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授業を受けるのは「正解」を教えてもらうためではないのです。

 オンライン授業には講師と受講生がいます。
 講師は、必死になって準備と授業をするので、講師が意図していることがきちんと伝えられるよう応援するのみです。
 もう一方の受講生へのメッセージを記しました。

 今どのような受講生が多いかわからないけれど、かつての研修や授業は、

「ほかの人の邪魔をしないように黙ってその席に座っていたらいい。
 講師(先生)からの質問に答えるのみ。
 ワークは指示されたとおりにするのみ。」

 という考え方の人がいました。
 自分が必要と考えて受講すると決めたのであれば、得たいものを得るために、「毎回1回以上、質問」をしましましょう。

 講師は、やればやるほど上手な授業をできるようになりますが、
「講師の常識は受講生の非常識」
「善悪、正誤の価値観が講師と受講生で違う」
「思わず言い間違い」
 といったことが起こります。
「?何か変」と感じることがあるものです。

 科学的な考え方をして、受講生から学ぼうと考えている講師は、質問に答えてくれます。自説を曲げない講師は、柔軟な視点での検証をせず、宗教的な意味だけでなく「布教」のために授業をしているのかも知れません。

 また、授業は、「答え」を受け取る場と考えられていますが、「問い」と持つ場でもあります。授業の後に調べたり、考えたり、場合によっては答えが出るまで1週間、1か月、1年と、かかるかもしれない問いです。
 子供たちの中には、その瞬間に「答え」ではなくさらに「唯一の正解」を求める人がいます。(大人もです)
 ですが、正解を出すのは受講生です。
(職場の技術研修であっても、「教えてもらったこと」と「できるようになったこと」にはずいぶん開きがあるものです。受講目的は、「できるようになること」です。)

 受講すれば終わりではなく、受講してからが学びの時間です。
 学びのために講師に協力してもらいましょう。
 講師は、そのような協力をして、あなたが自分の答えを出すまでに関われたことを幸せに感じているものです。

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