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地方演劇を真面目に考える会 特別編 その4 【戯曲の魅力について考える編】

概要

2021年に和歌山市のクラブゲートと、オンラインで開催した「地方演劇を真面目に考える会」の記録です。以下のHPにて、開催した動画のアーカイブ、アンケートデータや、インタビュー動画をご覧になれます。ぜひご覧ください。

戯曲の魅力ってなんだ?

前回から、観客を増やすには、まず、演劇の魅力を伝えなければ、ってその前に、演劇の魅力ってなに?ということで、盛大に寄り道して、演劇の魅力について考えて行っています。
まず、今回は、演劇の台本の部分、戯曲の魅力を検証しますが、戯曲論なんてのをやりだしたら、何年かかっても分からないので、とりあえず、簡単な要素を取り出して、その魅力を考えていきます。

◎戯曲の魅力の要素

・ストーリー
演劇はかなり長い間、物語を語る表現の一つとして伝わってきました。演劇の上演をするという意味合いの中に「戯曲を役者や舞台を通して、観客に伝える」という趣向の強い演劇ジャンルも多くあります。現在でも、そういった志向の劇団が強くありますが、それに反発して、身体性に特化したり、ポストドラマ演劇といった非物語性に特化した演劇も存在します。演劇の魅力は色々ありますが、ストーリーの良し悪しを観客が帰り途に話している割合が一番多いと思います。 特に、演劇を観たことがない非大都市圏の人に演劇を進める場合は、この「物語性」は、非常に大事な一つのキーワードになると思います。演劇=「舞台で生で物語を演じる」という固定概念が強くあるので、そうでない場合は、「なんかよく分からなかった」となりがちです。やはり、ストーリーは演劇を観る魅力のかなり大きな要因だと思います。
ただ現代では、ポストドラマ演劇等があり、ストーリーだけが演劇の持つ魅力だけではないというのは、間違いない事実だと思います。

・言葉の美しさ
詩の要素も含まれうる戯曲には考え抜かれたキレイな日本語を役者が声に出して聞かせるという良さもあります。小説とは違い、音声で言葉の美しさを伝えられるのは演劇の優位性の一つかと思います。普段我々が喋っている日常会話と違い、考え抜かれたセリフは、音的な楽しさも存在します。ただ、役者の技量が非常に要求される要素でもあるので、初心者にいきなり音声的技術を求めると、お互い嫌な結末になりかねません。とても美しい日本語は、声に出すだけでもとても楽しいものです。そして、その裏にある意味が分かってくると、どんどんと演劇が楽しくなる部分でもあります。
・斬新さ
物語や文学性とも少し被りますが、現代でもラップでエンゲキしたり、逆に古典演劇を現代に復活させたりと、これが演劇でできるの?っていう斬新さは、話題になりやすいです。特に非大都市圏では演劇を観たことのない方が圧倒的に多いので、固定概念的な演劇観が強い事が多く、これが演劇なのか!とインパクトを与えやすいです。
ただ、いわゆる普通の文学性重視だったり、エンタメ的な演劇が好きな人からすれば敬遠される要因ともなりうるので、難しい所です。
・リアリティー
演劇はどうやったってフィクションにしかならないのですが、リアルさというのは、魅力の一つになりうると思います。特に戯曲の場合は、キャラクターや、セリフのリアルさは、共感性を高めて、観客の感情移入をしやすくしたりします。
・構成
ストーリーの内に入るかもしれないですが、題材やキャラくーターが面白くても、構成がよくないと面白くないです。技術的な部分ですが、構成で、観客が感情移入したり興奮したりします。これがよい戯曲はとても魅力的になります。
・様式
耽美的な作品であったり、逆にアナーキーな作品であったりと、時代やジャンルによってさまざまな様式があり、それが見る人の趣向に合えば、とても魅力的になります。
・同時代性/普遍性
演劇は、どうがんばっても、今を生きる役者で今を生きる人たちが見ることになるので、その時におきている出来事や思想に強く影響を受けます。古典の良さもありますが、同時代の問題を扱った作品は、現代の問題についての知見を広めたり、新たな問題提起をしてくれます。それは、時代に逆らえない演劇の強みの一つかなと思います。逆に、演劇は過去の名作を上演したりと、普遍性を持った作品を上演することもできます。
・喜劇性/悲劇性
ストーリーと似た要素ですが、喜劇は見ると楽しい気持ちになり、悲劇は悲しい気持ちになり、日常生活では味わえない、ある種の快楽(カタストロフィー)を得ることができます。
・風刺
同時代性や喜劇性にも関係あるとは思うのですが、社会状況に対して、ストレートにいうんではなく、風刺という形でユーモアやアイデアで作品にするのも戯曲の魅力です。

他にも様々な要素はあると思いますが、戯曲はかなり長い年月存在し、様々な名作があり、今も新しい作品がどんどんと出ています。
特に、非大都市圏の演劇では、そこでしか見れない作品であるという希少性も加わると思います。色々な要素がありますが、どれが一番という事もなく、全部ないといけないという事でもありません。とても複雑な要素で成り立っていてひとえに言うのは難しいかもしれません。

台本・戯曲の、多ジャンルとの比較

正直、多ジャンルとの比較面では弱い部分かなと思います。
戯曲には「舞台でしか表現できない」という特性というものはありますが、それが必ずしもいい面だけではなく、デメリットも併せ持っており、戯曲の持つ文学性の面も、これを役者が演じたらいいものになるのか?というのも、また別の面があり、台本・戯曲が演劇のいい所だとは言いづらい気がします。
優れた戯曲は映像化されたりもしていますし、別に演劇じゃなくてもいい気がします。
古典的な名作が生まれた過去の時代では、演劇が非常に高尚な芸術であったり、文字が読めない人への伝達手段であったり、ある事件の伝達性を持った今のニュース的な役割もありました。しかし、現代では、識字率も上がり、様々な科学技術の発達により、映画やテレビができ、そしてネットが発達して、演劇の持つ役割も、よく言えば変化しきた。悪く言えば役割を奪われていきました。その中で、特に戯曲の持つ役割も変化してきている気がします。
ただ、演劇でしか表現できない戯曲の良さは、劇場でなければ見れないという希少性は持っているかもしれません。逆に言うと、それぐらいしか魅力はないのかもしれません。

台本・戯曲の魅力の結論

 あくまで個人的見解ですが、戯曲の良さは、非大都市圏の演劇をあまり知らない人にとっては、あまり魅力になりづらいと思います。
 まず、観客側からすれば、知名度のない知らない人の書いた面白い戯曲より、超有名な人の物語の方に魅力を感じるでしょう。そして、世の中には、映画・ドラマ・マンガ・アニメその他さまざまな、とても素晴らしい物語が山のようにあり、今は手軽にそれを手に取ることができます。それらを演劇化するという手法もありますが、それならわざわざ、日時・場所を拘束される演劇でなくてもいいかなと思います。
 そして、演技をする側からしても、名作はえてして演じるのが難しい事が多く、気軽に楽しめるとは言いづらいと思います。シェイクスピアのあの長文を、いきなり初心者に渡して、楽しめといっても、かなり難しいです。また、現実的に役者の数が少ない地域では、登場人物の制約が、かなり戯曲選びを難しくします。
 大都市圏の劇団は、戯曲を決めてから、出演者を探すという作業に入る所が多いと思います。しかし、出演者数の選択肢が少ない地域では、出演者に合わせて戯曲を選ぶ制約が出てきます。そうなると、戯曲優先の作品作りはかなり難しいです。ここは、大都市型の特に戯曲優先の演技論や演劇論とはそぐわない所かなと思います。
そして、セリフを読むという行為は、役者の職能の一つではあると思いますが、それが演技のすべてではないと考えます。セリフにとらわれずに、自由にその戯曲の持つ劇世界を楽しむ事が、初心者が演技を楽しむ最優先事項だと、自分は考えます。その時に、決まったセリフをうまく読もうとすることは邪魔にしかならず、そして実際に、はじめてセリフを読もうとする初心者の人達は、そこの「どうやってうまく読むか、間違えずに読むか?」に神経をとがらせて、そのセリフの面白さに気が付けないことが多く、もどかしいです。まず、セリフ自体が邪魔になっている。その時に果たして、非大都市圏の演劇、特に初心者のための演劇に、台本は必要なのか、疑問があります。
 唯一、非大都市圏の戯曲が有利な地域性おいても、それをきちんと調べて、物語に昇華するのはかなり難しい作業です。下手に地域の歴史や文化を扱えば、それに不愉快な気持ちを与えかねないからです。ちゃんとした作品を作れるのであれば、非常に強い優位性になりますが、それができる人なら、別に地域にこだわらなくてもいい作品が作れると思います。その時点で若干矛盾しており、戯曲における地域性は、かなり難しい問題だと感じています。
 大都市圏の演劇には重要な要素かもしれませんんが、非大都市圏の演劇にとっては、戯曲・台本は、あまり重要視してもしかたがないと考えます。

つづきます。
特別編 その5はコチラ

番外編 その9はコチラ

劇作家 松永恭昭謀(まつながひさあきぼう)

1982年生 和歌山市在住 劇団和可 代表
劇作家・演出家
劇団公式HP https://his19732002.wixsite.com/gekidankita


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