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PHOTOTHELIVE nano終えて「写真」とはなにか?

nano写真展という挑戦

「写真をじっくり見てほしい」
これがいつも私が自分の写真に対して願うこと。フィルムを紙焼きにし、勝手にL版で出てくる時代は古となり、撮ったものはすぐスマホ、そしてスワイプ、拡大で自由に写真を”確認”できる時代。

もちろんプロである私はその時代の流れに添い、ミラーレス一眼で撮影しては、担当者のPCにカードリーダーをつないで納品完了なんてこともよくある。その写真たちはWEBの波に乗ってあっという間に世界中で流れて出る。
スマホの中に溢れ出る写真は”見る”ことよりも”確認”する方にひっぱられていく。

それも写真。

では私が体験してきた写真とはなんだったのだろう。
これは決して懐古的な視点ではなく、これからのデジタル時代を写真とともに生きていくためにいつも考えていたことだった。
このPHOTOTHELIVE nanoという写真展は、カメラマンになる前からの私のこれまでと師匠から受け継いだ思いを表現したものが交差する写真展となったと再確認。
なぜこれだったのか、というお話をするために少し遡ることにします。


23歳までの私は自信もなく周りに同調しながら愛想笑いを装備し、
これというポリシーもないくせに息苦しさと共生し、何でもできる年齢だったはずなのに手の中には何もなかった人間だった。

好きなものを好きなように撮ってみよう、と大学の課題で挑戦したプロレスの写真。プロレスについて詳しい教授はいなかった為、自分で関係者を見つけお願いし、リングサイドへ。
経験値もなにもないので毎日ゴングと週プロを見ては写真の勉強。
どれだけ回数をこなしても納得のいく写真は写っていなかった。

会場にいくまでの交通費、1本300円のフィルム代、紙焼きをしないでもらって1本500円の現像代、それを10本、と決めてシャッターを押す少なすぎるチャレンジの回数。やってもやっても大した写真は写っていない。
貧乏写真大学生には痛すぎる出費と絶望的な写真の山。お金がなかったので銀座のカラオケスナックでバイトした。
スーツは買えないから中野ブロードウエイの1階にある激安水商売ウエアショップで買った黒い安っぽいセットアップ(3900円)を常に着ていた。
「銀座は赤い口紅なの」とママに言われたので100円ショップで買った欧陽菲菲みたいな口紅を塗った。
水割りをつくって、タバコに火をつけて、お客さんの所望するくきわかめの袋をあけてあげて、兄弟船の番号をいれてあげて手拍子するだけで時給2000円。若い歌を歌え、といわれてよくモー娘。のラブレボリューションを歌っていたが正直COCCOが好きだった。カメラマンを目指しているというと大概の人はなぜか褒めてくれた。結果スナック務めは結構楽しかった。
それで貯めた45万円を持って中野のフジヤカメラに行き、
全額EOS1v-hs(当時のCanon最高級機)にぶっこんだ。それでも写真は大したことなかった。
穴が空くほど自分の写真を見た。何回もみた。クソすぎた。そして気づいた。

独学無理じゃない?

写真の大学に通っても写真がクソならばプロに学ぼう、とアシスタントを始めたら毎日が金言と役立つしかないプロのワザの大連発。
男性誌系のカメラマンだったので毎日おっぱいとおしり見放題だったが
今でも布量は似たようなものなので役に立つことしかなかったと思う。

そこで一気にアシスタントにハマった。
プロになるよりも一生アシスタントでいたいと思うくらい楽しかった。
プロの機材、プロの技、プロのヘアメイク、信じられない金額、
プロのモデルの仕草・・・・
何よりも私はもっていなかった”なにか”がそこにあった。

誰にも取られない、頑張れば頑張れるだけ手に入るもの。
多くの人にはできないことが出来る人。

初めて予感がした。ずっとなりたいと思っていたもの。
なれないと思っていたもの。
このまま頑張れば、わたしだって、”何者か”になれるかもしれない。

師匠には本当にいろんなことを教えてもらったけれど、一貫していたのは
「写真ってすごいんだぜ!」
ってことだった。
プロなのに、師匠なのに、自分よりも13個上なのに、
写真を語れば少年のようにいつまでも話がとまらない。ああ、これがプロなんだと。
なにか特定の写真がすごいとか、撮った人がすごい、とかいうことよりも「写真って世界そのものがすごいんだ」ってことを伝えて行ける人がプロ。
師匠は師匠が撮った写真を見ながらいつもこれがこうでね、と話をしてくれた。自分の写真に自分で自信を持てること。
私もいつか・・・そんな風になれるのかな・・・師匠の写真のうまさ故に
自分がプロとして生きていく想像は全くできなかったが、ここに「挑戦する」以外の選択肢はなかった。
それくらい写真の魅力にハマっていた。

それでもカメラマンという世界は果てしない。
一体どうやって自分ひとりでこの世界で生き残れるというのか。
アシスタントができるようなれば徐々に近づく卒業の頃。
一人で写真でお金をもらうことがこんなにも重くて怖くて逃げ出したいとは
そのポジションに立って初めてわかったこと。

26歳くらいから徐々に一人で現場に行って仕事はしたものの、
どうにもこうにもぎこちない。楽しくない。自分の写真じゃない。
師匠の背中を真似したような振る舞い。
結局は下位互換以下。消化不良だけが毎回増えていく。
毎日が焦ることばかりで自己肯定感はゼロだった。夢のように楽しかったアシスタント生活から一気に暗黒のフリーカメラマン生活へ。

こんなんじゃ・・・・廃業する・・・・・・・・


「私、男性誌向いてない!」


やってやってやってやってある日啓示のようにふと気づく。

きれいな女の子は好きだけど性的な対象じゃない。
パンチラでもマッパでもセーラー服でもSMでも最後の何かが足りない!
5年間男性誌と格闘し続け、それなりにちゃんとしたポジションの撮影もさせてもらえるようになったけど、自分の中でくすぶっている感情は消えない。
一番の原因。
性別は超えられると片目つぶっていたけど、性癖は超えられない。

最終的に、見る人がぐっとくる瞬間がわからないカメラマンが
あれこれ小手先で挑んだって伝わるわけないじゃんね。
師匠と同じジャンルで成功はしたかったけど、やっぱりできないものはできないと諦めがついた頃に舞い込んだ一般誌のグラビアの仕事。
20代若手俳優を撮る仕事。やってみたらめちゃくちゃ楽しかった。
構図もつぎつぎに浮かんだ。男性誌で覚えたライティングも、誘導の仕方も全然通用した。「女の子はこういうのが好きなんですよ」って言えた。
何よりも「読者の気持ちを代弁する写真」が撮れたような気がした。

適材適所の効果もあって、30歳前後から
「フォトグラファー宮木和佳子」が、やっと誕生したと思っている。
撮影のストレスはないし、やりたいことは出てきたし、失敗もしたけれど、全部が自分の糧になるしかないからちゃんと謝罪もできた。
「わかちゃんの写真はやっぱり女の子だからか、柔らかくなっていいんだよ」
と褒めてもらうことも増えた。私らしい写真が撮れたかな、と思うことも。

そして今。
プロレスが大好き。NOAHも大好き。
めっちゃ楽しい。

あれこれ理由はたくさんない。好き。楽しい。
そしてこれが写真に返ってくる。
こんなにシンプルなことに辿り着くまで随分かかったけれど
その分この状態をより大切にできる。
私は、私の写真が大好き。

あんなに苦い思いをした女性のグラビアも私らしく撮ることがわかってから
いまでは大好きになった。
写真を撮ることが、24時間ぴったりと自分と生きている気がする。


「狭い場所ならあれだ!」


かねてから大きな写真で圧倒する量で囲むスタイルはやってきたものの、
真逆の「小さな写真を目を凝らして見てもらう」という見せ方も
いつかやりたいと考えていた。できたら虫眼鏡で。
データとして確認じゃなく、”見る”ことをより深く体験することによって
私の思う「じっくり見てほしい」も実現するし、
体験は大きい。
何より虫眼鏡で写真を見ている人の姿に私は絶対”興奮”する!

新宿マルイ本館にはじめて訪れた時、「ここなら出来る!」と直感。
写真展をするには狭いけど狭い場所じゃないとできないことが
ぴったりシンクロした。ここで小さな写真の写真展をやって、それでも見た人が楽しく思えてもらえれば写真の力はあるんじゃないか。


結果から言うと私としては大成功の大興奮だった。

この機会に「写真ってすごいな」と感じてもらえたとしたら、
男性誌で成功できなかったけど、師匠から受け継いた大事な教えは
守れたんじゃないかなと少しだけ思える。

これからも、写真の力を。




最後にご来場いただきました皆様本当にありがとうございました。
ご協力いただきましたプロレスリング・ノア様、選手の皆様、
写真展メインビジュアルイラストレーション ニイルセン様、
そして新宿マルイ本館様、
大きな経験をありがとうございました。











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