昨夜、退職願を提出しました。

40代最後の年、新たな生き方に挑戦します。

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最近の記事

犬と猫

外は寒かった。8日間一歩も外に出なかったから感覚が麻痺してたけど、季節は2月半ば。ブルっと震えた。家に帰るのが楽しみというより、犬と猫に会えるほうが嬉しかった。犬は14歳男子、猫は2歳女子。歳が離れすぎてるから一緒に遊ぶ感じではないけど、仲は悪くない。まさかの成田のオミクロンで寂しい思いをさせてしまったから、今すぐ会いたかった。 既にコロナを経験してしまったので公共交通を使うことができた。成田空港からリムジンバスと最寄りの駅まで行こうと思ったら、コロナのため欠便とのこと。しょ

    • 隔離ホテル③

      前代未聞の、帰国時夫婦共々コロナ陽性発覚。隔離中の8日間はあっという間だった。毎食の弁当は充実していたし、毎日プログラムに沿ってやることをこなし、冬季オリンピックの主要なスポーツ観戦ができた。奥さんには申し訳ないが一人の時間を満喫させてもらった。1日に一回3時間限定で運動タイムがある。その時間帯だけ廊下で運動できるのだ。毎日決まった時間に廊下に出て奥さんと落ち合い、廊下の端から端まで歩く。かるーく3往復。毎日廊下をドタドタ走っている外国人男性、子供二人連れて廊下を散歩している

      • 隔離ホテル②

        隔離ホテル生活が始まる。未知の世界。ホテルのロビーで係員からのヒアリングや隔離生活のルール等のオリエンテーションがあってから、部屋に通された。同じく陽性の妻とは別部屋。部屋を大きめ。湯船もある。水に大ペットボトルが3本。まだ繋げていないがwifiもあり、まだ日本の携帯を持っていない身としてはありがたい。 昼時だったし、朝飛行機の中で食事した以来水分しか摂取していなかったので配給されたランチを口にした。大袈裟じゃなく美味い。このレベルが3食提供されるらしい。十分だ。今日は朝か

        • 隔離ホテル①

          別室に移された。係員の女性からいくつのかの確認があった。事実をそのまま伝える。頭の中は、検疫で待っているであろう犬と猫のことだけ。その係員に言った「犬と猫はどうなりますか」。係員も事態をよく飲み込めていないらしく曖昧な返答をしたが、数回説明してやっと腹落ちらしく検疫に掛け合ってくれた。いずれにせよ、我々夫婦が陽性なので隔離ホテルに直行せざるを得なく、犬と猫に会えないのは確定。保護者不在のそれらがなんとかなる方法は一つだけ。帰国する前に手配してあったハイヤーに犬と猫だけでも乗車

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        • 退職
          27本

        記事

          まさかの

          元気でやっているだろうか。抗原検査の確認終われば通関、そのあと検疫に行ける。犬と猫の渡航は、人間の比じゃないストレスがかかっているだろう。 抗原検査の結果は、用意されたパイプ椅子に座って待つことになる。いつにまにかパスポートに貼られていた自分の番号。番号を呼ばれた人から結果を聞きにいくことになる。一回目のコールで自分の番号が呼ばれなかった。周囲の椅子に座っていた人たちの8割くらいは呼ばれて歩いていった。二回目、呼ばれない。妻も。気づいたら、自分の周囲にいた人全てはすでにいな

          3年ぶりの

          国際線に搭乗すること自体も、そしてその先が日本であることも久しぶりだった。幸い飛行機の中ではよく眠れただ朝ありえない時間に食事がサーブされるのはきつかった。犬と猫は眠れただろうか。貨物の温度とか音とか自分が体験していないし、彼らの感じ方は我々人間とが違うだろうし。疲れやストレスを感じているに違いない。 荷物をまとめ飛行機かた出た。これから検査と諸々の書類のチェックが待っている。どのくらいの時間がかかるのだろうか。数週間前一時帰国でこの空港に降りた友人親子は4時間掛かったそう

          Sayonara

          ありがたい送別会をいくつも企画してもらった。それぞれに丁寧に、また再開できる含みを持ってお別れした。感謝しかない。最終日まで時間的余裕がなく、でもなんとか最低限の処理は終わったような気がする。家に仲の良い後輩家族が来てくれて何か言いたそうにしているが、こちらは出発の段取り特に犬と猫も一緒に旅立つのでそのあたりの心配があって、その家族との最後の時間をうまく過ごせなかった。すまんね。昨日朝に行ったPCR検査は陰性。証明書を持って出国する。 9年間住んだ家。名残惜しい。一つの場所

          旅立ち

          20数年前、日本を飛び出した。その頃の心境は覚えていない。母国以外で暮らすことは初めてだったし、楽しみよりも不安のほうが大きかったんだと思う。そして今、母国に戻る。この数日憂鬱な自分がいる。日本でやっていけるのであろうか、会社を退職したのは正解だったのだろうか。自分は本当にこの地を離れていいのだろうか。 帰国に際しては準備が進んでいたため(私ではなく、妻が進めてくれたのだが)、最後はゆっくりできると思っていたがいやいや相当バタついた。銀行の解約やら、携帯電話番号の処理とか、

          去るということ。

          契約期間も残すところ5日。仕掛かっていた大きなプロジェクトをなんとか開始させ、いい感じだったがここにきて大きなトラブル。自分ではどうにもできないトラブルだが、全ての責任は自分にある。最後しっかり対応して去らないと。 去るということ。先への不安と、引き継いでもらった人たちへの後ろめたさと、今の段階ではいいことが見出せない。最後のトラブルで、胸も張れなくなった。今できることを、丁寧に対応するしよう。感謝を言葉で表そう。この二つを残された時間しっかりやる。

          退職10日後

          退職して、新年を迎え、それから10日が過ぎた。普通に現地業務をしているので退職の実感がない。フリーランスという立場なはず、しかしこの実感もない。これから10日間はまた忙しくなるはず。しっかり最後の仕事を全うしよう。

          退職日

          退職届を出してから5ヶ月が経ち、遂にこの日がきた。12月31日。東南アジアに年末の概念はあまりなく、旅行など目的がはっきりしたことがなければ大晦日まで働くことになる。 本社はすでに年末休み。だから感慨深いことはほとんどなかったが、数人の友人からは、お勤めご苦労さまでした、と労ってもらった。ちょっとだけ実感。辞めたんだ。 とは言っても1月いっぱいはこちらに残り現地業務に勤しむ。か、な、り、ハードな仕事になりそうで、あっという間に過ぎるだろう。帰国は2月初旬。日本が一番寒い時

          振り返る。

          大きな決断をした年だった。一言なら、そう言える。もっと言うと、集中して考え動いた年だった。少々キツい時期もあったが、今年決めて動かなかれば後悔していたと思う。これから待っている苦難はさらに大変なモノやコトだと思うが、何をやったって楽ちんなことはないし、時代を考えると「先に」苦労できる最後のチャンスのような気がする。海外赴任して20年。これからも海外と関わり続けたい。なぜならそれが唯一の強みだから。 今年を漢字一文字で表すと、なんだろう。もう少し考えたい。

          退職まであと10日

          年末から年始にかけて世界各国でカウントダウンが始まる。なんとなくだが、新年まであと10秒くらいから始まるような気がしていて、退職の場合あと10日くらいから始めるのがいいのかと勝手に思った次第。その後も少し業務が続くが、この会社の社員としては間違いなくあと10日。人事部から送られてきた退職の書類一通りにサインと捺印を終えた。 メールでのご挨拶をもうそうそろ始めないといけない。主要な取引先には直接挨拶した。送別的な飲みも少しはある。仲の良い友人たちとはゴルフ旅行に行った。私は記

          感謝して生きるということ

          退職まで○日。やるべきことはたくさんあるものの、そのそれぞれに感謝の意を込めて行動することにした。周囲に支えてくれている人やモノ、コトがあるからこそ幸せな日々を過ごすことができているのだ。退職してからのほうがはるかに大変なことが待っている。そこに向かうと決めたのも自分。目を逸らさず向き合うためにも、今目の前のことを思いを込めてしっかりこなし力をつける。力は50歳から必要なのだ。 よし、行動しよう。

          感謝して生きるということ

          丁寧に生きるということ

          退職まで約○ヶ月。カウントダウン開始と言っていい時期ではあるが、仕事が途切れることはないし、責任が誰かに委譲するわけではないし、通常運転しているので感傷的になる時間はない。馴染みの店はまぁいつでも行けるから、少しご無沙汰している飲食店を先に選んで食べに行き、今回が最後の訪問になってもいいようにはしている。 さて、11月は「丁寧に生きる」ということを意識して行動しているのだが、普段いかに丁寧に生きていなかったかが、実感できた。挨拶ひとつとってもそうだ。メールひとつとってもそう

          丁寧に生きるということ

          Year2021 -L-

          このシリーズ、だらだらと、気が向いた時に書いていたら「L」まで進んでた。「L」だけに、この退職にまつわる投稿は「Last」としたい。まだ書くこよはあるが、自分がまだ会社に在籍し退職日まで2ヶ月あるし、実際に退職してから書いたほうがいいような気がする。 さて、結果から言うと私の退職は承認された。やはり難題が多かったこの件をまとめてくれたのは上司数名のご尽力に他ならない。人に迷惑かけ続けて50年弱。もうそろそろ全く迷惑をかけない人間になりたいが、多分無理なのでせめて頻度を下げ、