」とあるんだけど、これを「じゃあヘルメット被らなくてもいいのね」と受けとる派と、条文関係なく被らせる派がいると思う。これもたぶん相いれないんだろうけど、安全側に立つ人からみると、被らせてない人をみると、とてもモヤモヤすると思う。(※)

自分はどっちかというと、(経済的に許せる範囲で)リスクは回避してあげたいので、たぶんモヤモヤが募る派なんだと思う。

※これはレースのレギュレーションで安全に関する努力義務をどう捉えるかにもつながるなあ。

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