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もののけ姫。宮崎駿の考える森と人の関係 ④

シシ神の池のほとりにやってきた瀕死のアシタカとサン。サンは榊を立て、アシタカの処遇をシシ神へ委ねます。
「榊」は字の通り、神の宿る木とされ、今でも神社の境内などで馴染み深いですね。古くから神事に使われています。
また、シシ神様の正体(昼の姿)は「シカ」です。漢字で書くと分かり易いです。ついつい僕たちは「獅子」と変換してしまいがちになるのですが、ここでのシシは「鹿」です。
えっ?って思われる方も多いでしょう。宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」を小学校の教科書で読んだことがある方も多いと思います。まさにあの「鹿(しし)」です。
鹿を神様の使いとしているのは現在も続いていて、鹿島神宮などでみることができます。

さて、結局シシ神はアシタカの傷を癒しましたが呪いは解きませんでした。
また、この間にアシタカの愛馬?ヤックルとサンが打ち解けています。ヤックルは作中話しませんが、サンは動物の言葉を理解することができることがうかがえます。その後、シシ神の森を守ろうと九州からやってきた猪たちとモロの君との会話が非常に秀逸です。

イノシシたち「シシ神が人間を助けいやしただと!なぜナゴの守(かみ)を助けなかったのだ!シシ神は森の守り神ではないのか?!」
モロ「シシ神は生命をあたえもするし、奪いもする。そんなことも忘れてしまったのか、猪ども」
イノシシたち「ちがう。山犬がシシ神をひとりじめしてるからだ。ナゴを助けず裏切ったからだ!」
モロ「きやつは死をおそれたのだ。いまのわたしのように。わたしの身体にも人間の毒つぶてが入っている。ナゴは逃げわたしは逃げずに自分の死を見つめている」
シシ神の森を守る立場である動物たちの間で考え方、宗教の違いがあることが分かるシーンです。
また、以前にも木を植え続けている猩猩しょうじょう(霊長類)たちともサンは考え方の違いがありました。ちょっとまとめてみましょう。

モロの君→人間は神聖なる森への敬意を払わねばならない。自らの欲望のために樹木を伐採し水を汚す行為は許せない。(けして人間自体が嫌いではない。現に人間に捨てられたサンを保護し育てている。)

イノシシたち→シシ神は森の守り神であり、シシ神は我ら(動物)の絶対的守護者である。下等な人間が汚すことを許すな。

猩猩→人間との戦いを根本的に解決するには人間並みの能力が必要だ。だから人間の能力を得るために人々を搾取し遺伝子を変化させるべきではないか。
人と森の関係、そして動物との関係についてみなさんはどんな風に思いますか?

さて、決戦前夜。モロの君とアシタカとの有名な問答が入ります。
「オマエにサンを救えるか?」
「わからぬ・・だが共に生きることはできる」
「どうやって生きるのだ。サンと共に人間と闘うというのか?」
「違う!それでは憎しみを増やすだけだ!」
「小僧・・もうお前にできることは何もない・・。」

あ、そうそう。モロの声を担当しているのは美輪明宏さんです。
演技ももちろんなのですが、配役が「この人しかない」というウィットにとんだキャスティングをしています。言葉の読み方を変換していくお遊びです。

三輪=みわ=大神=おおかみ=狼。気が付いたときに すごい!と叫んでしまうほどでした。

アシタカは共生の道を探ります。自分たちの部族がそうしてきた背景があるからです。

そしてクライマックス。エボシはシシ神退治に赴き、彼女が留守のタタラ場には大侍のアサノの軍勢が攻め込みます。シシ神退治の軍勢には怒り狂った乙事主率いる猪たちが突撃します。

モロの君は静観し、要のシシ神の聖地を守護する道を選び、サンは盲目の乙事主を助けて戦う道を選び、アシタカはタタラ場にエボシを連れ戻そうと奮闘します。

どうなるかは劇場にて見て欲しいのですが、最後のシーンが非常に印象深いのでおはなしします。

緑が戻った大地を見て、アシタカは驚愕しますがサンはまだ絶望しています。「ここはもうシシ神の森(原生林)じゃない。シシ神は死んだ」と。
アシタカは答えます。「シシ神は死なないよ。生命そのものだから。生と死とともに持っているもの」

これは森とは何か?の問答です。屋久島のような原生林こそが「森」であるとサンは考えています。
アシタカは違います。「森」とは命そのもの。育み、共に森にすることが重要なのだと考えています。ここでも共生理論です。

そして最終シーン。豊かな森の象徴であるコダマが一匹だけ産まれるシーンで終わります。これは「破壊の後の希望」であり、風の谷のナウシカの最後のシーンでも同様の演出をしています。

宮崎駿監督の永遠のテーマなのかもしれません。「いのちは闇にまたたく光なのだ」と。

もののけ姫で描かれているのは、日本の森についての歴史です。

本来自然と共生していた縄文民族を大和民族は自然をコントロールして支配に置いていく思想を持った大和朝廷によって駆逐されて追いやった歴史があること。
人間利用のために山を切り開いていったが、災害によって森が必要であることを再認識して里山文化という形で承継したのだ。というお話です。

「森」という存在に対して、どのような視点をもっているのか。
「木材の集合体」とみる人もいます。「虫たちの住処」とみる人もいます。
「花粉をまき散らす天敵」と見る人もいるかもしれません。

少なくても僕は愛情というか、友情を感じています。

コロナ渦中、定期的に森に入っていた習慣も自粛していました。
森や里山の匂いが懐かしいです。

もののけ姫のおはなしは今回でおしまいにします。
サンとカヤの関係などについては個別にご質問ください~


埋もれてしまっている宝石がたくさんあるように思います。文化だったり、製品の場合もあるけれど一番は人間の可能性です。見つけて、発信してよりよい世界を共に生きましょう。