投票率、分断、祭り、未来を願うこと…

2021衆院選の投票前日の土曜。

表題のことについて…
ふわふわと考えていることを書いておきます。

明日の20時に、SoRaStars山崎さんとやってる「盛岡オープンラボ」で開票速報を見ながらのライブ配信トークをやるんですが、そのための自分の脳みそ整理用でもあり。
↓そのライブ配信用のチャンネル↓

(YouTubeライブで、チャット機能ONにしておくので、お知り合いの方々、明日の夜は一緒にワイワイしてくれたら嬉しいな!と笑)


日本の選挙の投票率

前々回、前回の衆院選の投票率って皆さん、知っていますか?

どちらも53%前後、といった感じです。

これが高いか低いか、ということもあるのですが、その世代別投票率の内訳を見てみると、いろんなことに気づかされる。

若者と呼ばれる20代の投票率は、平成5年からガクンと減って50%以下になり、平成24年からは40%を下回ったまま。前回から18歳に選挙権が与えられたのですが、そのときの10代の投票率も40%

そんな感じで「若者」の投票率の低さに注目がいきがちだと思うんですが、私的に気になるのは、40代の投票率の推移でもあって。

40代の投票率は、平成21年が72%だったのに対して、平成24年で59%、そこから50%前後へとこちらも一気に下落している。30代もそんな感じ…。

これは、平成前半~中盤に思春期・青春時代を過ごした、私と同世代~少し上の世代=日本的にいえばロスジェネ世代と呼ばれている世代でしょう。

「若者の投票率」と世の中的には煽られているけれど、人口ボリュームでいってもより人数の多いのはその30代後半~40代のロスジェネ(特に40代後半はいわゆる団塊ジュニア世代)で、その投票率はだいたい5割程度なんですよ。

いわゆる社会や地域の”担い手”の、現在~未来における中核のはずのこの世代で、半分が投票に行っていない。そして、この年齢層は「今の中学生~大学生たちの親世代」でもある。

「これってなんなんでしょうね?」

というのが、一緒に盛岡オープンラボをやってるSoRa山崎さんとの疑問点であって。昨日、それについて、アレコレと二人で考えていました。


地域内で見えてなかった「分断」

私も山崎さんもその世代層に入っていて、そして、盛岡という地方中核都市で、いわゆる”まちづくり”の活動に積極的に参加する方なので、自然と、自分の周囲には、「投票に行く人」が多いし、「SNS等で投票を促す人」もけっこういる。自分たちの周りはそうなんだけれど、実態として、同世代の半分は投票に行かない現実があり、その人たちの姿については、ぶっちゃけ、私たちは、ほっとんど、わかってないんじゃないか。。。

勝手なイメージなんですが、全体の10%ぐらいの人は「投票が大事だよね」「投票いこうね」的なモチベの人たち、30~40%ぐらいの人は「投票は普通は行くものかなー」という人たち。
それ以外の多数(つまり投票に行くことが当たり前じゃない人たち)については…なんかイメージが湧かなくなってしまっている。

おなじ街に暮らしていて目に見えない「分断」がある。

山崎さんと語ってる想定では「行かないのが当たり前なので、そんなもん」「政治的なことに期待をしていないので、冷めて見ている」といったところな気もする。
(稀に、”あえて投票にいかない”と公言する人もいますが、そこらへんの意識的に投票の棄権を選択する人は少数派かな、と思う)

投票行動に前向きな私たちがどれだけSNSなりグラフィックなりで「投票に行こうよ」と呼び掛けたところで、私たちの呼びかけ先は、もうすでに投票に行くことにしているような人たちなので…そういう気持ちをお互いに増幅して高め合っているだけ、、、というか。


身内だけで盛り上がってる「祭り」感

言い方が変なんだけれど、「お祭り」と似ているようなもんで。

「祭りに行こうぜ、踊ろうぜ!」と街でワイワイやっている、我々。

祭りに行ったら、それなりに盛り上がっている。

みんな(ウチら)踊ってるー!

と見える。

けれど、たぶん、その周辺に「今日は祭りかぁ、うるさいなぁ」「わたし、踊るの、苦手なんだよね、早く今日が過ぎてほしいな」「え、祭りなんてあったっけ?」「あ、そうそう、ウチの地域、あの祭りが名物なんだってね、知らんけど」…という人たちが過半数、という感じで。

この、分断

この分断がある中で。
「投票率が低いよ」と投票を呼びかけるだけじゃそれが上がる気がしないし、なんか大手メディアに至っては的外れで狂気的なワイドショーで終始してて、…モヤモヤを抱えての、2021衆院選、投票前日。

投票率が悪く、同世代の半数以上の人たちが「投票というアクション」に参加せず、そんな感じを繰り返していった先に……地域を支える担い手は減っていき、地域への無関心がさらに拡がっていき、これから私たちが好きな盛岡とか日々の暮らしの未来はどうなるんだろう…。

「政治に文句がある」というだけでなく、具体的な文句がないとしても「政治に関心を持つ人が増えたほうが、社会的に良い気がする」という考え方をする人にとって、そういう未来への危機意識がたぶんある。
だから、選挙があるんなら「投票自体、やることに意義がある。とにかく行こうよ。未来のために!」というメッセージになっていく。
でも…よくよく考えると、それでいいんだろうか?


この地域で「未来」を楽しみにしている人はどれぐらいいるのかな

山崎さんとの昨夜の話は、そんな感じで続いていきました。

そして、、、そう、上でポッと書いたことですが…
…”私たちが好きな盛岡とか日々の暮らしの未来”???
この、疑いようもなく、当たり前にスルーしていたこと。
これ自体に、問題の核心があるのかも?と思うようになり。

これって、「素敵な未来を考える」という気持ちに余裕がある、そんな人たちだけが持つ、ある種の幻想なんじゃないか????
と。

そういうエゴ?

上述した「祭り」の構造となんか似ていて、「投票率から見える分断」というよりも、分断の本質は、そこにあるんじゃないか??と。

これは仮説なんだけれど、投票に行っている同世代の半数ぐらいの人たちに共通するのは「素敵な未来を考えてる」そんな人たちなんじゃないかな、と。
その人たちが、未来を思うがゆえに、疑いなしに、自然と投票行動をする結果が、同世代投票率が40~50%もある、というポジティブな結果にもなっているかもしれない。
(投票に行かないことが当たり前の世界線から見ると)

投票率が上がる・下がる、というのは、たぶん”素敵な未来を願うという日常があるか”の結果なんですよ。

短期間の選挙戦という祭りのみで、その投票率というものを上げることが目的化しちゃってるけど。
違うんじゃないかなと。


投票率は短期の上げる目標ではなく、未来志向の人が増えているかどうかの結果としての「通信簿」じゃない?

「素敵な未来を考えている」という人が、街に増えれば、その結果として、投票率が上がるんじゃないの?

私たちが、選挙期間かどうかにかかわらず、本当に取り組むべきことは「素敵な未来を願う」そんなひとりひとりの気持ちがじわじわ広がることなんじゃないかな。
そしてそれは、分断の先にあるところまで波及させるほどの。

それがあくまでベースにあって、こういう選挙みたいなときに「色んな人が参加できる祭り」になって、投票率が結果、上がるんじゃないか。

踊る人、前列で見る人、桟敷席で見る人、屋台メシを楽しむ人、踊りガチ勢、ゆるく踊る人、祭りのリズムに合わせて木陰で身体を揺らしている人、祭りの衣装をつくることが毎年楽しみな人……
「踊る人だけの祭り」ではなく、みんな、それぞれが描く、祭り。

そんな雰囲気の

地域において、みんなそれぞれが描きたい、素敵な未来

それがあってこそ

投票率は、その結果、通信簿、的な


…じゃあ、そんな、それぞれのステキな未来を考えられるような街には、どうなったらいいだろう。そしてそれは…大前提として「自分たちが見えていない分断」をちゃんと越境することで

それを、選挙戦後の開票速報ライブ配信で、山崎さんとか、YouTubeライブのコメントや飛び入りで意見くれる人と、考えたいなーって思っています。

ぜひ語らいましょ!

***

余談

ローカルを盛り上げている…わたしの周りの知人・友人達に、「いや、地域のためとか、そんなこと考えていないから。楽しいかどうかが大事じゃない?」という考え方の人がたくさんいて、それもそれで素敵。そんな面白い人、カッコいい人、たくさんいる。
私も根本は、自分の人生を楽しみたいが一番。

でも、私自身は、そういう価値観とはちょっと違っていて、ほんとまあエゴなんだと思うけど、「盛岡が好きだから、盛岡が良くなってほしいし、そういう考えを持つ人が増えてほしいな!」という…、ここに踏み込みたいんだよな、、と。

***

まとまりがないけれど、そんな感じのことを、ここ最近、フワフワと考えていました。

以上。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?