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闘魂三銃士コンプに19年かかった話②

あの大阪から

闘魂三銃士に初めて触れた私だけがゴミみたいな話は

こちらになりますので、ご覧いただくかは任せます。

さて記念すべき2人目の三銃士は、「武藤敬司」選手です。ただ武藤選手に会うまでには17年以上の月日がかかります。その間の私を説明するとこんな感じです。

大学在学中 リングサイドカメラマン開始

数々のプロレス団体を撮影させていただく(あくまで作品撮影のためで始まったので、仕事と作品撮り割合は3:7くらい)

大学卒業(23歳)

週プロカメラマンになりたくて面接を受けさせてもらうも当然桜散る

仕事を覚えるため、グラビアカメラマンに弟子入り(25歳)

アシスタント業務専念のため、個人的なカメラマン活動の中止

カメラマンとしてデビュー(26.7歳)

プロレスとは関係のない一般での撮影をこなす日々

友達の紹介で行ったBBQにてプロレス関係者と出会う(35歳)

「撮影の仕事とかあったらヨロシクオネガイシマス!」
「わかった!なんかあったらふるね!」

後日「こないだの話、NOAHオフィシャルやんない?」

プロレスの仕事を再開

と、約15年をかいつまんでみました。
ここをじっくり話していると武藤選手にたどり着くのがまじで2025年くらいになりますので、割愛。割愛。とにもかくにも、私はなんとかアシスタントを終了し、なんとか駆け出しカメラマンになり、なんとか一人前のカメラマンになり、気づけば普通にご飯が食べられている状態になっていました。ついでにビールも飲んでいます。なんならチューハイも飲みます。

ちなみに「急にNOAHオフィシャルやる?とかあるの?」
と思う方もいると思いますがこれ、本当にタイミングが良かった話で、ちょうど探していたところだったそうです。1週間遅かったら、私ではなかったと後日聞きました。
「何かお仕事あれば」とお話した時は、私としては取材とか広告とはそういう撮影を想定していたので、いきなりオフィシャル決定に多少驚いたものの、相変わらずの脊髄反射で
「ありがとうございます!やりたいです!」
と答えていたのは相変わらずでしたね。

そんなこんなでプロレスリング・ノアの公式カメラマンになったのは2015年末。
認知しておられた方はほぼいないと思いますが、本格始動を2016年に控えて、2015年末からリングサイドに入っておりました。
久々となるリングサイドの動きやプロレスの撮影の調整というところでしょうか。それまではモデル撮影やスタジオを中心としていたので機材面、フィジカル面がスポーツ撮影に全く対応出来ず、10年以上経って戻るリングサイドは別の景色。焦りもあったけど

「また1から」

これが不思議とワクワクしたものでした。

ノアに来てから

ノアに来てからの話はまたいろいろあるので、丁寧にどこかで書きますね。とにかく怒涛の連続でしたが、もともと大好きな業界だったので、毎回の撮影はとてつもない緊張と充実感に満たされ日々勉強することばかりでも生き生きしてるな、と自分でも感じていました。
初めて自分なりに納得できた写真が撮れた時はディファの会場出て泣いたなあ・・・。月がキレイだった。

ちなみにその頃のNOAHは、新日本プロレスから「鈴木軍」が来て
NOAHの至宝GHCベルトを軒並み奪取。NOAH vs 新日本プロレスの戦いが日々リング上で展開されておりました。正直NOAHに来る以前の仕事のサイクルもあり、プロレスから離れていた(年に何度か見に行く程度)ので私のイメージするNOAHとは随分違う雰囲気に面食らったのは覚えています。

そういえば私も新日本プロレスの洗礼を受け、オフィシャルだったからか知らないですが、
とある新日レスラーに入場時頭から水をかけられ、試合前に戦意喪失したこともありました。

その頃NOAHでは「武藤選手」のむ~の字もない状態だったので、正直闘魂三銃士のことは忘れかけていました。
(取材するような媒体に属していれば、いろんな選手を撮ることがあるので武藤選手にも会えていたのかもしれませんが、NOAH公式だったのでそのような気配もなかったのです。)

そうこうしているうちにあれよあれよとリング上は変化を遂げ、
私もだんだんNOAHを把握し、改めましてのリングサイドがしっくり感じてきたのはオフィシャルになって1年とちょっと経った頃でした。

2017年2月14日丸藤選手と武藤選手がタッグを組むことが決定となったのです。リング上での電撃告知!その流れでプロモーションの取材等で撮影をすることに。そう、ここで闘魂三銃士2人目との遭遇となります。

初めて間近で見る武藤選手はテレビと一緒。

そして
「でけーーーー」(こればっか)

オーラあるし、威圧感あるし、とにかく華がある。あとツヤツヤしてる。
誰しもが自然に目が奪われるというのはスターの証。
やっぱかっこいいねえ~とかウキウキしながら
2人の天才を1人の凡人が撮った写真がこのnoteの扉写真です。

私のプロレスの教科書1ページ目を飾った闘魂三銃士を撮影できるとは
感無量。感無量。かんむ・・・あれれ????

「2人目・・・」

揺り起こされる記憶。湧き上がる野望。

橋本選手との遭遇から17年経っておりました。

ここで少し話は変わるのですが
プロレス業界にいるのであれば闘魂三銃士を撮影することもあるんじゃないの?とお思いの方もいると思いますが、私はなかなか難しかったです。
そもそも、プロレス関係の媒体に全く属さない状態でリングサイドに入るというのは人数としてかなり少ないと思います。
現在主な媒体で言いますと、東スポさん、週プロさんはみなさんご存知ですね、そして各新聞社さん、WEB媒体さん、とリングサイドに入る方たちはみなさん「媒体」を持っています。プロレス撮影をする際は「目的」があるわけなので、当然といえば当然です。
オフィシャルはもちろん媒体はないのですが、「元○○のカメラマン」みたいな感じで元々どこかの媒体に居た方が努めてらっしゃることも少なくないです。そんな中でド!フリーランスが
「プロレスのリングサイドはいりてー」となると、
「オフィシャルをもぎとる」ことでしかほぼ不可能なわけです。

では団体の数だけオフィシャルがいるかというと、兼任していたり、オフィシャルがいなかったりする団体もあるので、ぐっと数が減ります。
そんな中でツテも何もなく、さらに10年近くプロレス業界から離れていた私がメジャー級レスラーである闘魂三銃士を撮影できる可能性がどれほどあったか、と考えると、ゼロに等しい確率なのです。

さて、話は戻ります。
いえ、続きます。

最後のあの人は夢

そんな奇跡の中闘魂三銃士を2人も撮影出来たと気づいてしまっては
どうしても浮かんでくるあの人・・・
「蝶野正洋」選手。
ここまでの17年間、プロレスでも一般の撮影でも触れ合うことも名前がでることも、かすることもなかった蝶野選手。
遭遇することはあるんだろうか?????

でも、ここはプロレス。
どこかで会えるかもしれない。

その時に気持ちがぐんと引っ張られました。

「闘魂三銃士を全員撮りたい」

17年かけてやっと点がつながったんだから、もう1つの点をつなげることはできるんじゃないのかと湧き上がる野望に一人ドキドキしたのを覚えています。

ただ、本当に点がつながるとしたら、さらにもう1つ点をつなげたいとも思いました。

その点は私。

私も勉強をしてきた。
「カメラマン」としてちゃんとこの業界にいるつもりだし、向き合ってる。日々写真のことばかり考えて生きてる。それをプロレスの神様がみていてくれたとしたら、3人目はきっと向こうからやってくるはず。プロレス撮影のキャリアは浅いけど、
もしそれがかなったら、私は自分のことを「プロレスのカメラマン」とちゃんと言えるんじゃないか、と思ったのです。

だったら最後の一人も「偶然」がいい。
最初に知ったレスラーだからやっぱり一般の撮影じゃなくリング上にいる姿がいいし、それは絶対に「仕事として頼まれた状態で」撮影したい。

だからこそ、決めたんです。

最後の一人の撮影に対して私からはアプローチしない。希望も言わない。
引き寄せられるのであれば必ず機会は巡ってくる。
いい写真家でいれば必ず声がかかる。
いつもやりたいことや目標を人に言いまくる私が、これはココロの中にしまっておいて、待つ。とにかく待つ。言わない。誰にも。
どうしても偶然に任せたかったのは、17年前のあまちゃんと今は違うことを自分以外の力で実感したかったのかもしれない。

「闘魂三銃士を撮る。コンプリートする。仕事で。リング上で必ず」

その日はなんだか希望に力が湧いてとても楽しい家路だった。
夢は持たず目標に向かう私が久々に描いた「夢」だったからかもしれません。

そこから口をつぐみ密かに願う日々。
小さく大きな夢を決めてからしばらく。


3人目は

本当に向こうからやってきたのです。

続く

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