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熊野古道を歩く(2日目)

  熊野古道近くにはいくつか温泉がありますが、今回は川湯温泉にある宿に泊まりました。目の前に流れる大塔川(おおとうがわ)には温泉場もあり、外国の方々が水着を着て入っていました。掘ると簡単に温泉が出る地帯だそうでして、流れる川の水に触れると暖かく感じました。
ここには鴨が1匹いまして、どうやらこの川岸に住んでいるようです。夕食を終えてから暗い中(と言ってもまだ19時過ぎ)、川や森の音を録音するべく歩いていると、「グワッグワッ」と鳴き声がしました。暗闇で目を凝らすと鴨が座って休んでいるのです。おそらく、こちらが気がつかずに不思議な距離感で近づいて来たことに恐怖して、自分の存在を示したかったのだろうと思います。普通なら逃げそうなものですけどね。こちらが気がつくと、その場で首を体に沈めました。どうやら眠り始めたようです。なかなかどうして、人馴れした鴨だと思いました。部外者はこちら、というわけです。
下の画像は朝に撮ったものです。

 音はいい具合に録れたかというとそうでもなく、虫のジーっという音がかなり入っていたので、調整しないと使えないなあ、なんて思いました。虫の音は好きですが、その場の全体の音を録りたい場合、距離感が重要です。
以前、ある場所で川の音を録音したことがありましたが、あまりに勢いがあるとあまりよろしくなく、録り方を間違えると生活排水の音とあまり変わらなかったりします。適度な距離と、他の、例えば森から聞こえる音などと上手くブレンドされると良かったりします。

 さて、翌朝。9時に宿からの送迎バスに乗って、本宮大社近くまで行き、荷物の一部をコインロッカーに入れてから、また同じバスで発心門王子へと向かいます。宿に戻るにも距離があり戻れないので、ロッカーに荷物が置けて、そこからまた目的地まで運んでもらえるのは嬉しいです。そういった意味でこの宿の計らいは有難かったです。王子とは、前回にも書きましたが、参拝ポイントでして、熊野権現の子どもという意味もあるそうです。
朝から雨が降ったり止んだりの繰り返しなので、完全防備で向かいました(笑)
 発心門王子から本宮大社に向かう次の水呑王子までは生活道路を兼ねているという話を運転手さんがアナウンスしていました。つまり、アスファルトで整えられた道です。アスファルトかあ……、なんて思っているとあっという間に発心門王子に着きました。外国人の家族と、日本人組が2組が全員降りました。発心門王子は中辺路という熊野古道の中の一つの道の途中になるのですが、発心門という言葉は聖域の入口を意味していて、熊野本宮大社の霊域のはじまりだそうです。
今回の計画は発心門王子から東の水呑王子に向かう前に、中辺路を西に進み、船玉神社に行ってから、また発心門王子を通り本宮大社に向かうというものです。バスを降りた方々はみなさん参拝されてから水呑王子の方へと向かっていました。

 船玉神社までは猪鼻王子を抜けて23分ほどで行けると書いてありましたが、実際に歩くと、40分はかかりました。こちらは発心門王子から水呑王子のルートと違って普通の山道です。しかも、途中は急な下りだったり、幅が狭かったりして、ちょっと気を抜くと崖から落ちそうなところもありました。その日の朝、新聞に中辺路のある峠から外国人の方が落ちて亡くなったという話を見たばっかりでしたので、歩いているルートはその峠ほどではなかったかもしれませんが、一応気をつけて歩きました。途中、猪鼻王子を抜けると、後は道と歩きやすい道となり、無事船玉神社に着きました。雨も相変わらず降ったり止んだりですが、嫌な感じは全くありませんでした。

 船玉とは新しい船を作ったときに施主が儀式をして、船底に祀る船の魂のことだそうです。また、船玉神社が熊野本宮大社の奥宮とする説もあるのだそうです。海の人たちに関係する神社が山にある、というのも、この熊野の地形に関係があるのだと思います。
記紀(古事記ら、日本書記)に出てくる熊野諸手船が熊野水軍のルーツという説も。

 参拝してから、元のルートに戻るべく発心門王子を目指します。帰りは必然的に上りが多くなるわけですが、1度歩いた道だからなのか、気持ちが幾分軽やかでした。発心門王子から下るときには、引き返そうかなとも思いましたが、思い描いていた熊野古道を堪能することができたように思います。途中、沢蟹やヒキガエルに遭遇しました。そう言えば、前の日に行った神倉神社のゴトビキ岩のゴトビキは新宮の方言でヒキガエルを意味するのだそうです。

 発心門王子から水呑王子への道は、確かにアスファルトでしたが、空気も澄んでいて、とても心地よいものでした。この辺りの地図は、わかやま観光情報のHPに載っています。
https://www.wakayama-kanko.or.jp/walk/nakahechi/pdf/tugizakura2.pdf水呑王子から伏拝王子に向かう道はいわゆる山道という感じになってきました。樹齢が長そうな木々を本宮大社に行くまでにいくつも目にすることとなります。画像はその山道への入り口です。

 この辺りも、思い描いていた熊野古道という具合で歩いていて気持ちが良かったです。テクテクと歩き、伏拝王子近くに来た時には11時半を過ぎていました。近くにコーヒーが飲める休憩所があるということで、そこでお弁当を食べようと思い行ってみたら、数十人の外国の方々が占拠されておりました(笑)席が空くのをしばらく待つことにしました。やがて、席の一角が空いたので、そこでお弁当を食べることに。お弁当は前日に宿に予約して作ってもらった熊野古道弁当というネーミングのものです。当初、買おうかどうか迷いましたが、おそらく途中でお腹が減るだろうと予測し、また700円という、観光地で買うお弁当にしては割にリーズナブルだと思ったので、購入しましたが、買って正解でした。なかなか美味しかったです(写真がない 笑)。そこのコーヒーは湯の峰温泉のお湯を使ったコーヒーということだそうでして、飲んでみると、マイルドな感じで美味しかったです。コーヒーが何のコーヒーか、ということを考えず、温泉の湯を使っている、というところに重きを置いて飲むといいかもしれません^^この辺りから大斎原(おおゆのはら)という、元々、本宮大社があったところが少し見えます。この日は土曜日だったということもあるのか、途中で団体さんとすれ違ったり、挟まれたりしました(笑)しばらく進んで途中道を外れると、大斎原の大鳥居が見えます。この大鳥居は近代的すぎる、という理由で世界遺産には入っていないそうです。確かに巨大で、とても近代的です。まあ、あそこに大斎原があるぞ、という目印という意味ではわかりやすいかもしれませんね。

 中辺路を歩き、休憩も入れて本宮大社に着いたのが14時前だったかと思います。着く前にの祓戸王子の近辺で、ブラタモリでタモリさんたちも通った、マネキン(顔のみ)が目に入りました。鳥除けなんでしょうか、夕暮れに見ると怖いかもしれません(笑)
 入ってしばらくすると八咫烏ポストが出迎えてくれました。



 熊野古道を歩いてきて参拝するというのは、なかなかいいものだなあ、と心の底から思いました。今回は僕にしては珍しく、本などで熊野のことを読んでから来ました。日曜美術館でも丁度、熊野に縁深い、踊り念仏で有名な一遍上人の絵巻のこともやっていて、勝手にシンクロしていると感じながらこの地に来たわけです(笑)
 いわゆる神仏習合以前から、この土地ならではの信仰があって、それらがうまく重なったといえるのかもしれません。
 しかし、本宮大社に着いたからといって目的を達したわけではありません。本来、本宮大社があったところを訪れなければなりません。そこがどこかというと、先ほどから書いている大斎原です。今の本殿から階段で下り、道路を渡って川の方へと向かいます。
 もともと、この大斎原に社殿、楼門、神楽殿や能舞台があったのですが、明治22年(1889年)の8月に起こった大水害で社殿の多くが流出し、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座したそうです。参考文献によると、同じ場所に作ろうとしたようですが、許可が出なかったようです。熊野は独特の文化で、かなり力を持っていたようでして、鎖国しているときも、どうやら他の国々のものがいろいろと入ってきていたという話もあるようです。

 周りは水田で、左手には熊野川が流れています。この熊野川は新宮の方へと続いています。鳥居は本当に大きいです。春には桜が咲いて、また違った景色が見られるそうです。
 この鳥居を潜ると、道が続いていて、元々大社があったところへと行けるわけですが、そこが何とも素敵な場所でした。ここに大社があったところを見たかったと思いました(撮影がNGと書いてありました)。
 中には一遍上人の碑もありました。下記、本宮大社のリンクです。
一遍上人と本宮大社
 一遍上人の踊り念仏がどんなものだったのか、ネットやテレビでやったものを見ましたが、結構テンポが遅かったのが印象的でした。舞楽ではないですが、とてもゆったり。どうも、現代人だからなのか、バリ島のジェゴグなんかを想像していたのです。でも、もしかしたら、そういうものもあったのかもしれません。基本、念仏というのはトランスですから。 

 少し脱線しました^^;
 自然が素晴らしい、と一言で言うつもりはありません。基本的に田舎道でも何でも、それは人の手が入ったものですから。しかし、熊野はそんな中でも、自然と人間の関わりありというか、ブレンド具合が絶妙な気がしました。なんて言うと、怒られますね、1度しか来ていないのに(笑)ですが、初めて訪れた者の正直な感想です。昔、京都からわざわざ後白河上皇などがこの地を目指し何度も訪れたというのも、何となくわかる気がします。都は脳のやりたいことを具現化した場所=都市。あらゆるものを区切って存在する。それに対して、荒ぶる神々が降り立つ熊野。そこには境目がないわけで、性別も関係なく訪れることができた。高度経済成長が終わり、バブルがはじけて、南方熊楠(みなかたくまぐす)が注目され、また熊野が注目されているというのも面白いと思います。

 明日は那智大社のことと、今回の総括を書きたいと思います。

[引用・参考文献]
『聖地巡礼ライジング 熊野紀行』内田樹×釈徹宗(東京書籍)


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