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闘魂三銃士コンプに19年かかった話①


闘魂三銃士って

写真はレッスル夢ファクトリーです。
理由は後述。


闘魂三銃士とは?まぎれもなく、「武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋」の3人からなる新日本プロレス第2世代のスーパースターレスラー。
ちょうど私がプロレスを知り、週プロなぞ読み始めた頃は、この闘魂三銃士って言葉をよくみた(様に思う。私プロレス時間軸がめちゃくちゃなのでそこらへんは突っ込まないで下さい)
まずは入り口。闘魂三銃士ってのがいてね、と始まるわけです。まあ、私が初めての生観戦が「新日本プロレスVST2000 10対10シングルマッチ」だったので、アイドル全盛期は多分もうちょっと前よね。
なんせ、プロレス知らなかったのでちょっとさかのぼったり、今現在誰が一番中心なのかとかそういうところから紐解くわけね。
とにかく初めての登場人物であり、わかりやすく、レスラーらしいこの3人をマストとして学び、なぜかこの中からとりあえず気になる人を決めなきゃいけないような気分になって、ビジュアルのみで「武藤敬司」を選んでみた。(橋本真也の顔はかわいすぎたし、蝶野正洋は怖すぎた。ちょうど良いところが武藤敬司だった。・・・ちなみに今お仕事している中で関わっているので本当はみなさん”さん”付けで書きたいのですが当時の感じを出したかったので敬称略で書いております。すみません。)
とにかくここから知ってけ!みたいな感じだったんで(とはいえ、私の周りにはプロレス師匠がいなかったので勝手に週プロ漁ってそういうもんかと解釈していただけです)三銃士は私にとって初めてのプロレスラーであり、スーパースターであり、偉大なるカリスマとなったわけです。

ここからは、そんな私が19年かけて闘魂三銃士を仕事で撮影する、というミッションに成功した軌跡であり、奇跡のお話。
マスコミなら撮れるんじゃないの?と思いがちですが、下記に繰り広げられるド!素人時代から現在まで所属する媒体もなく、常にフリーランスでプロレス界を渡ってきた私の歩みを考えるとこれは奇跡としかいいようがないのです。


ちなみに私の話

私の名前は宮木和佳子。職業はフリーランス写真家。
撮影対象は「人物」ですが、モデル、広告、美容、など一般撮影もしつつ、
プロレスの撮影もします。
現在プロレスリング・ノアオフィシャルカメラマンとして、ノアに関わる殆どの撮影をしています。
宣材撮影、試合撮影等々・・・。
そんな撮影も今年で20年となりました。思えばいろんなことがあったなあと考えていました。私はとても忘れっぽいので、書き留めておくことで忘れたくないことをいつでも見返せるようにとnoteをはじめました。
カメラと共に気づけば20年ですが、結構濃くて面白い時間だったので一緒によかったら。


進撃の真撃 橋本真也編
話は戻って、私は(日芸)女子大生にしてプロレスのリングサイドで撮影をしはじめることとなりました。その辺の話は結構アドベンチャーなので、詳しくちゃんと残しておこうと思います。なので、後日。

何もわからないまま、とにかくレスラーや関係者に知り合いを作っては
「どこかにリングサイドに入れるプロレス団体はありませんかねえぇ」
を繰り返すローラー作戦が意外と功を奏し、孤軍奮闘の割にはまあまあ陣地を広げていった頃、私のファースト撮影団体である「レッスル夢ファクトリー」で撮影をしている時、
現・富豪富豪夢路選手こと、藤崎忠宏選手から
藤「君、日芸なの?出身は?」
宮「九州の福岡県です」
藤「そうなの?私もだよ。私ね、こう見えてデザインしてるの」
みたいな会話から、名刺交換をさせてもらった。

プロレス界にクリエイティブが!デザイナーがレスラー?と当時はめちゃくちゃびっくりした。
(今となってはカメラマンがビーチサンダル作ってるくらいなので時代は変わりましたね。)
それから何かと気にかけて(電話もかけて)くれる藤崎選手がある日私に言った。

藤「真撃ってあるんだけど、あれ撮ってみる?」

正直わかっていなかったが脊髄反射で返事をした。

「ぜひぜひぜひ!!!おねがいします!!!!!!」

藤崎選手は当時旗揚げしたゼロワンのロゴを作っている関係で橋本選手とつながりがあったようで、真撃大阪大会のリングサイドにいれてくれるように計らってくれたばかりか、交通費、宿泊費まで交渉してくれたのである。

今にして思えばかなりすごいことなんだが、事の重大さをわかっていない私はただ喜びに喜んだ。
「なんていい人なんだ!しかも大阪まで!プロレス界ってすごい!」

おそらくオフィシャルではないにしろ、こういう子がいるので、いろいろ使ってやって下さい、みたいな感じで掛け合ってくれたんだと思うけど、今にして考えればかなりバブル。いい人。

私はフィルム10本(総枚数360枚。デジタルと比べると少なっっ!)で
入場をメインに、プロフィールなどで使える写真を撮ること、
試合も良いのがあれば撮ってください、
興行後のパーティーがあるのでその記録も撮ること、
を条件に撮影させてもらえることとなった。

初めて訪れる大阪も、大阪城ホールも何もかもがアトラクションの様で、
会場中もどこにいていいのか、いたらいけないのかも全くわからないまま、あっという間に興行が開始された。
(大阪駅から会場直行、観光なしだったのでこの時の大阪の印象は大阪城ホールの中しかない。大阪に行ったのではなく、大阪城ホールに行った、というのが正しい。)
試合中にカメラが2台ぶっ壊れるわ、泣きのラスト1台で乗り切るわと、
結構ドラマティックな撮影ではあったが試合は無事に終わり、パーティーの時間帯となった。
興行のパーティーはおろか、普通のパーティーですら行ったことのない私は、人生で初めてに等しい、「パーティー」の場にいくこととなった。
(もちろん私は撮影なのでジーンズにTシャツとかそんな格好だったと思う。)

パーティーは、想像していたよりは「特になにもない」のが特徴だった。
というよりも、そこにはレスラーと男女たくさんの大人がいて、順繰りといろんな方とお話をしては、写真を撮ってみたいなことがメインだったので、出し物があるわけでもなかった。
「へえーーーこれがパーティーかー」
みたいに妙に関心していたのを覚えている。
そうそう、レスラーがスーツを着ていたのも新鮮だった。

「レスラーってスーツ着るんだー スーツでけー。」
みたいな。

その中でも大きな人だかり、切れることのない行列だったのが、橋本真也選手だった。
もちろん週プロで知っている。
蹴りの人。分厚い。元闘魂三銃士。

椅子に座った周りをいろんな大人が囲み、話をしてはサインを書き、写真を撮るの繰り返しだった。ニコニコと話す姿を見て
正直芸能人を見たときよりも感動した。

「橋本ってでけーーー!」

もちろん言わないよ。
かろうじて脳内に留めポーカーフェイスで撮影しながら、このことは一生忘れないんだろうな、と強く思った。
宴もたけなわ、そろそろ人も途切れた頃、藤崎選手が私を橋本選手に紹介してくれた。

「カメラマン目指してる宮木さんです。今回も撮影してくれたんです」
橋「ああ、そうなの。頑張ってね」
宮「ヨロシクオネガイシマス・・・モジモジ」

たしかこんな会話だったが、これが初めての闘魂三銃士との接触だった。

テンションが上ってしまった無知で怖いもの知らずでアホの私は
こんなにサインしてるから私ももらっちゃおう、と橋本選手に
「私もサインもらっていいですか?」
と聞くのである。

当時の私、死ね。

苦笑のち、「いいよ」と言ってくれたのだが、色紙がないので、その時つけていたパスの裏に書いてくれたのである。

橋本選手、神。
私、ゴミ。

今にして思えば後ろから飛び蹴りしたくなるこの行動。
多分この時、この世界にいることになるとか、マスコミはこうであれ、とか知らないし何も考えていなかったんだろう。
そうだ!橋本ファンの友達にあげたい!いい記念!とかそんな感じ。
(日芸は何を教えてるんだ!そうお感じの方もいると思います。印画紙の構造、写真家の歴史、現像液の温度、特性曲線、モノクロプリント技術等々を学ばせていただきました。そう、プロの写真家になるために必要なことなどてめえで学べ、スタイルです。専門学校じゃないのでそりゃそうか。)
さすがに今はいろんなことを踏まえてプロとしているのでこんなことはないので安心してください。多分、撮影した人にサインをもらったのは、プロレス以外の撮影でも20年の間、これ1回きり。まだアマチュアでしかない私に、周りは本当に優しかった。誰も怒らなかった。感謝してもしきれない。藤崎さんあの時は本当にごめんなさい。

宮木20歳か21歳の出来事。


もう一個言うと舞い上がっていた一泊二日の間に私は帰りの新幹線の切符をなくしていたらしく、帰りの新幹線の入り口でそれが発覚。
もちろん片道は自腹で帰京。(これまで切符は親がまとめて持っていたので管理が甘かったあまあまちゃん。ちゃんとバツが下ります。)

初大阪、初移動費、宿泊費、初パーティー、初カメラぶっ壊れ、初三銃士と初物尽くしでふわふわしていた怒涛の一泊二日。正直先読みして行動することもできず、この撮影が成功したか失敗したかのジャッジも出来ないようなレベルの経験値ではあったが個人的には非常に得るものが多く、今でも藤崎選手には感謝しても感謝しきれない。
当時の記憶はここに書いてある場面が断片的にあるのみ。
細かいことは覚えていない。それくらい緊張と場違いのプレッシャー、勘違いがあったんだと思う。
まだカメラマンでもプロでもなんでもない頃。
小さなきっかけで大きな場所に行けた素敵な時代。
この頃はまだ、ただの「楽しかった思い出」の1つでしかなかった
闘魂三銃士の一人目に触れたお話。

続く

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