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コーアクティブ・コーチング®と身体知

 2021年より社内研究活動として発足した「身体知プロジェクト」では、身体知性を通して「人間の可能性」や「コーアクティブ®の可能性」を追求しています。プロジェクトチームによるこれまでのさまざまな体験や対話から見えてきた「コーアクティブ・コーチング®と身体知」についての現時点での見解と仮説を、以下のようにまとめました。

※本記事は、2024年3月末付けで(株)ウエイクアップ・身体知プロジェクトチーム(久慈 洋子、青木 聡美、伊藤 貴子、岡本 直子、風晴 恵一)がまとめたものです。


1.意識レベルの変化と身体知

 コーアクティブ・コーチング®(以下、本記事でいう「コーチング」は全てコーアクティブ・コーチングを指します)は、コーチとクライアントの協働関係によって、クライアントが「本来の自分」「内なるリーダー」とつながり、本質的な変化を起こすことを目指すものである。

 本質的な変化とは、「意識の変容」であり、inside-outのように内側の変化がその人のあり方や、行動に変化をもたらすことをコーアクティブ・コーチングでは「本質的な変化」といっている。

 ふだん、私たちは、社会に適応し、その中で生きて行くために、周りの期待に応え、自己を守るための鎧を固めている。
 「本質的な変化」のためには、今の自分を鎧っている「自己防衛の砦」を打ち破る必要がある。ただ、この「自己防衛の砦」は、日常生活や仕事上での判断や行動のもとになっていて、それを手放すことは、本人にとっては非常に怖いことであり、この「砦」を守るために脳はフル回転して正当化しようとする。
 しかし、このレベルにとどまる限り、人は、本当に自分がやりたいことをやり、自分がいたい姿でいるという、自分の価値観に沿って生きることは難しい。
 本来の自分を押し殺し、周りに合わせて生きている状態から脱し、本来の自分、本当の自分を開放するフェーズやさらにその上のフェーズに意識を進化させることが、コーアクティブ・コーチングの目的である「本質的な変化を呼び起こす(Evoke transformation)」ことである。

 それは、ボブ・アンダーソン*の言う「成長のステージ」における

 “社会適応・反応/リアクティブな(反応的)自己”から“自立・創造/クリエイティブな(創造的)自己”やさらにその上の“統合/統合された自己(インテグラル)”へ

*ザ・リーダーシップ・サークル®創設者、ボブ・アンダーソン著『リーダーシップの精神』より要約抜粋

 と意識を進化させることと同じであると私たちは考えている。
 
 この、表層的な自分から本質的な自分へ、というプロセスをサポートする1つの手段が、コーアクティブ・コーチングである。

 新たなものを生み出すには、既成の認識枠をはずして、それを広げたり飛び越えたりする必要がある。そのためには、視点の変換、今までとは違う見方、着眼が大切な働きをする。それができるのは、頭ではなく、身体である可能性がある。

 諏訪 正樹*は著書の中で、以下のように述べている。

“クリエイティブであるために必要なのは、常識的なものの見方や固定的な考え方(以降、「考える枠」と呼ぶことにする)に縛られずに枠を飛び越えて飛躍することだ”
 中略
“通常は枠内だとは思えない観点やものごとへの「着眼」が、「考える枠」を飛び越える際の鍵を握る。クリエイティブは身体知であり、着眼行為は身体の発露として行うのだ”
 中略
“身体で世界に触れた心持ちになれば、それまで想定外だったことにも、ふと着眼することがきる”

*諏訪 正樹  『身体が生み出すクリエイティブ』より引用

 また、前野 隆司*は、1980年代にリベット博士**が行った実験をもとに、「受動意識仮説」を提唱している。

 リベット博士は、被験者の脳の随意運動野に電極を取り付け、「指を動かしたい」という気持ちになったときに指を動かしてもらった。すると、「指を動かす」意図が脳に生じる前に、無意識下の運動準備電位が生じることがわかった。つまり、脳が指令を出す前に、すでに無意識に指を動かすための準備が始められていたのである。
 「受動意識仮説」とは、「指を動かす」ということはニューラルネットワークの自律分散処理がやっていること(つまり、無意識)であり、意識はそれを「自分でやった」と錯覚している、というものである。つまり、頭(意識)がすべてを決定し指令する、というのは錯覚であるというわけなのだ。

*前野 隆司 『脳はなぜ「心」を作ったのか』より要約抜粋
**Benjamin Libet :生理学者。カリフォルニア大学医学部教授

 さらに、尹 雄大*は、著書の中で以下のように述べている。

“体感を否定した上で、慣例や常識を持ち出して正しさを定義すると、頭のほうは「そういうものか」と納得してしまう。だから体に「これが現実だ。受け入れろ」と命じるが、体の方が頭よりも現実を知っている。腹が減っているときにどれだけ「我慢しろ」と自分に言い聞かせても腹は鳴るし、やる気は失せる。体は違和感だったり、「なんとなくいい感じ」といった感覚で実情を教えてくれるのだ。
 決まりきったメッセージを実行する。それが人生を送ることだ。そういう考えを疑いもしなくなっている暮らしとは、実のところ頭が思い描くイメージの枠の中に体を追い込むことでしかない。その結果、体はどんどん強張っていく。頭と体のあいだで自分が板挟みになり、やがては緊張の度合いの高まった体として日常を送る。それが現実なのだと思い込んでしまう。
 中略
“頭の固さで体が染められてしまうと、自分が緊張しているかどうかもわからなくなる。そのため、現実とは「頭の理解の範囲」のことだという誤解も訂正されなくなる。” 

*尹 雄大 『体の知性を取り戻す』より引用
 (身体知プロジェクトチームにて、特に強調したい箇所を一部太字にしました。)

 コーアクティブ・コーチングとは、クライアントの「囚われ(すぐに陥りやすい認知枠組)」をはずし、今までの枠を超えて、違う視点から人生を見直し、新しい自分(視点、スタンス、方向性など)をクリエイトできるようにサポートするプロセスともいえる。クライアントがクリエイティビティを発揮するためには、上記に述べたように、頭(思考)だけではなく、身体感覚が不可欠である

 本プロジェクトでの「身体知」の定義は、以下のとおりである。

 身体知とは、身体の感覚を通して認識されたもの。身体に根ざした知であり、周りのスペースとも影響し合うものである。

 身体で何かを「感知」してその体感に向き合い、体感の微妙な違いや類似性を感じてそれをどうコントロールするか、といったことも加わったものを「身体知」と呼ぶ。

2.コーアクティブ・コーチングで起こっていることと身体知

 コーアクティブ・コーチングにおいては、自分を守るために蓋をしていたものを、好奇心を持って「見に」行く。そのときに、頭で「見に」行こうとすると、脳は「いつものルーティン」どおりに動きがちなので、新たな発見にはつながりにくい。もちろん、自分を守る蓋は開けたくないという意識も働いてしまう。
 コーチング場面では、そうならないために、身体感覚にフォーカスすることで、「今、ここ」に集中しようとする。頭で「考える」のではなく、身体で「感じる」ことで、いつもは蓋をしていた自分の中に降りていくことを可能にする。

 身体感覚に意識を注ぐ(フォーカスする)ことで、思考を手放すことが容易になる。思考は、今までの自分を形作ってきた認知特性であり、自分を守ると同時に限界も作ってきた。その思考を手放すことで、新しい物事の見方、違う視点が入りやすくなる。それが、今までの人生を見直す、ということにつながる。

 身体感覚は、言葉がないだけに、世の中・社会の常識や知識の影響を受けにくい。それだけ、本来の自分に近いものだと言える。
 コーチングでは、その、自分自身の身体感覚に耳を傾け、さまざまな問いを通して、自分の身体の上に、自分なりの知を組み立てるという作業を行う。そのときには、自分の身体や生き様にとって相性のよい、何かしらの引っ掛かりを憶える視点(着眼点)だけが選択され、それが、身体表現、あるいは言葉として表出される。
 その身体感覚から出てきた新しい身体表現/言葉が、身体とそれにつながる自己を変容させる。

 クライアントが身体感覚にフォーカスしているとき、コーチは、「それはどんな形?色は?温度は?質感は?大きさは?」と、さまざまな着眼点を投げかける。それによって、クライアントは、自分だけでは意識しなかった感覚の次元を意識し、「今にいる」身体感覚をゆたかに味わい、頭だけで考えていたときの「枠」を超えて、違う視点やスタンスに近づくことができる。
 一人ひとりがもつ身体感覚の着眼点(視点)は、限定的だが、コーチとの対話を通して別の着眼点(視点)を得て豊かになり、理解が一層深まる。そしてコーチもまた、クライアントとの対話を通して、自分自身もクライアントの身体感覚を共有する。
 このように、身体感覚は、個人のものであると同時に、その感覚を相手と共有することもできる。それは、自分と相手の間にある、“相互主観性”ということもできよう。
 (→3.「スペースボディ」という概念の提案 参照)

 そして、身体感覚で「今にいる」ことから、同様の身体感覚で「これからどうなりたいか」に移行することができる。
 そのステップを詳述すると、以下のようになる。

① 「今」を、とても具体的な身体感覚で味わう:受動的
②  その「今」の姿を、身体表現する(言語はなし):能動的
③ 「今」の姿から、これからなりたい姿へと身体表現する(言語はなし):能動的
④ その「これからなりたい姿」でいることの身体感覚を味わう:受動的
⑤ それを、言語化/表象化(ストラクチャー化*)して、記憶にとどめる:能動的

 *ストラクチャー化:身体感覚/表現と一体化した、その感覚をすぐに想起できるアイコン、言葉にすること

 上記のように、身体感覚と言語(言葉)、受動と能動を行き来することで、新たな自己についての発見、智慧が生まれる。
 コーチングにおいては、コーチとのやりとり・対話が、①~⑤のプロセスを促進・活性化し、さらに深く幅の広いものにしていく。そのコーチのやりとりには、言語だけでなく、身体表現が含まれる。

 ①~⑤のプロセスでも、身体感覚と言語の間に、「身体表現」があることが大切である。身体感覚は受動だが、身体表現は能動であり、言語化できないけれども自分の中にあるものを表出するという、大きな役割を担う。
 身体感覚の感知 ➡ 身体表現による表出 ➡ 言語による定着化
というプロセスを通ることで、直感的にひらめいた新たな気づきを意識化して自分の智慧とし、またそれを他者と共有することが可能になる。

 大事なこととして、他者と共有するときに、身体感覚は共有できないが、身体表現は共有できる、ということがある。言語以前の、意識下にあるものでも、身体表現として同じ動きを他者と一緒にすることで、他者が感じた身体感覚まで感じられる気がする。
 その意味で、「身体知とは、身体感覚と、身体表現の2つからなる」といえよう。

3.「スペースボディ」という概念の提案

 コーチングにおいて、コーチとクライアントの身体感覚が同調して、同じ身体感覚を共有する空間が存在することは、よく経験される。
 この空間のことを、「スペースボディ」という言葉で表現することを提案する。

 この「スペースボディ」は、次の3つのレベルに分けて考えられる。

①パーソナルスペースボディ
 個人が身体で感じるものを受発信する空間

②協働関係スペースボディ
 2者間(コーチとクライアントのように)で、お互いが身体で感じているものを共有し、影響を与え合う空間

③ソーシャルスペースボディ
 3人以上の人々が身体で感じているものを共有し、影響を与え合う空間

 ②協働関係スペースボディについて、コーチングの文脈で詳述してみよう。
 コーチングにおける「意図的な協働関係づくり」とは、スペースボディの概念を使うと、以下のようなことになる。

 意図的な協働関係を創るためには、コーチはクライアントのパーソナルスペースボディから発信されるクライアントの持つ身体感覚を、自分のパーソナルスペースボディで受信する。そのとき、2人の間には、協働関係スペースボディがつくられ始める。コーチが投げる質問によって、クライアントの身体感覚はふくらみ、それに響き合ってコーチの身体感覚も変化し、それに伴って常にそして瞬時に協働関係スペースボディの形が変化し続ける。

 目の見えない人とのコーチングの場では、聴覚が非常に研ぎ澄まされるため、身体が溶け合う感じがより強くなる。

 桜井章一*は

"耳で見る”

*桜井 章一 『体を整える ツキを呼ぶカラダづかい』

 という表現をしているが、目を閉じて耳を澄ませると、全身の感覚がスッと立ち上がり、クライアントのスペースボディがコーチのスペースボディとつながって協働関係スペースボディが形成される感じがよくわかる。 

 身体感覚は大変パワフルであり、自分を鎧っていた規制枠をはずすことを可能にする。よって、この協働関係スペースボディが、コーチングの質を大きく左右する。

 また、③ソーシャルスペースボディはチームや職場など、複数の人々が共有する場において互いに響き合う身体感覚からなるものである。これは、システムコーチング®*の世界において、大きな意味を持つ。
 *「システムコーチング®」は、CRR GlobalおよびCRR Global Japanが所有する登録商標です。

 人間は、踊りのように、他者と身体を同調し共鳴することで連帯感が生まれることが知られている。身体の共鳴を通して心を1つにすることで、一体となって危険や恐怖を乗り越える、という集団の力、社会力が人間社会に生まれた。
 うまくいっているチーム、よい雰囲気の職場には、このようなソーシャルスペースボディが存在していると考えられる。  

 量子力学の世界で、カルロ・ロヴェッリ*は、以下のように述べている。

“世界は絶えず相互に作用しあっている”
 中略
“現実は相互作用の網なのだ”
 中略 
“対象物は、その結び目(ノード)なのである”

*カルロ・ロヴェッリ『世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論』より引用

 そして、「量子もつれ(エンタングルメント)」について以下のように述べている。

“この現象では、遠く隔たった二つのものが、あたかも語り合っているかのようにある種の奇妙なつながりを保つ”
 中略
“自分の身体のすべての原子が、この銀河の至るところに散らばっている何百万もの原子とエンタングル状態にある……ということは、自分は宇宙と結びついている”

*カルロ・ロヴェッリ『世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論』より引用

 仏教の「色即是空」にも示されているように、この世の万物の本質は空であり、その形は仮のもので、独立した存在ではありえず、ほかのものとの関係として存在する。つまり、すべてのものは、相互作用の網の中にあるといえよう。

 よって、この世界を探索し、理解を深めるためには、身体を用いて、ほかの人や事物と作用しあうことが必要である。すなわち、身体感覚を用いることが、新たに世界との関係性を創り出すことになる。

 身体は、周りのエネルギーと影響し合っている。相手からもたらされるエネルギーを感じて、それを自分の内側まで受け入れた後、そこに自分のエッセンスをのせて相手に返す。そのやりとりによって、お互いの間のスペース(協働関係スペースボディ)は広がったり狭くなったりし、またその色合いや温度も変わる。
 それが、コーチングにおける身体感覚にフォーカスした対話のプロセスであるといえよう。

 コーチングの中で、コーチとクライアントは繋がっていて、対話という相互作用により、お互いを映し合う。そこから光が放たれ、その光がスペースボディに放たれ、それをコーチとクライアント双方が、それぞれの視点や身体感覚で感じ取っている。そして、その感じ取ったものを、再び相互作用しあう。それによって、光の状態は常に変わっていく。
 (【参考資料:スペースボディのイメージ】図2−2参照)

 それが可能になるのは、ミラーニューロンのおかげかもしれない。
 人は、会って相手の行動を見た瞬間に、無意識のうちに相手の視点に感情移入できる能力がある。見た瞬間に相手の気持ちが分かるし、何かが起これば、すぐに一緒に動ける能力がある。それは身体的な共振、共感であり、相手に感情移入し、相手の視点になりきることができる。

 コーチは、クライアントの行動をまねて、共体験し、その動きの中で発生している感情を口に出す(言語化する)ことで、クライアントの持っている“暗黙知”を、“形式知”化して、クライアントが、より深くそれについて考えることができるようにする。

4.身体知の智慧

 我々が日常、世界を見るときは、純粋に感覚情報をそのまま入れているのではなく、我々が既に知っている「認識枠組」に沿って見ている。それは主に、言語と論理によって築かれている「認知枠組」である。

 ところが、身体感覚は大変パワフルで、自分を鎧っていた規制枠組を一瞬にして壊す力がある。私たちが、アート作品などを見て「すごい!」と感じる感覚は、思考ではない。論理的に、「ここがこうだからこうすごい」と思うのではない。頭ではなく、心、魂に直接響くものを、「すごい」と感じる。
 これは、自分の中にある集合的無意識、人類全体や宇宙につながる感覚かもしれない。

 コーチングにおいて、自分自身の内側に深く意識を向ける「より深いレベル1」*は、「レベル3」**につながる。身体感覚として、物理的な身体はなくなり、何かの周波帯、宇宙につながっているような感覚が生まれる。
 *「レベル1」とは、自分の意識を自分の内側に向ける傾聴レベル
 **「レベル3」とは、自分の意識を自分も含む周りのスペースにソフトフォーカスで向ける傾聴レベル

 自分の身体の中に、本当の思いを「取りに行く」と、感覚としては、自分の周りの空間も含め、もっと宇宙とつながってそこに「取りに行く」感覚になる。
 宇宙は壮大な循環のシステムであり、人間を含めて、すべて循環という流れの中でつながっている。その循環の中に身をゆだねてみると、自分の身体は“通過膜”に過ぎず、その向こうに宇宙が広がっている感じになるのかもしれない。
 (最新の研究によると、宇宙からの素粒子は常に降り注いでいて、私たちの身体にも降り注ぎ、そして通過しているらしい。その意味では、私たちは、本当に、直に宇宙とつながっていることになる。)

 その身体感覚になるには、たとえば、次のようなやり方がある。
●  ダンスなどで、何も考えずに踊り続けることで、感覚が研ぎ澄まされる。
●  瞑想する。
●  耳を研ぎ澄ます。空気の微細な動きも聴けるほどに、今に「居続ける」。

 つまり、自分の身体の感覚を研ぎ澄ますと、その身体が器となって、そこにあるスピリット、魂が、周りのもの、宇宙とつながり、溶け合う。
 そのときに大事になるのが、「自分を整える」ことである。
 自分を整えて、良い状態にすることで、そのときに必要な最良のパフォーマンスが自然に発揮される。
 そうなることで、周り/宇宙から来るものを「受け取る」力が高まり、同時に周り/宇宙に「発信する」力が強まる。

 自分を整えるときに、関係してくるのが、肚/丹田である。肚/丹田は、エネルギーが動き出す場所、動くためのエネルギーの源、といわれている。また、「肚を据える」のように、身体のまとまりの象徴、重心を指し、「本当の知性のありか」はここかもしれない、とも言われる。
 肚/丹田に気を集めることで、身体中のネットワークがつながる。そこが身体全体に流れる気の起点であり、「ゼロポイント・フィールド」ともいえる。

 丹田の場所は、臍から一寸くらい(指3本分)下、と言われるが、身体のある特定の箇所を指すというよりは、エネルギーの源であり、流れ/循環の起点という感覚であろうか。丹田に「気を集める」ことによって、全身が脱力・開放され、ゾーンに入る感覚が生まれる。 

 丹田に気を集める、という行為は、一見静かで動いていないように見える。しかし、その実態はものすごいエネルギーの動きがそこにある。
 たとえて言うなら、「ちはやふる」という神の力に似ているかもしれない。「ちはやふる(千早振る)」とは、一見静止しているように見えるが実は高速回転して、ものすごいエネルギーが放出されているコマのような神の力である。
 (ちなみに、これに対する「あらぶる(荒ぶる)」とは、あちこち動きながら、四方八方にエネルギーを放出する神の力をいう。) 

 そして、この丹田は、個人の身体のネットワークの結点(node)であるだけでなく、ここを介して、相手の丹田につながる、つまり協働関係スペースボディ、ソーシャルスペースボディにおける「結点(node)」に相当するのかもしれない。

5.日常で「身体知」を意識する

 周りのものすべて、宇宙、そして自分の中にある「集合的無意識」とつながりやすくなるのは、自分が「開いている」ときである。

 自分の鎧を手放して、芯の自分だけになる。
 「つながろう」ではなく、むしろ「何もしない」。
 自分の意識、意志が出てくると、つながらなくなる。
 自分が「開いている」と、受け取り、溶け合う。
 他者/周り/宇宙の、言葉になっていない声が、溶け合った瞬間にわかる。

 もちろん、日常生活の中で、自分を守るために「自我」は必要である。開きっぱなしでは、何が入ってくるかわからないのだから、防衛本能が働いて、むやみに「開かない」ようにするのは当然のことである。
 安心して「開く」ためには、その場が安心・安全である必要がある。

 「開く」ために必要なのは、以下のようなことであるようだ。

● 余分な力を抜く
 桜井章一*は著書の中で以下のように述べている。

“動きが流れているとき、カラダには力がはいっていない”
 中略
“「~しよう」という目的意識を持つと、カラダの動きは途端に流れなくなってしまう”
 中略
“カラダの力を抜くということは、力みを加減して調整するという方向のものとはまったく違う。カラダのいろいろなところを柔らかく動かすことで、潜在している力が全身に散って一気に活性化してくるような感覚である”
 中略
“理想的なカラダの動きとは、繰り返しいうように、力がどこにも入っていない柔らかな動きである”
 中略
“カラダが柔らかいと血液やリンパ液といった体内を循環しているさまざまなものが滞りなくスムーズに流れる。”
 中略
“自然界は壮大な循環のシステムでできている。水、土、空気、風、太陽の光、そして生物の連鎖……、すべてが循環という流れの中で繋がっている。いうまでもなく人もその中の一つである。外の循環と同調するようにカラダも心も循環させることが、生物としての人間の本来の在り方である。”
 中略
“緩んだカラダというのは、柔らかな自然な状態にカラダがあるということ。それは頭や精神の柔らかさにも通じることである。"

*桜井 章一 『体を整える ツキを呼ぶカラダづかい』より引用

● 呼吸
 自分の呼吸に意識を向ける。自分の呼吸と周りのもののリズムを合わせる。
 宇宙、空気を自分の中に入れ、出す、ということで、自分が周りとつながり、流れにのり、循環する。

● 意識の外在化。自分の意識を手放して、意識を外に放つ。
 意識を「外に出す」ことで、身体の一部ではなく全体を使えるようになる。
 古武術における意識の外在化の訓練に、ボールを掌に乗せてすっと下にしゃがむ、というものがある。自分の意識をボールの方に移し、自分の身体ではなくボールだけに意識を向けると、身体が自然にスッと動く。
 
 桜井章一*は著書の中で以下のように述べている。

“目的意識を持つと、カラダが硬くなり、不自然なぎこちない動きになる。だが、動作する一瞬先に意識を飛ばすと、目的意識からカラダが解放され、流れるような滑らかな動きが可能になる”

*桜井 章一 『体を整える ツキを呼ぶカラダづかい』より引用

● 耳を澄ます
 桜井章一*は著書の中で以下のように述べている。

“耳というのは実際、目以上に動くものの気配を敏感に察知する。”
 中略
“耳を澄ますと全身の感覚がスッと立ち上がって敏感にさまざまなものをとらえることができる”

*桜井 章一 『体を整える ツキを呼ぶカラダづかい』より引用

 コーチングにおいても、コーチは、「自分」を手放し、自分という器を空っぽにすることによって、クライアントが入ってくるスペースを十分に空けておくことが大切となる。

 以上、コーチング、特にコーアクティブ・コーチングにおいて、なぜ「身体知」が重視されるのかについて、その理論的な背景について考察してきた。
 この考察をもとに、さらに今後、身体を含むすべてのリソースをフルに活用するコーチングの意味について、探求を重ねていきたい。


【提案資料:スペースボディのイメージ】

<個人の身体知とパーソナルスペースボディ>
【図1】

 コーチング前、コーチもクライアントも、図1の黒のドットで表現される体を持って存在する。その身体知を生かす、すなわち個人が身体知で感じ取って受発信することで、黒のドットの振動数が上がりその密度も変化するイメージを持ってもらいたい。

 青い影は、粒子の波のように常に膨らんだりしぼんだりするように発生するエネルギーを表しそれを「パーソナルスペースボディ」と呼ぶこととする。

 各自のパーソナルスペースボディの状態によって、身体知性で受発信するものの質も量も変わってくる。

 例えば、感覚が開き明晰で集中している状態の場合、ものごとがすんなり運ぶケースなど。
 
<協働関係の身体知(協働的身体知)と協働関係スペースボディ>

【図2-1】

 コーチングにおいて、コーチとクライアントの身体感覚が同調して、同じ身体感覚を共有する空間が存在することは、よく経験される。

 コーチング開始後、コーチとクライアントの身体知で感じとって受発信する、すなわち双方が手を伸ばし合って創ることで「協働関係スペースボディ」は、現れ始める。以下の図2−1のように、コーチ、クライアントそれぞれの身体知を通してスペースボディに影響を与え(青い矢印)、そこから受け取る(赤い矢印)。
 その中で、お互いが協働関係の身体知(協働的身体知)を感じ、コーチとクライアントは協働関係スペースボディを介してやり取りを続けることになる。

【図2-2】

 コーチング中、「協働関係スペースボディ」の形は、膨らんだりしぼんだり常に変化している。図2−2のように、色合いや、形や大きさも変化し続ける。そして、コーチとクライアントの間にあるだけではなく、コーチとクライアントを包み込むほどに大きくもなる。

 コーチとクライアントが協働関係スペースボディに発するもの(矢印)にも様々な形や色があり、それが協働関係スペースボディにも影響をもたらす。この際、協働関係スペースボディは、図の薄水色や黄色が示すように粒子の波のように常に変化している。

 そして、協働関係スペースボディの状態により、コーチとクライアント双方(特にクライアント)が協働関係スペースボディから身体知で感じるもの、受け取るもの、持ち帰るものが変わってくる。

【図2-3】 

 コーチングの関係(協働関係)が上手くいっていない瞬間は、協働関係スペースボディの存在が薄まり、今ひとつ力を孕んでいない状態と言え、クライアントの本質的な変化もそれに準ずることになる。
 その場合をあえて表現してみると、図2−3のように協働関係スペースボディがコーチとクライアントから少し外れたところにある。

 コーアクティブ・コーチングでいうところの、意図的な協働関係を創ることは、意図的に協働関係スペースボディをデザインすることと同じである。実は、身体知を用いてそれを行っている。
 身体知を用いることで、協働関係スペースボディにおいて、礎を含むコーアクティブ・モデルをより強く体験することができる。
 コーチは協働関係スペースボディの状態に意識を向けながらコーチングをしている。

<ソーシャルスペースボディ>

【図3】

 図3のように、複数の人々が共有するものとしてソーシャルスペースボディがある。それぞれの人々の身体知がスペースボディを通してお互いに影響を与え合っていると言えよう。
 
 各個人のパーソナルスペースボディが身体知を通して強化されることで、ソーシャルスペースボディに及ぼす影響も無限になり得ると信じている。


【参考文献】

カルロ・ロヴェッリ
『世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論』
NHK出版 2021年
 
甲野 善紀、前野 隆司
『古の武術に学ぶ無意識のちから』
ワニ・プラス 2019年
 
甲野 善紀、林 久仁則
『古武術に学ぶ体の使い方。』
NHKテキスト“趣味どきっ!” 2022年
 
甲野 善紀、方条 遼雨
『身体は考える』
PHP研究所  2023年 
 
桜井 章一
『体を整える ツキを呼ぶカラダづかい』
講談社 2012年
 
諏訪 正樹
『「こつ」と「スランプ」の研究』
講談社 2016年
 
諏訪 正樹
『身体が生み出すクリエイティブ』
ちくま書房 2018年
 
野中 郁次郎
『身体知こそイノベーションの源泉である(インタビュー)』
ハーバードビジネスレビュー ダイヤモンド社 2021年
 
前野 隆司
『脳はなぜ「心」を作ったのか』
ちくま文庫 2010年
 
尹 雄大
『体の知性を取り戻す』
講談社現代新書 2014年


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