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クリスマスの日、唐突に猫が亡くなった。

クリスマスの日、唐突に猫が亡くなった。
祖母が施設に入るタイミングで、引き取ってきた子だった。


名をニャンニャンという。祖母が付けた名前をそのまま使っていた。今でも、なんて安直な名前なんだと思う。その分、なんだか愛おしい。

パワフルな雌猫で、凄みのある顔をしていた。野良からそのまま祖母の家に転がり込んで来た子で、多分ボス猫だったんだと思う。そうじゃないと説明できないくらいの迫力があった。

私が函館のとなり町の七飯町に、移住(育った家なので厳密に言えば里帰り)したのは7月末。ニャンニャンが家に来るのは8月半ばだった。それまで、苫小牧市社会福祉協議会の「犬・猫一時預かり事業」を利用させてもらった。市としては初の試みらしいが、移住までの猫の負担がかなり軽減できたと思う。大変お世話になった。

この一時預かりの前後に、動物病院にかかり、ニャンニャンは猫エイズということがわかった。猫同士の血みどろのケンカなどで、うつる可能性がある病気である。そうなると、先住猫と住まわせるかどうかが問題となる。夫との議論の結果、ケージに入れたり生活圏内を分けるなどして様子を見ようという話になった。

8月半ば。福祉協議会の方から引き渡されたニャンニャンは、ケージの中で不定期に「ナーオ!ナーオ!」と鳴いていた。その日は、祖母が施設に入る当日。車椅子の祖母に、ニャンニャンを見せながら、しっかり私と夫でお世話するからねと見送った。

そのあとすぐに、苫小牧から七飯町まで、休憩時間も含めて6時間ぐらいのロングドライブ。無事、我が家にたどり着いた。


先住猫もいるため、最初はケージの中で、2週間ぐらい過ごしてもらった。

ニャンニャンはよく響くダミ声で、1階から2階まで届くラウドボイスの持ち主であった。絶対にボス猫だったと思う。そうじゃないと説明できない。

特に序盤、元の家が恋しいのか、「ナウワーオ!」「ナウワーオ!」と、特に夜は頻繁に鳴いていた。ニャンニャーン!と表記できれば名前の通りで可愛いのであるが、ナウワーオ!としか表記できないような、ドスのきいた声だった。

ニャンニャンと一緒に暮らすのは難なくできた。先住猫とも穏やかに距離を保って、ときには互いにじゃれつつ、うまくやっていた。人が好きなようで、全然ビビらない。ソファの真ん中の席は、彼女の玉座となった。テレビやYouTubeを見る私と夫のどちらかによく撫でられていた。ソファやベッドで人が寝ていると、そっと添い寝してくれる。

おもちゃで遊ぶと動体視力の良さで機敏に反応し、ドタバタと1階の床を鳴らしてドリフトしていた。

食いしん坊で、先住猫の分の餌を奪うほどのハングリー精神。ちゅーるは2本連続でペースを落とさずに食べる凄腕フードファイターであった。

12月半ばごろから熱がでてぐったりとするようになり、毎日のように動物病院に通っていた。とはいえ、血液検査の結果は、8月の数値と比べれば上々。病院に数日通ううちに熱も多少下がり、小康状態となり、ご飯も食べられるようになっていた。

そんな折のクリスマス当日。買い物から帰ってきた私と夫を迎えたのは、まばたきをしない、ひとつも動かない、ニャンニャンの姿だった。


まだ温かかったので、急いで動物病院に行く。お医者様に見てもらうものの、そのときにはすでに帰らぬ猫になっていた。

あと何年も一緒に暮らすつもりだったのに、どうして。

姿を見ているとまたひょっこり動き出しそうだった。翌日朝、夫と雪道を乗り越えながらペット斎場に行き、お経を上げてもらい、小さな骨を壺に収めた。


身近な存在の死を直接目にして、私は震え上がっていた。誰にでも来るものではあるし、致し方ないものではある。とはいえ、死は、こんなにも準備のないところにも来るのか。

ペットロス関連の書籍や記事もいろいろ読んだ。どこかで見て印象的だったのは、悲しみは、これまでの習慣の中にトリガーがあるということ。悲しみを長期化させる要因はいくつかあって、自分に悔いが残っている場合はもちろん、これまでの生活をそのまま続けていることもそのひとつだという内容だった。

これまでの生活通りではないものに触れることが大事だと思った。

とはいえ、ニャンニャンのことをきれいさっぱり忘れてしまいたいと思っているわけではない。大事な家族の一員であることは今後も変わりない。

ただ多分、私が悲しみ続けることを、ニャンニャンは望んですらいないと思う。

クリスマスの直後、寝ぼけながら大声を出して、夫を起こしてしまった。思った以上に私の中でショックが渦巻いているなと思う。先住猫は健在だけど、暗いところなどで瞳孔が開いているときはドキッとしてしまう。

死とそれにまつわる恐怖や悲しみは、生活のあらゆる場所でいつでも手招きしている。

悲しみと前向きに付き合っていくためにも、私は変わっていかなければならない。新しい習慣を作っていかないと、辛さで一歩も前に進めないと思う。


新しい習慣を作ること。思ったより難しそうなこのテーマで、2022年を進んでいきたい。まずは捨てることや、新しい領域に飛び込むことをやっていきたい。オープンな姿勢で新たなことを受け入れていくなかで、彼女との日々を笑って思い返せるような気持ちになれたら。

まだまだ気持ちが落ち着いているわけではないけれど。ニャンニャンと過ごした日々は、嘘みたいに濃密だった。また会ったら絶対おもちゃで散々遊んでやるんだ。ちゅーるもあげよう。そのときまで待ってろよ。大好きだぞ。

サポートされたら、おいしいお菓子を買ってさらにしあわせになっちゃうな〜