メアリージェーンという曲
『メアリージェーン』という曲。andymori解散後にその初期メンバーが中心となって結成されたバンド・ALのファーストアルバム『心の中の色紙』の収録曲。とにかく良すぎるので、とりあえず聞いてほしい。
僕はandymoriが大好きで、音楽を聴くときは、いつでもどこかでその幻影を追い続けている。メアリージェーンはALの曲の中でもかなりandymoriがもつ雰囲気と共通のものを持っていて、だからそこに”光”をみたのかもしれない。
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どこからともなく
”slow down, slow down. everything's gonna be alright."
と福音が流れてきて、3回それを聞いたところで曲は始まる。
最後にも続く福音はだんだんとかき消され、代わりに
”Eli, Eli, Lema Sabachthani”
という言葉が不気味にこだまする。キリストが十字架にかけられて言う。「エリエリレマサバクタニ」
「神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか?」
もう一度曲を聴こう。
不気味な福音が序章のように3回鳴らされて、それから<僕>は、<僕>が19の頃に行ったインドで”メアリージェーン”に触れた話を、優しく”メアリージェーン”に歌い始める。
サビが来て、”メアリージェーン”が<僕>に"every thing's gonnna be alright"と囁き、<僕>は「溶けてしまいそうな至福の瞬間」を甘受して、世界は多幸感に包まれる。”メアリージェーン”は<僕>にとって福音をもたらす<神>となり、そしてこの歌は<神>を讃える讃美歌となる。<神>はガンジスのほとりで船乗りのじいさんに、安宿のベッドの上で円になった旅人たちに、あらゆる場所であらゆる人に再生産される。
そして曲がエンディングに差し掛かって、いよいよ<僕>は崇拝の絶頂を迎える。「♪エビーシングスゴナビオーライ」なんて根拠のない幸福論を<僕>は繰り返し唱え続けているが、その裏で<神>も
”slow down, slow down. everything's gonna be alright.”
と聞き覚えのある福音を無責任に放ち続けている。さらにその裏では、「エリエリレマサバクタニ」=最初からいた神 が<僕>を見捨てる。<僕>の中で誰かがそれを嘆いているが、少なくとも新しい<神>を享受している面での<僕>が、それと接触することはない。
あるいはここで、(キリスト≒神がそうしたように)新しい<神>の物語が始まる。しかしそれは、必ずしも<僕>にたいして福音ではない。不気味なほどに重い低音で最後に2回、
”eli,eli,lema sabachthani”
と声がこだまし、曲が終わる。と同時に、明りに包まれた<神>の世界は、一気に暗転する。その先の未来に明りは約束されない。
ネタバレをしてしまえば、「メアリージェーン」というのはマリファナの隠語で、この曲は作者の小山田壮平が実際に19の時にインドでマリファナを吸った体験をもとに書かれた、マリファナ讃美歌である。しょうもない。<神>はマリファナだったのだ。
現にインターネットでこの曲の解釈にあたれば、やれこの部分でマリファナを買っているだとか、やれこの部分はマリファナを吸って気持ちよくなっているだとか、そういうコンスタティブな解釈をたくさん見ることができる。だけどそれでは何も生まれないし、それどころか僕が感じた感動すら奪われてしまうので、ここではもう少しパフォーマティブにこの曲を見ていこうと思う。
この歌は、確かに一義的には(マリファナという)新しい<神>の到来を歓迎し、そこから甘受する幸福を歌い上げる讃美歌としての性格を有している。しかし一方で、賛美歌にしては無責任すぎるせいで、新しい<神>がもたらす闇の部分や、<神>のような存在に完全に依存することの危険性を、ある種メタ的に表現することに成功している。
”eli,eli,lema sabachthani”の声によって新しい<神>の裏にある神の姿を縁取らせ、その対比構造によって<神>が真に我々に何をもたらしたのかを自覚させようとする。あるいは自己言及的に言うならば、我々が<僕>に入り込もうとするとき、その時の<神>はこの『メアリージェーン』という曲それ自体、あるいはその向こうにいる作者=私たちが敬愛してやまない、マリファナ狂いの小山田壮平なのかもしれない。
曲が止まって、最後の4秒の沈黙のあと、世界がどうなるのかはわからない。世界がどうされるべきか、私たちはわからないが、私たちはそれを想像することができる。
畢竟、最終的には、この曲の中では、誰もが何かを<神>にでき、一方でまたのぞむなら<神>になることもできる。
だから問う。
Eli, Eli, Lema Sabachthani?
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