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生成AIと作る人間とそれらを使い消費する社会と

生成AIの発達速度は目を見張るものがあるし仕事で使ってても非常に便利だねという去年今年なんですが、こと創作(声も演技もあるけどここでは絵について話す)においては、これだけ創作物が無料バイキングされるように大量消費されて生成AIを使った「作品」に作り替えられていくのをモヤモヤする気持ちで見ています。

新卒以降制作畑で働き始めてもう20年になるけど、結局「ものを作る人間の言うことは弱い」は日々痛感している。経済とかビジネスとなった途端に専門性や高い技術や創造性といったものは優先順位が下げられてしまう。それは仕方がないことだと思う。でも、だから諦めずに何百回もものづくりを尊重せよと言う必要があるとも思う。どれだけいっても「作らない人たち」の方の声が大きい。敵わない、それでも諦めたらどんどん侵食されていくから言い続ける必要があるんだけど

話逸れちゃった。
どの分野でも議論がなされているようにほぼ人生と生き方をかけて絵や演技や何かを生み出していく創作者とその創作物をただのデータとして食っていくAIを使う人間とがいるわけで(必ずしも対立構造ではないです。中にはAIを活用して素材を作り絵の土台にする創作者もいて

こういうとよく勘違いされるんですが非創作者が思うほど簡単な作業では断じてないなと感じています(生成AIの画像をそのまま漫画の背景に使えると思い込んでいる専門家の記事みたいなのもあったよね)

よくエンジニアのGitHubと並べて語られることも見かけるけど、絵はGithubに公開されて相乗効果で業界全体が盛り上がっていくような構図とはまた別だよなと思うわけです。オープンソースで新たなサービスが生まれて、さらに自分もそれを使ってまた新しいものを使って、という循環がなされるプログラミングの生態系と、自身の絵柄や構図がまるっと消費されて他人のものになってしまっては偽の絵柄に大元の創作者の絵が駆逐されてしまう、または本来であればその創作者に支払われるはずだった対価がその絵師風生成AI画像に取って代わられて、終わり。自分が子供の時から培ってきた画風や技術が盗まれて自分は追いやられて終わりになってしまうわけです。

先日、イラストレーターかアニメーター志望だった10代の方が未来の展望が見えず心が折れかけているポストをSNSで見たりして。

絵(だけではないですが創作全般)の業界で生きていくと覚悟を決めるには、食えないかもしれないという不安を乗り越えて入っていくわけで、そこに「自分が一生懸命作り出してきたものが他者に容易に吸い取られて盗まれてしまう」ことが目の前で起きている今、絵描きという選択をせず生活のための進路を選ぶ人は多くなるのは考えなくてもわかることで

2月のパブコメの結果も公開されているが

これだけ多くの団体がコメントを寄せてくれていることに僅かに希望を持ったりはするけど、データとられる創作者が危機感や不安の声をあげれば「AIを推進したい人が萎縮するからお手柔らかに」みたいなノリが、ああ通じてないなやっぱり。みたいなのはある。

私の子供も絵を描くのが好きで、将来は絵を描いたりものを作る仕事に就きたいといっているので、我が子が創作に絶望しなくていい社会にしたいとモブキャラなりに思ってる

ああまとまらない。



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